橡の木の下で

俳句と共に

「記号接地問題」 令和6年「橡」9月号より

2024-08-28 17:23:22 | 俳句とエッセイ
 記号接地問題    亜紀子

 いきなり雷鳴二つ。ずずんと深く重い響き。これは近い、降り出すぞと思う間も無く、ざざあっと来た。あ、やっぱり。ぱっと脳裏に過ぎったのが昔田舎で毎夕聞いていたあの雷と雨音。思い出そうとして思い出せる感覚ではないものが一瞬に甦った。懐かしい上州の夕立。しかしながら、今日の夕立と決定的に違うのは、今はまだ朝が始まったばかりということ。しかも雨は思ったほどは降らずに上がり、午前中の気温はまたぐんぐんと上昇。
 何十年も昔の田舎。午後の気温の高まりに山々に沿って立ち上がった入道雲はやがて倒れ大夕立に。そして一雨去ると涼風が立ち、静かな夕暮れを迎えたものだった。エアコンなどない暮らし。丸くて重い扇風機が回っていた。網戸一枚で心配もなく。母は夕餉の支度。新聞紙に広げた枝豆をぱちんぱちんと鋏で切る手伝い。父は若く、野球放送に耳傾けて。贔屓は大洋(現在の横浜ベイスターズ)。弟と私は阪神。食卓にツマグロヨコバイが飛んでくるのが面倒だった。
 今朝の雷二つに私が思い出したのはこのような光景だが、現代の子供たちが大人になった時に思い出す景色は全く違うものだろう。「雷」「夕立」いずれも季語だが、同じ言葉でも人それぞれその語の立脚点は異なる。
 七月東京例会の詠草に

麺打ち板あはれに暗き春厨

という句があった。惹かれる何かがありそうだが、それが何なのか分からない。採光の悪い厨、使い古された麺打ち板、置いてきぼりのような春の一日。蕎麦打ちが中高年の男性諸氏の間でブームになったと聞いたことがある。一念発起、こだわりの手打ち蕎麦屋を開業したもののコロナ渦中に廃業、そのうたかたの夢のあとかしらと穿った考えさえ浮かんだ。果たして作者は欠席で詳細を伺うことができなかった。
 その後、作者ご自身から詳しい説明の便りを頂戴した。古民家を見学した折の嘱目吟。片隅に立て掛けてあった大きな麺打ち板が目に留まる。昭和二十一年秋、作者は旧満州から一家四人で引き揚げ、父親の実家に落ち着くも、親族三家族が共同で食事の生活。夕食はいつも叔母が手打ちのうどんを大鍋で煮込んだものだったそう。その時の場面が頭をよぎり一句になったとのこと。「何か」の正体が見つかり、あはれの意味するものが分かったような気がする。 やはり「何か」がそこにあり、「何か」を纏っていたことは確かだった。
 麺打ち板という一語でさえ、それを使う人によって持っている意味は随分と異なる。その語が根を下ろして張っている場所が違う。言葉は具体性では写真には敵わない、そして写真も実物そのものには敵わない。思い出も言葉にできるが、本人の体験には敵わない。俳句はそれを言葉にして伝えようという試みなのだから苦労である。
 認知科学の世界で「記号接地問題」という未解決の問題があるそうだ。元々は人工知能の問題として考えられたものという。人は言葉によってその語が差し示すものを知ることができるのだが、真に知ったと言い得るにはそのもの丸ごとを自身の身体的経験として持っていなければならないのでは?という問い。言葉は抽象記号だから、記号で記号を理解しただけで本当にその対象そのものを理解したと言えるのかと。この問いは言語がどのように獲得され発展していくのかという言語学の問題にもなる。
 それはそれとして、俳句の上で考えてみれば、先ずは作者の実際の“身体的経験”が感動。これが一番大切。これを人に伝えるにはどこかに具体性が色濃く感じられるような語が必要だろう。そしてお互いに記号で理解し合うためには相手の根に触れるような言葉を選ぶことも重要。はて技術はともかく、いつも戻ってくるのは、経験を積むこと、誠実に日々を送ることだろうか。
 談林調、漢語といった記号に遊んでいたような芭蕉もやがて自身の身体的経験に発する俳句を詠み、晩年はこなれた言葉でより一層深い境を表現できるようになった。道遥か。

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