ブログ 「ごまめの歯軋り」

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新藤宗幸著 「原子力規制委員会ー独立・中立という幻想」 岩波新2017年12月

2019年06月23日 | 書評
松葉牡丹

原子力規制委員会は新規制基準を楯に、再稼働や老朽原発の運転延長審査を進めている。 第10回

Ⅲ章 「原子力規制委員会は使命に応えているか」(その3)

次に高浜原発第1号機・第2号機の老朽原発の特例措置による20年延長稼働審査について検証する。原子炉の耐用年数は、原子炉圧力容器が中性子の照射によって劣化することから30年ー40年と想定されてきた。2013年7月の原子炉等規制法が第43条3-32第1項は「発電用原子炉を運転できる期間は40年とする」と定めたのは画期的な事である。しかし日本の法の最悪はいつも「例外措置」が用意されていることである。同法第2項・第3項で「原子力規制委員会の許可を受けて1回に限り20年を越えない期間延長することができる」とされた。関西電力高浜発電所は、PWR型原子炉4基を有する。そのうち3号機は2011年1月よりプルサーマル計画によるMOX燃料が装填され運転が開始された。2013年7月関西電力は運転休止中の第3号機と第4号機の設置変更許可申請書を提出した。2015年2月12日に原子力規制員会は新規制基準に適合するとの審査結果を出した。2014年12月住民らは福井地裁に第3号機・第4号機再稼働の差し止めを求める仮処分を申請した。だが関電の異議申し立てによって福井地裁は2016年1月、2月に仮処分を停止し再稼働を許可した。滋賀県を中心とする住民は大津地裁に仮処分を申請、大津地裁は仮処分決定を命じた。しかし関電は大阪高裁に異議申し立てを行い、大阪高裁は大津地裁の仮処分決定を取り消した。次いで関西電力は2015年3月17日に、規制委員会に1号機・2号機の「設置変更許可申請書」を提出しバックフィット新規制基準への適合性審査を求めた。続けて4月30日に第1号機・第2号機の「運転期間延長許可審査」を申請した。高浜原発第1号機は1974年11月運転開始、第2号機は1975年11月運転開始(出力はどちらも83万Kw)であるので、改正原子炉等規制法の規定からはいずれも廃炉の運命である。ところが「40年ルール」には経過措置があって、「40年」とは新規制基準施行(2013年7月6日)から3年間を経過する日(2016年7月7日)のことで、その日までに運転延長認可が出来ていなければ廃炉にあるということである。そうして2016年6月20日に原子力規制員会によって運転延長が認可された。この経過措置が適用されるのは、高浜原発1号機・2号機を含めて7基であるが、敦賀1号機・2号機、島根1号機、玄海1号機、伊方1号機の5基は事業者がそれぞれ廃炉を申請した。この滑り込みの運転延長申請の審査は本当に妥当だったのか疑問の声は少なくない。高浜原発1号機と2号機の設置変更許可申請と運転期間延長認可申請とは表裏一体をなす。高浜原発の審査の場合も大飯原発再稼働申請と同じく基準地震動と津波が焦点となった。関電は高浜発電所の基準地震動を550ガルとして申請したが、規制員会の指摘で700ガルに引き上げられ、津波の高さは最高6.7mとなるので防潮堤高さ8mが求められた。基準地震動700ガルも過小評価であろう。何故老朽原発の稼働延長を急ぐのだろうか。20年間にわたる稼働延長の認可には、地震津波の予測の甘さに加えて、防火ケーブルの難燃性検査、原子炉の中性子による劣化状況判断、蒸気発生器の加振県さ、緊急対策所の設置猶予など多くの疑問が提起されている。原子力規制員会は2015年3月17日関電の高浜原発1号機と2号機の設置許可変更申請を受け、さらに4月30日その1号機・2号機の運転延長申請を受けたが、行列待ち状態の各社の設置許可変更申請を後回しにして高浜原発1・2号機の運転期間延長審査を優先した。それは「経過措置」の特例が2016年7月7日が限度となるからであった。原子力規制委員会はこの期限内に応えるべく最優先でスピード審査(拙速の結審)し6月20日に20年の期間延長を認可したのだ。安倍政権は2014年4月「エネルギー基本計画」を閣議決定し、2030年で原発依存率を20-22%に設定した。新規原発の建設ははかばかしくなく、各社は経済性から廃炉を決断する中で原発依存率を維持するには、運転延長申請のあった老朽原発を動かさざるを得ない状況があった。原子力規制員会・原子力規制庁は専門科学的・技術的判断の名の下で自らの行動の正統性を主張しつつ、政権中枢の意思に寄り添い具体化しているのである。田中原子力規制委員会委員長は再稼働審査について「安全性を保障するものではない。新規制基準に適合していることを判断するものだ」と述べた。絶対的安全基準は技術・時代の変化に合わせて変化してゆくもので、現規制基準が絶対のレベルにあるものでないことは理解できる。よりシビアに基準が向上してゆくならいい。もし最初からこれが問題だらけの暫定基準であり、それをパスすれば老朽化原発がいつまでも使用でき、再稼働のハードルが形式的になって容易になるならば、規制基準は免罪符的な機能が現れる。規制基準を作ったその志が疑われる。

(つづく)