選後鑑賞 亜紀子
太陽の塔は熟年夏に入る 渡辺一絵
一九七〇年開催された大阪万博。橡会員の多くは記憶にあることと思う。「人類の進歩と調和」を誰もが、少なくともあの当時の我が国は、信じて疑わなかった。かくいう自分も子供ながらに胸踊らせて来場者ごった返す会場に居た筈なのだが、これといって覚えているものがない。未来像のようでもあり、埴輪のように古代の像のようでもあり、岡本太郎の太陽の塔の一種異様な迫力だけは印象に残った。
本年五月、塔が国の重要文化財に指定されるとのニュース。掲句はこのことを踏まえていると思われる。
現役時代の煮えたぎるエネルギーが五十年余を経て深く沈潜し、今文化財となった事実を「熟年」と捉えたものと解釈。熟年というのは一般的に中高年齢層のこと。その上で夏に入るの季語が、今も健在という思いを暗示しているようだ。真夏の熟年でありたいもの。
ちなみに二〇二五年、まさに開催中の大阪万博は末は賭博場になるそうだ。私たちは如何なる道を歩んで来たのだろう。
春寒の昼餉レンチン独りごつ 福井純史
レンチン、電子レンジで食べ物を温めること。タイマーがチンと鳴って温め終了を知らせてくれる。私の辞書には載っていないが、皆お分かりと思う。電子レンジで温めるなどとは言わず、料理の先生でも「チンする」と表現する昨今。まことに生きている言葉は面白い。春寒、独りごつの語にいい男が一人でぼそぼそと昼飯を食べる様子を見る。この二語がレンチンの語を生かしてくれる。
常節の巣穴を探る磯あそび 北山委子
トコブシとアワビの違いは?トコブシは小さく、身が柔らかい。煮付けておせち料理に入っている、というのが私の理解。どんなところに棲息しているのかなど全く分からない。広辞苑によればトコブシは浅海の岩石下などにすむとある。掲句作者は海に親しいようだ。上からは見えない岩の奥に手探り、あるいは棒など突っ込んで探りを入れるのか。光眩しく、生き物ひしめく春の磯遊びは楽しそうだ。トコブシはアワビと同様に漁業権の対象で、勝手に採ってはいけないとある。それゆえ掲句もあそびとして押さえているのかと思う。
金継の筆先照らす花明り 泉川滉
破損した陶器を漆で接着し、装飾として金粉を撒く。修繕の技法でありながら、繕われた器はまた新しく生まれ変わり、末永く愛用される。日本で生まれた金継は今海外でも注目されているとのこと。その工程は複雑だそうだが、旅の思い出に金継をというツアーなどあるらしい。
掲句、筆先とあるがどの工程か。やはり金粉を撒く筆だろう。花明りのもと、美しい和の光景。
ヘルパーの手捌きすぐれ株分くる 吉田庸子
介護のヘルパーさんは依頼人の要請によって提供するサービスは様々。今日は鉢の株分けを手伝ってくれたらしい。園芸好きな作者と園芸に長けたコンビのようだ。手捌きすぐれとあるから、てきぱきと時間内に作業を終えてくれた様子。春の土いじりはその先の花々が楽しみだ。
茅花流し江の島今日も賑はへり 吉川フミ子
小学六年の修学旅行は江ノ島だった。今も昔も観光名所。あれは秋の旅だったけれど、やはり夏が御誂え向きだろう。茅花長けて靡く頃、やや重たい海風もいかにも江ノ島らしい気分。