ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 杉田 敦著 「権力論」 (岩波現代文庫 2015年11月)

2017年02月21日 | 書評
ミッシェル・フーコーの政治理論と権力論の系譜 第17回

Ⅱ部  権力の系譜学
4) リベラル・デモクラシーのディレンマ  R・ダ―ルをめぐって
   (1) デモクラシーとリベラリズム (その1)


1980年代は世界の各地で民主化が大潮のように広がったが、同時に先進国では「新自由主義」という右傾化も著しかった。従来のデモクラシーの限界が急速に意識されつつある。すなわち投票による間接的な政治参加を軸とする議会民主政治が実は機能していないのではないかという危惧が広がったのである。現代の政治学はデモクラシー側に立つとしながら、デモクラシー批判に十分こたえていない。この章ではアメリカ政治科学を代表するロバート・ダールを取り上げ、デモクラシーのディレンマを問題とする。リベラル・デモクラシーとは、自由主義と民主主義の二つの原理に立脚している。極めて多義的で論点の多い課題である。民衆デモスによる支配としてのデモクラシーは古代ギリシャに発祥し古代ローマの共和制から寡占支配そして皇帝制に変質した。革命によって絶対王政を打破し、18世紀末ルソーによって人民主権論という形で国家主権となり、それから一貫して治者と被治者の一致(自己統治)をその主眼とした。リベラリズムの起源ははっきりしないが、近代国家が主権を標榜して個人の生活や思想までに干渉し始めた時に、自由の領域を確立しようとして生まれた。ジョン・ロックの議論に見られるように、自由の主体は基本的に個人である。従ってリベラリズムは個人主義と密接な関係にある。りベラリズムは中世以来の王権を制約する立憲主義の伝統を維持している。結社の自由に見る様に、リバラリズムは国家の下の中間団体としての社会層を重視する。今日では様々な圧力業界団体と同義となっている。この多元主義とも密接な関係にある。そういう意味で両者が合体したリベラル・デモクラシーは、中世の立憲主義と近代の人民主権論との結合であり、多元主義と民主制の結合であった。欧州大陸とは異なる独自のアイデンティティを模索していたアメリカ合衆国で最もラジカルに展開された。フランスの貴族アレクシス・ド・トクヴィルはアメリカを視察し著した「アメリカのデモクラシー」において、デモクラシーの行き先について思案を巡らした。トクヴィルの視点を、富永重雄著「トクヴィル―現在へのまなざし」(岩波新書 2006)によって見ると、「トルヴィルはアメリカのデモクラシーにおいて、境遇の平等化がもたらした弊害と大衆社会を指摘した。自由は特定の社会状態を定義できるものではないが、平等は間違いなく民主的な社会と不可分の関係にある。自由がもたらす社会的混乱は明確に意識されるが、平等がもたらす災いは意外と気がつかないものだ。平等化は自らの判断のみを唯一の基準と考えるが、自らの興味とは財産と富と安逸な生活に尽きる。そこで個人主義という利己主義に埋没する。民主化は人間関係を普遍化・抽象化すると同時に希薄化させる。そして人は民主と平等の行き着く先で孤独に苛まれるのである。平等が徹底されるにつれて一人の個人は小さくなり、社会は大きくみえる。政治的に言えば、個人は弱体化し中央権力が肥大化するということになる。中央権力も平等を望み奨励するが、それは平等が画一的な支配を容易にするからである。

(つづく)