橡の木の下で

俳句と共に

「蓮解る」令和6年「橡」8月号より

2024-07-28 12:50:57 | 俳句とエッセイ
 蓮解る   亜紀子

蓮解るぽんと咲くとも思はれず
林泉や梅雨入りうべなふ石の色
緑陰に昭和懐かしコンサート
今朝も泣く腹数寄屋橋鴉の子
日曜の軽鳧の子談義池の端
大人びて水面をすべる軽鳧の子ら
池の面の月を囃すや蛙どち
蛙池蓮のつぼみの燭かかげ
唐楓かた蔭もなき切られ与三
すずろ行く紫陽花小道かろき雨
梅雨雲の低く走れる鉄路かな
噴水もジャグラーもなほ暮れかねつ
産土のまだきの雨の茅の輪かな
アイデアの祖父母手帳やさくらんぼ
体操に長寿さづかる涼しさよ


「街路樹」令和6年「橡」8月号より

2024-07-28 12:46:00 | 俳句とエッセイ
 街路樹    亜紀子

 梅雨明けを待たずして熊蟬が鳴き出した。シャワシャワシャワと熱湯のシャワー音。朝六時を少し回ったところだが、歩き始めた舗道は足元からムッと温度を感じる。一巡りして帰りはまだ開園前の徳川園の脇道を通る。垣内の楓の青葉の枝と、垣外のすだ椎の枝とがトンネルを作っている小径。一気にすうっと涼しくなる。木陰そのものと、樹木の蒸散作用の為せるわざ。水を吸った木々は余分な水分を水蒸気として空気中に排出している。この時気化熱が奪われて植物自身も涼しく、また小径も涼しくなるということだ。いわば樹木は自動的に「路地の打水」を続けてくれているわけ。
 たまたま都市、ことに都内の街路樹の話を聞いた。四十年ほど前までは丁寧な剪定がされていたようだが、現在はかなり強い剪定、大枝を付け根から伐る方法が盛んになっているとのこと。一例として唐楓の並木がばっさり切られている道の写真。話によれば唐楓などはそうそう枝を落とさず、車道側は視界を遮らぬよう一定の高さまでの枝は打ち、あとは自然の樹形に任せる手当だけでも十分だろうとのこと。もちろん古くなって落ちる危険のあるものや、混み過ぎた枝などは折々に落とす必要はあるだろうが。さらに名古屋の街路への言及もあり、名古屋の並木はかなり良く保たれていたのだが、最近はその名古屋もだんだんおかしな事になっているという話。
 我が家のあるマンションが面している歩道の街路樹が唐楓。まさに腕を付け根から切り落とされた強剪定並木。電柱と並んで電柱のごとく突っ立って、瓶洗いのブラシのような若葉が上の方にちょぼちょぼと情けない姿。南北一直線の道ゆえ、真夏の日中は全く陰を期待できない。以前家人からシンガポールの街路樹がとても美しかったという話を聞いたのを思い出した。
 市のホームページに「市民の声」という、市への質問、要望、提案などを一般市民が投稿できる欄がある。「私の住むマンションの前の街路樹、唐楓は所謂強剪定により枝が張らず、現在電信棒のような姿です。日除けになってくれません。真夏のアスファルト道路は地獄の道路です。せっかくの街路樹を生かして木陰の道を整備できないでしょうか。是非ご一考いただき、名古屋が“木漏れ日の街”として全国の街路樹政策をリードしていくような市となる夢を見ております。」 と送ってみた。程なくして区の土木事務所から返信が来た。「街路樹の木陰の役割は市としても大切に考えている。しかし指摘された唐楓については枝と民地建物との距離が一m程度保てるよう、次の剪定までの成長具合を見込んで二年に一回の頻度で、建物からおよそ二m離れたところで樹形を整える剪定を行っているのが現状。」ということだった。
ふうむ、突っ込みどころは幾つかある。歩道の幅は六メートル余、楓は車道側ぎりぎりに植わっているのだから、もう少し枝を残しても良いはず。強剪定は樹形を整えるというよりは無視した剪定だろうし。二年に一度の頻度で腕切りされてはいつまで経っても手を伸ばせんだろう。徳川園の園丁さんに聞いたところ、強剪定は木にダメージがあるとのことだった。特大台風や竜巻きに見舞われることの多い昨今、根張りが悪くなり樹木そのものが弱るのは困る。が、園丁さん曰く、人手とお金があれば、、。なるほど、そこかもしれない。無い袖は振れぬ。人手不足は周知の事実、またこちらも税金をたくさん納めているわけでもないし。でも、本当に足りないのはあちらもこちらも「やる気」だろうか。とは言え、再開発の名のもとに古くからある大木の森を根こそぎ伐採してタワービルを建てるといった計画よりはましか。
父星眠が庭いじりをしていたのを思い出す。吟行の途次に拾った木の実を蒔いたり、庭木も実生で増やそうとしたり。午後の庭でホームセンターで買った帽子を被って夕方まで。今私もベランダで種蒔きしている。心身を落ち着かせる緑の力は絶大だ。去年名古屋城吟行の折に拾ってきたマルバチシャの実から苗が三鉢ほど育っているのが楽しみ。その実は食用になるそうだから。しかし大木になるらしいのでどうしたものか。その前に台風でも来たら諸々すべての鉢を取り込まねばならない。


  

「選後鑑賞」令和6年「橡」8月号より

2024-07-28 12:40:44 | 俳句とエッセイ
 選後鑑賞     亜紀子

菖蒲湯や子等は年中かすり傷  岡田まり子

 自分の子供時代、確かに年中かすり傷だったような気がする。今のような便利な絆創膏はなかったから、ちょっと水洗いしただけだったろうか。少し傷が大きいときは赤チンというのを丸めた脱脂綿に浸してピンセットで摘んで塗ってもらった。赤チンは製造過程で水銀を含んだ廃液が発生するということで生産中止となって今の子供たちは知らないだろう。ちょっと怪我を繰り返すくらいが元気の証拠。菖蒲湯には色々薬効があるらしい。子供達が丈夫に育って欲しい親心。遊び場が減ったり、塾や習い事、ゲームにSNSに忙しかったり、現代の子等の環境は昔とは違うのだろうが、いつの日も子供が伸び伸び手足を広げ、走り、跳んで遊び回れますように。

五月雨やひくき家並の赤瓦   松瀬弘佳

 赤瓦の家並み、趣深い古くからの街並のようだ。鳥取、島根、山口あたりか。掲句の趣からは沖縄は除外。鳥取の倉吉が赤瓦の街として有名らしい。何れにしても、傘さして歩いてみたいものだ。
五月雨や大河を前に家二軒 蕪村
赤瓦の五月雨も絵になりそうである。

夏萩に吹く風忌月淡くゐて   西村惠美子

 夏萩、緑の中に小さなピンクがかすかに揺れて、涼やかで、時に少し寂しい。その人を見送ってからだいぶ年月が経ったのだろう。忌日が巡ってきたなと忘れはしないが、特別なことをするわけでもない。我ながら淡くなったと思いながら、やはり慕わずには居られない。

将棋指す祖父の手ほどき夏座敷   掛川芳枝

 藤井聡太の大活躍で将棋界は盛り上がっているようだ。興味を持つ子も増えているのだろう。しかしお祖父さんの時代は将棋はもっともっと人気があったことと思う。正座してその教えを乞うお孫さん。涼しく整理の行き届いた夏座敷がぴったりの場所だ。
 ところで我が家のすぐ目と鼻の先に藤井七冠永世棋聖が師匠とよく通ったというカフェがある。カレーが好きだったとか、真偽のほどは定かではないが。また七夕には徳川園で王位戦の第一局が開催される。将棋ファンでもない私も何だか胸がざわついている。

みどりさすかつて信徒の隠れ巌   小泉洋子

 五島列島、隠れ耶蘇の村。隠れ巌とは洞窟だろうか。明治政府がキリスト教を認める方針を打ち出すまで過酷な迫害に耐えた信徒。みどりさすの語にその後の安寧とそれ以前の歴史の重みの二つを思う。

貯木池のすたれて梅雨の鰡太し  上尾太郎

 輸入に押されて国産の木材の需要が減ってしまって久しい。それゆえの貯木池の衰退ということのようだ。水面を打って翻った鰡の胴ばかりが丸々と大きい。さみしい限り。国内の木材を省みず、林業従事者は減り、山は荒れ、本当にさみしいばかり。

夜鷹鳴き酒酌み交はす無人小屋   宮﨑清之

 山小屋の一夜、リズムを刻む夜鷹の声に更けてゆく。一日の行程の話、あちらの山、こちらの山の四方山話。美味しい一杯が重なっていくようだ。

ダービーや夫拳もて膝叩く   市田あや子

 俳人にしてみればダービーは初夏の一季語。日本中央競馬会が主催、府中競馬場で開催され、実績のある三歳馬にとって最も栄えあるレースとのことだ。俳人ではないご主人にとっては思わず拳に力の入るレース。中七下五の実況中継が見事。

植樹祭后のお召うすみどり   松井亜作枝

 今年度の全国植樹祭に天皇皇后両陛下が出席。その際の皇后は植樹に相応しい淡い緑のスーツがよく似合って。掲句からは后の来し方に思いを寄せている作者の心情が感じられた。うすみどりという語の効果か。




「軽鳧親子」令和6年「橡」7月号より

2024-06-30 13:13:47 | 俳句とエッセイ
  軽鳧親子   亜紀子

池の面をリニア走りや軽鳧の雛
睡蓮に乗り降り自在軽鳧のひな
瀬の小石越えて母追ふ軽鳧の子ら
太りつつ数の減りゆく軽鳧の雛
半分に減りし子を連れ軽鳧の母
注目の的も外れて軽鳧親子
端午なり路傍の草も花かかげ
椋鳥の子のお尻重たくたちにける
朝あさの木漏れ日の道額の花
椎の香に眠れる魂の幾はしら
遺されし者の植ゑにし花は葉に
母の日や虹のオーロラ全天に
仰ぎみる白帝城や緑立つ
頂に城を載せたる緑かな
青嵐や古く小さき茶の庵


「令和六年靖国神社吟行会」 令和6年「橡」7月号より

2024-06-30 13:03:24 | 俳句とエッセイ
   令和六年靖国神社吟行会 
               選評 亜紀子
 
入選

一席
帰らざる軍馬幾万青葉闇
               我孫子 縄野むつみ       

 靖国神社境内に戦没馬慰霊像がありました。先の戦争で死んだ馬は二十万頭と言われているそうです。ひとたび戦争が起きれば、人も動物も何もかも、帰らぬものばかりです。

二席
白鳩のひしめく鳩舎花明り      
                  勝部豊子

 八月十五日平和の日、神社で手厚く管理されている純白の鳩が大空に放たれます。その鳩舎が今は花の下、白鳩たちのくぐもる声が聞こえてくるようです。

三席
加農砲横たふままに青嵐
              西宮  上尾太郎

 靖国社には武器の陳列展示がなされています。元を正せば、公衆の軍事知識の増進、国防意識の醸成が目的だったそうですが、掲句ではカノン砲はただ青葉の風の中に横たわっています。兵器は永遠に眠らせておくのが皆の願いです。

靖国に風の私語あり花は葉に      寶來喜代子
献桜に聯隊の名よ茂りあふ       山下誠子
父の魂眠る靖国青葉風         藤田重信
靖国へ坂のぼり行く白日傘    市川  中野順子
献木の名札薄れし桜の実        小野いずみ
大鳥居くぐれば花の靖国社       岡本昭子
愛馬の像背に青葉の雫して      木村恵里子
新緑やさやぐラクロス少女団     佐野愛子

 橡四十周年記念大会、お世話になりました。遠方から参加いただいた皆様、ありがとうございます。準備、運営を担ってくださった幹事の皆さまに心より御礼申し上げます。
 会場近い靖国神社は花は葉に、緑の時が満ちておりました。それぞれの思いを胸に、良い吟行ができたようです。都内の方の中には前もって訪れて作句された会員もあったようです。機会があれば季節を変えてまた出向いてみたいものです。
 大会に参加されなかった会員の皆様もここに揚げられた作品をお楽しみいただきたいと思います。
 次回四十一周年に向け、健康に留意してさらに俳句精進を続けてまいりましょう。