とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

バナナとパイン

2010-08-13 23:37:05 | 日記
バナナとパイン



 戦中産まれで戦後育ちの私は、食べ物が乏しい時代に育った。だから、初めてバナナを食べたときのことは忘れることが出来ない。終戦直後だった。父の知人が奇妙な果物を持ってきてくれた。黄色く細長い棒のような形をしていた。皮をむいてくれた。私がかじると、「おいおい、一遍に食ったらたらいけんじ。ちょんぼしわて(少しずつ)、なめーやに食うだわや(舐めるように食べなさいよ)」という言葉。言われた通りに私は食べた。ねっとりしていて、甘かった。
 パイナップルは確か父が二度目の応召から帰還するときに土産に持って帰ってくれたのでないかと思う。シロップ漬けの缶詰で、缶切りで開けるとひまわりのような形の輪切りにした果肉が出てきた。綺麗な色とその形だけが記憶の奥に残っている。そのときどんな味がしたか、私はよく覚えていない。よくぞそういう時期に食べられたものだと思っている。
 ところが、六十の坂を越した今の年齢になっても、それらの果物が栽培されている所を見たことがない。
 バナナは一時芭蕉ではないかと思っていた。花の後で小さい実が重なってぶら下がっているのを見て、島根のような土地は寒いから大きくならないのだと思っていた。パイナップルは泰山木の実だと信じていた。小学校の前庭に大木があり、初夏になると白い大きな花が咲いていた。散ると実が小さいパイナップルのような形で残った。甘い香りがした。これも寒いから大きくならないのだと思っていた。
 バナナとパイン。今ではそんなに珍しい果物ではなくなった。食べても子どものときのような喜びが湧かない。これは哀しいことである。しかし、死ぬまでに一度だけたくさん栽培されている所を見たいものだと思っている。そのときどんな気持ちが湧くだろうか? いや、その前に私はその土地に行くことが出来るだろうか? (2005年投稿)

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