とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

桜桃

2010-08-23 16:57:22 | 日記
桜桃


 サクランボが店頭に並ぶ季節を迎えた。私は艶やかで甘いその赤い実を食べると、複雑な思いが込み上げるのである。
 戦後の物のない時代に育った私は、サクランボと言えば、ソメイヨシノの黒く熟した小さい実のことだと思っていた。だから、友だちと木に登り、むしり取ってたくさん食べた。固い種が主で果肉はごくわずかだった。もっと実の大きいのがほんとのサクランボだと知ったのは、ずっと後のことである。
 それから、若い頃太宰治の「桜桃」を読んだ。「私の家では、子供たちに、ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは、桜桃(おうとう)など、見た事も無いかもしれない。(中略)しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べて(中略)そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供よりも親が大事」。これは作品の末尾の部分である。書かれたのは昭和二十三年。私が四歳の頃である。私はこの作品を、最初に発表した雑誌『世界』(岩波書店)で読んだ。職場のある先輩からいただいた本だった。読後、この父親の気持ちが理解できなくてむしろ反発していた。しかし、歳を取るにつれて、なんだか分かるような気持ちになったのである。
 そして強い衝撃を受けたのは野原一夫氏の『太宰治と聖書』という本を読んだときだった。「桜桃」の冒頭の「われ、山にむかひて、目を挙ぐ」(詩篇)という聖書からの引用には重大な気持ちが隠されていたという。太宰は山の向こうにキリストの姿を見ていたというのである。
 かくして、サクランボという果物が、私とって特殊な存在に思えるようになったのである。(2006年投稿)

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