ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 金子勝・児玉龍彦著 「日本病ー長期衰退のダイナミクス」 (岩波新書2016年1月)

2017年04月25日 | 書評
失われた20年のデフレ対処法の失敗は、アベノミクスのブラセボ経済策によって「長期衰退期」を迎えた 第15回 最終回

7) 「日本病」からの出口 (その2)

 異常な金融緩和と硬直化する財政赤字の下で、格差が固定し社会基盤の解体が進んでいる。社会は深刻な亀裂と不安定に直面している。それを防ぐには格差や差別ではなく「共有」を基礎とする新しいルール作りが唯一の解決策である。年金と健康保険制度の一体化、社会保障を普遍的制度に統一すること、地域単位での子育て、社会参加を目指す雇用創出などの制度設計が求められる。そのためにはてょうに財源と権限を委譲することである。雇用制度と同じように産業政策の基本は地方の問題である。「逆東京問題」である。東京だけに建築ラッシュが起こり、東京オリンピックをやることはむしろ日本経済の衰退を加速化させるのである。東京で労働の集約を行い地方が過疎になり、東京のための発電所や基地を地方が負担するジレンマを解消しなければならない。いわゆる迷惑施設の地方への集約が、沖縄基地問題や福島・刈羽崎原発の過密化を招いた。東京への膨大な人口の集中は、雇用機会を失った若者が東京に吸い寄せられ、東京は若者の生活に不安定と困窮と過重労働を強いて、子どもの特殊出生率を最低にし、少子高齢化問題を悪化させた。TPPで農業破壊を進めて補助金漬け農業で保護し、不良債権化した原発の再稼働、原発輸出産業に東芝・日立・三菱といった電機・重工業メーカーを追いやる政策は長期衰退の速度を加速させるだけである。むしろ地域分散ネットワーク型の産業社会を目指さなくてはならない。市場経済も生命も多重なフィードバックで出来上がっており、すでに線形では理解できない複雑な仕組みとなっているうえに、時間的スケールで系の制御履歴が重なっている。エピゲノムという考え方は生命の発生と分化そして進化を解き明かすドグマである。実は今起きている日銀の異常な金融緩和による麻痺した経済はまさにエピゲノムそのものである。18世紀イギリスで生まれ、最後の貸し手としての中央銀行は、公定歩合、預金準備率、債権オペレーションなどの政策を手に入れ、マクロ経済をコントロールするようになった。しかし中央銀行は政府機関でもなく民間企業でもないという曖昧な性格のために、政治的圧力に弱く、抵抗する機能は期待できない。日本病を脱するためのアプローチは、情報を基礎とする新しい科学技術の方法論でなくてはならない。事前よくとしての現状の認知・認識が出発点である。そのためにはバイアスのかかっていないデーターを使って、民主主義的な議論で収斂してゆくコンセンサスの形成が求められる。だが、バブル崩壊後の25年の歴史は情報伝達の逸脱の歴史であった。姑息な官僚国家日本では、都合のいいデータから政策を決める伝統が依然根強く、無責任体制で失敗が繰り返される「失われた時代」が続いた。もっと根本的なところで情報の支配が行われている。アメリカのNSAを中心とするアングロサクソン国家群5か国(米・英.・豪・カナダ・ニュージランド)の情報機関は一体化したシステムでアップル、グーグル、アマゾン、マイクロソフト、フェイスブックなどを集め、通信メガデータ管理(人間の管理)をしようとしている。安倍政権はマスコミ対策に強権を発揮し情報を歪めている。こうしたデータ操作・マスコミ支配は後進国の独裁政権のような出口のない政策を暴力的に進めることに他ならない。出来上がるのは戦前の大政翼賛会か大本営発表のような閉鎖的なタコツボ社会であろうか。国際的には安倍政権「極右」として評価されている。科学を自然科学と人文科学に分けると、次の時代の価値を予測するには優れて人文科学・社会科学的な人間把握が必要である。歴史、倫理、哲学と美術、言語学や教育学が大きな要素である。フィッシャー統計は分散したデータを扱い危険率を設定して仮説の妥当性を計算するが、内部構造を持つものは正規分布には従わない。設問の分岐点の設定次第で決まるデータのねつ造はアンケート世論調査では常態化している。人間生活のための産業構造の転換は、理系人間のスペック(仕様)思考では限界がある。物と情報の結びつきはもっと人間的で、現場的であり当事者主権の予測の科学でなければならない。アベノミクスは歴史修正主義ノスタルジアに基づき、時代遅れの自己中心の愛国主義しか中身がないため、本質はファッシズムであり、人文科学を敵視する。文科省の「人文・社会系学部の削減統廃合」案は笑ってすまされない、まさにファッシズムである。歴史の全体をバイアスなしに経験として捉える文化が「日本病」の出口である。人の数だけ推論サイクルを繰り返すのが民主主義の根幹である。それがベイズ推定によって無秩序にならないで収斂するやり方である。アベノミクスはすでに危険水域にある。

(つづく)