ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 千葉悦子・松野光伸 共著 「飯舘村は負けない」  岩波新書

2012年12月20日 | 書評
計画的避難地区飯舘村の復興への願い 第6回

1:原発事故前までの村づくり (2)

 1994年に始まる「第4次総」の計画づくりが1992年から始まった。村は20の行政地区から、地区別計画策定委員を選び、「地区白書」作成から10年間の地区計画の策定作業に入った。すべての行政区に一区あたり1000万円の事業費を振り当て(ふるさと創生金のまね?)計画も丸投げした。ただし10%は地元負担である。また農水省は2000年より「中山間地域など直接支払い」を制度化した。傾斜地の多い農作業困難農地への補助金制度である。飯舘村は村全体が中山間地域であるので、この制度を利用してすべての行政区に補助金を出したのである。観光わらび園、ふれあい茶屋、など直売所や休憩施設、憩いの場を整備した。2004年から「第5次総」が始まった。その計画は2002年度から始まったのだが、市町村合併問題で村が分裂し、村民集会、住民投票、村長選挙を繰り返して、結局菅野村長は「自立の道」を選んで、法定合併協議会会から離脱した。農水省は2005年度以降も「中山間地域など直接支払い」制度を継続し、2007年度には「品目横断的経営安定対策」という所得補填制度を実施した。第5次総の振興計画は「大いなる田舎 までいライフ飯舘」となずけられた(「までい」という方言は、心を込めて、丁寧にというような意味)。村では子育て支援に取り組み、「までい子育てクーポン」を第3子以降年間5万円を支給した。また直売所「森の駅 まごころ」の設置、レストラン、農家民宿などを始めた。2009年から第5次総の中間見直しに著者らの福島大学の職員大学院生とタイアップして行なわれた。このように見て行くと、飯舘村の村おこしとはほとんどが国の補助金や支援金を基に(便乗して)行なわれている。新自由主義者からいわせると、無駄な予算となるが、経済的に自立しえない(?)農業で生きてゆくことの宿命かもしれない。こういった農業政策については不勉強なのでもう少し考えた上でコメントしたい。いまはどうこうは言わない。
(つづく)

読書ノート 上野千鶴子著 「家父長制と資本制ーマルクス主義フェミニズムの地平」 岩波現代文庫

2012年12月20日 | 書評
男と資本の奇妙な野合 「お一人様」が吼える 第8回

第1章 マルクス主義フェミニズムの問題構成 (2)
 ラジカル・フェミニズムは市場の外に家族という社会領域を発見した。ここが革命的発見である。マルクス主義は市場の成立する領域しか扱えなかった。市場の外部には「自然」と「家族」が存在し、それを利用して市場は外部から資源を受け入れ、廃棄物・用済み資源を外部へ放出するのである。市場は自然とのやり取りで、石油などの自然資源をインプットし廃棄物をアウトプットする。市場の失敗は資源枯渇と公害であった。一方市場は家族とのやり取りで労働力をインプットし、失業者、老人、障害・病者をアウトプットする。この過程で成人女性は軍隊で端的に見られるように「人以外」という取り扱いで、家族の中へ置き去りにされた。階級一元支配説をマルクス主義は「資本制」と名づけ、性支配一元説をフミニズムは「近代家父長制」と名づけた。マルクス主義フェミニズムは階級一元支配説も性支配一元説もとらない。それぞれを独立な要因とみなして男女の関係に固有な歴史的形態を解明しようするもので、これを「家父長制資本制」と呼ぼう。女性の抑圧の構造を解明するには両方の理論が必要であるからだ。著者はブルジョワ女性解放思想をフミニズム理論には含めない。それは自由と平等という市民革命の原理は市民ブルジョワ階級を解放したが、女性にとって「裏切られた革命」に過ぎない。リベラルフミニズムは「啓蒙思想」であり、「遅れた婦人たち」を導くだけのものだ。いわば女性犯罪被害者救済の役割で解放の理論ではないからだという。フミニズムは近代批判から出発し、近代的な性支配の仕組みを構造的に解明しなければ力にならない。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「霜威稜稜」

2012年12月20日 | 漢詩・自由詩
朝来漸白紙窓明     朝来り漸く白く 紙窓明に

霜威稜稜月影傾     霜威稜稜 月影傾く

侵暁雲寒思暖律     暁を侵して雲寒く 暖律を思い
 
戴星水凍惜残更     星を戴き水凍り 残更を惜しむ


○○●●●○◎
○●○○●●◎
○●○○○●●
●○●●●○◎
(韻:八庚 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)