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とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 406 宮沢りえ No Titlist

2018-08-14 16:09:50 | 日記
えっ、こんな・・・。と思いつつかつてのイメージを重ねて視ました。それにしてもまことに珍しい映像です。アップされたお方に感謝しています。・・・それにしても、このシリーズを始めてから改めて「昭和」という時代の多様性のあるエネルギーを感じています。そうですね。暗い、深刻な出来事も多々ありました。避けている ?? そうかもしれません。「昭和」の暗い過去はいろいろと各方面で語られています。私はここでそれを取り上げたい気持ちと闘っているのです。


宮沢りえ No Titlist


「NO TITLIST」(ノン タイトリスト)は、宮沢りえの2作目のシングル。
前作に引き続き小室哲哉がプロデュース。しかし、ジャケットには表記されていない。
自身が主演を果たしたフジテレビ系ドラマ『いつも誰かに恋してるッ』の主題歌。


宮沢 りえ(みやざわ りえ、1973年4月6日 - )は、日本の女優、ファッションモデル、歌手。東京都練馬区出身。身長167cm、血液型はB型。エムツー企画所属。女優として映画、舞台、テレビドラマなどに出演。日本人の母親と、オランダ人の父親を持つハーフ。夫はV6の森田剛。


来歴

11歳の頃にモデルとしてデビューし、程なくして雑誌 『週刊セブンティーン』(当時)の表紙モデルとなった。1987年(昭和62年)、CM『三井のリハウス』の初代リハウスガール“白鳥麗子”役を務めて注目を集め、トップアイドルの一人となった。
同時期から活躍していた後藤久美子とは、同学年ということもあって仲が良く、また良きライバル関係でもあった。後藤とは11歳の頃、キットカットのCMで共演歴がある。

10代の頃には、17歳の時に『ふんどしカレンダー』や、18歳の時にはヘアヌード写真集『Santa Fe』などの奇抜な話題作り、そしてマネージャーを務めていた母親(通称・りえママ)の存在とで注目された。婚約や婚約解消、また男性との交際、さらに拒食症の噂など、芸能マスコミからのバッシング報道が相次ぎ、アメリカサンディエゴへの移住を発表するなど、一時期は芸能活動休止状態となった。

激痩せから回復して来たと見られる頃から、徐々に芸能活動を再開し、2002年(平成14年)の『たそがれ清兵衛』で落ち着いた演技を見せ、映画の成功以降は、女優としての活動の幅が広がり、本格派女優としての評価が定着しつつある。尊敬する岡本太郎が書き綴った「生きること、死ぬこと」「夫婦愛」などの詩を朗読する活動も行っている。柔らかなウィスパーボイスの持ち主で、ナレーション業も多く務めている。 (「Wikipedia」より)