橡の木の下で

俳句と共に

「大山崎山荘」平成26年「橡」6月号より

2014-05-25 10:16:13 | 俳句とエッセイ

  大山崎山荘     亜紀子

 

 大雪の二月、ボア句会のやすこさんから四月の吟行会のお誘いをいただく。吟行地は京都長岡京の隣り、乙訓郡の大山崎山荘美術館。平成十二年のちょうど同じ頃に主宰も訪れ、同年六月の誌上に「山荘美術館」という随筆を載せているという。芽吹きの美しい頃でしょうとやすこさんらしい結びの言葉に、早速旧い「橡」を引っぱり出してみる。

 大山崎山荘美術館は秀吉・光秀の戦で知られた天王山山麓にあり、もともとは昭和初期の実業家加賀正太郎が山から見下ろす淀川の景色を、欧州遊学の思い出テムズ川を望むチューダー城の趣になぞらえて造った別荘である。幾多の変遷後、美術館として復元整備された荘と、新たに建設された安藤忠雄設計の地下美術館とを合わせ、現在はアサヒビールの文化財団が運営。山荘内に民藝運動のコレクション、地下美術館にはモネの睡蓮などの絵画が展示されている。随筆の中で主宰は山荘への入口で見つけた張り紙の「ぽい捨てはこの秀吉が許さぬ」という標語について記し、そこから阿波野青畝の中七下五が「ぽい捨て御免合点だ」で終る句を思い出す。ついに上五は出て来ぬのだが、「ぽい捨て御免合点だ」とは大衆に浸透している感覚を自然に俳句にしたものか、あるいは標語が青畝の句に因っているのかと思い巡らし、どうしてこのような句が詠めるのかと驚いたことを綴っている。

 四月六日山崎駅に集合。寒い日が続いていたお陰か辺りはまだ桜の盛り。美術館への山道を辿る。なにか良い声が聞こえるなと思う間もなく目の前の高梢に鵤が止まって歌う。間近で見ると思っていたより大きな鳥ですなと、即座に自然科学の徒らしい甲葉さんの観察。筍は出ていないかしらと乙訓郡の篁を覗く人も。その向うからほう、ほほほと、音色、音調を確かめるような鶯の声。美術館の敷地に入る隧道の手前に「ぽい捨て」のポスターを発見。山道の脇のフェンスに括りつけられた、山火事防止、煙草のぽい捨て厳禁の消防局の訴えであった。十四年前に主宰と吟行を共にされた伊達さんは懐かしそうである。

 折からの小雨の中、山の傾斜に作られた庭園の草々、木々を眺め、四十雀、柄長の群に歩を止める。今年は梅、桜、山吹、花桃、果てはリラも一緒に咲いていて、どこか北国の春のようである。足許に菫の群落。他に十センチくらいの丈のカラマツソウに似た白い花が咲いている。ひ弱な佇まいで、花は五ミリあるかないかの小さなもの。あまりに小さく、それが可愛いらしく、かえって目についた。誰に聞いても名前が分らない。館内に入り、二階のテラスから雨に煙る乙訓のテムズを眺める。淀川に合流する木津、宇治、桂の三川の間の堤を背割り堤と呼び、その桜が満開であった。

 長岡京の駅へ移動して駅前の生涯学習センターで昼食、句会。釘宮さんがボールのような大きなおむすびを見せてくれる。爆弾と呼ぶそうである。三種類の具入りの、普通のおむすび三個分を海苔がくるりと真っ黒に包んでいる。山本さんが以前に爆弾むすびを詠んで二句欄に入選した話をされる。それは主宰の選であったかと聞けば、私の選だとのこと。私はどんな句か思い出せず、ご当人に伺っても咄嗟のことに上五が出てこない。後日その句をしたためた葉書をいただく。

 

万緑やばくだんといふ握り飯   山本安代

 

 昔子らと旅した紀州の「目はり寿司」は、高菜漬けを巻いた目を見張るほど大きいという意味のおむすびだった。きつい山仕事に携行したものという。それよりも昔暮した札幌で食べたのは塩漬けの筋子の一切れがごろんと入った、筋子の水分を包み込む必要からか、これも特大のおむすびだった。ばくだんは知らなかったが、安代さんの握り飯もすぐに合点したのを思い出した。

 山荘の庭の小さな白い花は携帯で撮った画像を植物に詳しい中里さんに送り、セントウソウという芹の仲間と判明。名前の由来は牧野富太郎も分らぬと記している。どんな小さな花にも名があり、古人の観察眼と記憶力に賛嘆する。知識と体験と記憶は出たり入ったりしながら、私自身ははなはだ心もとない心地がする。

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