ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 外岡秀俊著 「3.11 複合被災」  岩波新書

2012年12月07日 | 書評
地震・大津波・原発事故の重なった災害の教訓とは 第2回

序(2)
 3.11は日本の近現代史に特別の意味を持つ日として記憶されるであろう。2.26青年将校クーデター、8.6広島原爆投下の日、8.15終戦記念日、5.3憲法発布記念日、1.17阪神淡路大震災と並んで記憶されるに違いない。いずれもこの国の形を変えるような重大な出来事の日であった。3.11の東日本大震災は大津波による死者行方不明者あわせて2万人を超える規模の犠牲者を出し、さらに福島第1原発第1,2,3号機メルトダウンと水素大爆発によりチェルノブイリ原発事故に次ぐ大惨事を引き起こし、わが国原発開発史上初めて「安全神話」が白日の下に消え去った日であった。これを見て何も考えない人はいないだろう。喉元過ぎれば簡単に忘れ去るほどノー天気な人もいないはずだ(通産省官僚と原発推進利益共同体はほとぼりのさめるのを待って、何も無かったように原発の再開を企んでいるから危険である)。今回の「複合災害」で崩れたものが2つある。一つはこの国が一大プロジェクトで進めてきた「地震予知」の態勢が崩れたことだ。何時・どこで地震が起きるかを予知することは当分不可能である事がわかった。2つは「原発の安全神話」が崩壊したことだ。全電源喪失は考慮する必要はないと切り捨ててきた事態が発生したのだ。そして最も原発にとって恐ろしい炉心溶融(メルトダウン)と炉心損傷が現実に起ったのである。「想定外」の事態だから東電に責任は無いとはいわせない。そもそも原発は民間企業がリスク管理できるものではなく、コスト無視の国策だからやっていたのだ。原子力開発と損害賠償と核廃棄物最終処理までコストに入れた原発発電コストでは民間会社はギブアップすることは確実である。今回の事故を検証し徹底的に原発体制を見直し、変更を迫ることが納税者たる国民の義務であり権利である。
 本書の構成は、第Ⅰ部が「地震と大津波」、第Ⅱ部が「原発被災、第Ⅲ部が「再生へ」となっている。第Ⅰ部は4章からなり、被害の情況、大津波、自治体崩壊、救援活動を、第Ⅱ部は3章からなり、原発事故の概要、原発避難、放射線との闘いを、第Ⅲ部は終段として、帰還への道のり、復興計画からなっている。各章の最初の節では著者が見聞きした現地のルポを、第2節では災害の概要をまとめ、第3節で課題を示す構成である。著者はジャーナリストであるから、現地ルポを非常に大事にされるのは分かるが、本書をまとめるにあたっては、生々しいルポはまとまりがないのと全体が見えないので割愛させていただく。
(つづく)

読書ノート 大澤真幸著 「夢よりも深い覚醒へー3.11後の哲学」  岩波新書

2012年12月07日 | 書評
倫理の破壊をもたらした大惨事の後に、原発への根源的な問い 第10回

第3章 未来の他者はどこに、ここに! (2)
 ジョン・ローズの「正義論」は属性の分からない人々の間の社会契約という形式で正義の原理を導出しようとする考えである。アイデンティティも消去し去った裸の個人というものが可能なら、人間として正義の結論が出せるというものであるが、例えば最も恵まれていない者に最も大きな利益を配分せよという「格差原理」の場合、自分も最悪の場合は最も恵まれない立場にあるかも知れないという心理が働いてこれに賛成する。こうして格差原理は人間として正当化され普遍的な正義のひとつとされる。この正義論でも原発問題は未来の他者を参加させることは不可能である。原発問題を扱う原理的典拠に「生物種の絶滅」という論点がある。生きるために食わねばならないという現代の人の民主主義と整合する保証は無い。次の世代が生きられる環境自然を保存しておくために現世に規制や禁則を設けるという「貯蓄原理」は「世代間問題」といわれるが、未来の生活条件を予知できないので虚構になる可能性がある。欧州諸国は他岸の火事である日本の3.11福島原発事故をみて迅速に脱原発に動いた。この行動はどこから出てきたのか。それはユダヤ・キリスト教の終末観の伝統から来ているものと思われる。未来に終末が来るというなら人々は容易に行動しない。終末が来ると脅かしても狼少年と呼ばれるだけの事である。現に終末は来ているとか、地獄へ行くか天国に召されるかはすでに決まっていると言えば人々は厳しい不安に襲われ行動を開始するのである。福島原発事故を見てキリスト教徒はすでに運命は下されたと感じて急速に脱原発の舵を切ったのであろう。このことはマックス・ヴェーバー著 大塚久雄訳 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(岩波文庫)において、資本主義の精神はプロテスタントの予定説からきているといった。自分の運命は予定されているとすれば、どちらなのか確証を感じたいために世俗的禁欲生活をおくる。免罪符で救われたり、懺悔で慰められたりしている状態では人は真の信仰生活には至らないという。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「寒江魚釣」

2012年12月07日 | 漢詩・自由詩
氷雨冥蒙寒透衣     氷雨冥蒙 寒は衣を透し

波心砕玉錦鱗肥     波心玉を砕き 錦鱗肥ゆ

須臾宿鷺釣魚去     須臾に宿鷺は 魚を釣りて去り

頃刻哀猿乗月帰     頃刻哀猿は 月に乗じて帰る


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(韻:五微 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)