ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 豊下楢彦著 「集団的自衛権とは何か」(岩波新書2007年7月)

2014年05月23日 | 書評
集団的自衛権という日米安全保障体制の強化は、さらに日本を危険な道に誘い込む 第16回 最終回

第6章 日本外交のオルタナティブ(第3の選択肢)を求めて (その3)
 
 北朝鮮が核開発を進めるならば、日本も核武装すべきだという主張がある。しかしこの論は歴史的観点を欠いている。なぜなら中国は1966年に核ミサイルの開発に成功していた。1981年には大陸間弾道弾ミサイルを開発した。ソ連は1957年に世界初のICBMを完成させた。「米国の核の傘」はなきに等しかったにもかかわらず、この間にソ連や中国からミサイル攻撃を受けたことはなかった。ミサイル攻撃を受けるかどうかは緊迫した政治情勢が問題になるのである。今日中国の核弾頭ミサイルが日本に飛来することを心配することは杞憂に過ぎない。では北朝鮮の日本へのミサイル攻撃という差し迫った脅威(北朝鮮が日本から受ける脅威のこと)はあるのだろうか。つまり問題はミサイルの性能とか破壊力という軍事技術レベルのことではなく、すぐれて政治外交的レベルの問題であることがわかる。主権国家はテロリストとは違い最重要課題は「体制の生き残り」にある。核は交渉の手段に過ぎない。相手が多少とも脅威と感じるならばの話である。どうせ使えない核兵器なんぞは怖くないと居直った国には通用しないテクニックである。日本は核兵器よりも恐ろしい規模の原発を53基と、使用済み核燃料を膨大に抱えており、この事故の方がはるかに国家体制存続の危険因子なのである。もし日本が核武装するならば、NPTは崩壊するであろう。そして無秩序な核開発が横行し東アジア一帯が不安定化する。1998年8月31日北朝鮮はテポドンの発射実験に成功した。発射直後日本が国連で非難決議を求めたにもかかわらず、米国はニューヨークで米朝高官協議を続け、9月10日にKEDOや軽水炉工事の再開を約束した「包括合意」に達し、日本に建設費分担を求めた。戦域ミサイル防衛TMD構想の共同研究参加を強く求めてきた。北朝鮮の脅威が米国によって煽られる一方で、日本の頭越しに米朝間の関係交渉が進むという構図は、2006年のミサイル発射と核実験にも基本的に引き継がれている。こうした日本の置去りは過去に何回も見られた。その最たるものは1971年のニクソンショック(米中和解)であった。こうした頭越し外交は日本でけでなく台湾もその犠牲者であった。1998年クリントン大統領の中国訪問、2006年陳水扁総統のアンカレッジ立ち寄り問題などである。米国は中国を北朝鮮問題における6者協議という場で仲介者の役割を求めた。中国は経済的発展に従って軍事的拡張も著しい。2007年1月ミサイルによる衛星破壊実験に成功し、「宇宙の軍事化」に踏み出した。宇宙の独占こそブッシュが求めていたものであり、核エネルギーの宇宙配備を目指したのはほかならぬ米国である。核兵器のみならず宇宙兵器禁止条約の制定、非軍事原則を高く掲げる必要が日本外交の基本となるべきである。さらに日本は北東アジアの非核地帯構想(朝鮮半島と日本)実現に向けた努力をすべきである。
(完)