ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 大森荘蔵著 「知の構築とその呪縛」 ちくま学芸文庫 (1994年7月 ) 

2014年05月01日 | 書評
近代科学文明の誤謬は人間をも死物化したこと 人と自然の一体性回復の哲学 第1回

序(1)
 前の中村桂子著「科学者が人間であること」(岩波新書 2013年8月)が、2011年3月の福島原発事故を契機に中村氏が本書、大森荘蔵著「知の構築とその呪縛」を読んで、それを下敷きにして科学文明の失敗を克服する道の手掛かりにしたということが分かった。そして中村氏が参画する生命誌研究の意義が、大森氏の「重ね合わせ」の哲学に一致することを再発見したということであろう。しかし本書はかなり昔に発刊されたものである。はしがきによると本書は放送大学設立に際しての、「人間探検」コースの教科書として執筆され、、1985年3月NHK出版協会から発刊されたものを、1994年7月筑摩書房のちくま学芸文庫に編入されたという。私は中村桂子氏の前書を読んで初めて大森荘蔵という哲学者を知った。
 そこで大森荘蔵氏のプルフィールを見てゆこう。大森荘蔵氏(1921年ー1997年)は1921年08月01日、岡山県に生まれる。1944年東京帝国大学理学部物理学科卒業。海軍技術見習尉官。1945年海軍技術研究所三鷹実験所勤務。終戦を契機に1946年東京帝国大学文学部哲学科に入学。1949年、東京大学文学部大学院入学。Fisrt National City Bank 勤務、アメリカ留学を経て、1951年、帰国。1953年東京大学講師に就任。1954年より翌年05月まで、アメリカ Stanford University、Harvard University に留学。1966年、東京大学教養学部教授。1971年最初の論文集『言語・知覚・世界』(岩波書店; 著作集第08巻)刊行。1976年、東京大学教養学部長就任。翌年、辞任。1982年、東京大学定年退官、東京大学名誉教授。同年、放送大学学園教授。『流れとよどみ――哲学断章』(産業図書; 著作集第05巻)刊行。翌年、『新視覚新論』(東京大学出版会; 著作集第05巻)刊行。1983年、放送大学副学長就任(1985年辞任)。1985年、『知識と学問の構造』(後に『知の構築とその呪縛』と改題してちくま学芸文庫; 著作集第07巻)刊行。1989年、放送大学退職。1992年、『時間と自我』(青土社; 著作集第08巻)刊行。1993年『時間と存在』(青土社、1994)により第5回和辻哲郎文化賞受賞。1996年、『時は流れず』(青土社; 著作集第09巻)刊行。その説く哲学は、独自の、「立ち現れ」から説く一元論が特徴である。
 「私」は「自然」と一心同体であり、主客の分別もない。心身二元論で把握された世界のうち、「物質」についての記述ばかりして来た科学に対し、科学の言葉では、「心」を描写することはできないとする。そして、日常世界と科学の世界は共存しうると大森は主張する。あくまで、科学の可能性と限界を見極め、それとは異なる世界の眺め方を提案する。それが大森の哲学の大要である。野家啓一、藤本隆志、野矢茂樹、中島義道ら現在第一線で活躍中の数多くの日本の哲学者たちを育てることとなった。大森氏は哲学論文に引用注をつけず、あたかも自分の頭から流れ出たような文章で有名であったと、弟子の野家啓一氏が解説で述べられている。大森氏は自前の思索を展開してきた我国では数少ない哲学者であったという。本書「知の構築とその呪縛」の論点は比較的単純で明確である。とりわけ16-17世紀の科学革命期の科学史・思想史に関する事項である。当時の主流を占め、今日でも科学的思考のセントラルドグマであるガリレオ・デカルト流の二元論科学哲学の世界像を破壊することを目的とする。ただ大森氏はどこまで本気だったのか、文学的表現に過ぎないのかは微妙だが、「二元論は物および身体を死物化した」と終始非難する。「死物化」という言葉に悪いイメージをかぶせすぎで、反面「重ね描き」(科学的世界観を日常的世界観で理解する、その逆もしかり)で容易に二元論(デカルトの誤謬)は克服できるという、便利なおまじないを考案するするのである。大森氏の論法にも大きな欠陥が存在する。科学的世界観を非難する材料として、古代的・中世的な非科学的アニミズム・呪術・「物活論」(自然や物にも生命がある)の復活といった、おどろおどろしい(まがまがしい)魑魅魍魎の力を借用してくるのでいやになる。こんな世界の復活は御免こうむりたいのである。つまり大森氏の近代科学文明批判まではそれなりに的を得ているが、代替えの哲学が朦朧としてあやしげなのである。これは中村氏の生命誌研究についてもいえることで、旧態依然とした象牙の塔的研究体制で一人一人の研究者が独創的な研究をやっているというノスタルジーで、アメリカ世界に対抗できるのだろうかという疑問が付きまとう。とかく文明批判は世間の同調を得やすいが、対案が曖昧模糊として、実現可能とは思えない個人的姿勢に還元されるのが常である。

(つづく)