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とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」810 追悼「丘さとみ」なつかしの東映城のお姫様

2024-08-14 00:56:11 | 日記
東映城のお姫様として不動の人気を博した女優、丘さとみさん。訃報に接し悲しく思っています。東映城の三姫、桜町弘子さん、大川恵子さんと並び東映時代劇を支えた女優さんでした。ここに謹んでお悔やみ申し上げます。

追悼「丘さとみ」なつかしの東映城のお姫様


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おか さとみ
丘 さとみ

来歴・人物
1953年3月、尼崎市立尼崎高等学校在学中にディズニー映画『シンデレラ(シンデレラ姫)』の日本公開を記念して行われたRKOラヂオ映画社と毎日新聞社主催の「日本シンデレラ姫コンテスト」に応募し、ミス・シンデレラの栄冠に輝く。その副賞で1953年3月20日から4月4日まで渡米し、ディズニー撮影所や女優・アン・ブライスの自宅などを訪問したり、ケーリー・グラントとの2度に亘る会食やソニア・ヘニーのアイスショー観覧といったハリウッド見学に招待されている。

1954年に尼崎市立尼崎高等学校を卒業後にRKOラヂオ映画社日本支社に就職。RKOラヂオ映画社日本支社関西支社で支社長の秘書として配属される。しかし、東映にスカウトされて、1955年に東映ニューフェイス第2期生として東映に入社して芸能界へ転身した。同期には高倉健・今井健二・五味龍太郎らがいる。芸名を丘 さとみにして同年の映画『御存知怪傑黒頭巾・新選組追撃』でデビュー。東映時代劇での貢献が大きく、「東映城のお姫さま」と呼ばれ、人気を博した(引退までの10年間で約150本もの映画に出演)。

1962年に東映を退社してフリーになり、映画出演も続けながらテレビドラマに主な活躍の場を移す。

1965年、在米日系人2世の商業デザイナーと結婚し、引退。3子をもうけるが、1975年に別居。同年、離婚し、女優に復帰する。

その後、6歳年下の司法書士と再婚し、再び女優業から遠ざかる。

2010年10月16日、T・ジョイ京都で開催された「巨匠・内田吐夢 名優・月形龍之介 東映時代劇傑作選(その一) 内田吐夢、月形龍之介没後40年回顧」のトークショーに出演した。

2024年4月24日、心疾患のためアメリカ合衆国カリフォルニア州の自宅で死去。88歳没。