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橡の木の下で

俳句と共に

「梅雨の天」令和7年「橡」8月号より

2025-07-28 20:05:31 | 俳句とエッセイ
梅雨の天   亜紀子

青草の煌めく雨滴売地なり
農具借り人借りそよぐ植田かな
江戸古花粋な小花よ菖蒲畑
水無月の青き苔被る瀬々の石
梅雨ひと日お座りできてやり過す
いないないばあを覚えて梅雨晴れ間
猛暑日の鳰はひとりで水潜り
梅雨の天愚が愚を砕く愚を恐る
半夏生岸辺の雨に洗はるる
睡蓮や誰も無言の時の中
忘れ草岸辺に時を過たず
みをに入れ子らを曳きゆく梅雨の軽鳧
厨ごと終へて夕べの茅の輪かな
ぽつねんとまだきの我と茅の輪かな
人真似をよろこぶ赤子夕永し



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「俳句極意」令和7年「橡」8月号より

2025-07-28 20:00:15 | 俳句とエッセイ
 俳句極意   亜紀子

 自分の俳句の世界が狭いのが悩みである。この春はアヒル(カルガモ)俳句ばかりだったような。
 五月一日たまたまいつもより早い時間に徳川園へ出かけた。入り口で係員さんに今日は早いですねと声をかけられ、続けてカルガモが孵ったことを教えてくれる。今年も十二羽ですよと。それから毎日通い、毎日一句。ところが一週間ほど経つとカモの赤ん坊はたった一羽になっていた。厳しい自然の掟。去年も同じように通い、同じような句を詠んでいたなあ。
 園ではカモの生活を優先に一部を通行禁止にする。散策の客は池に張り出した木橋に横一列に並び、向こう岸で何やら餌を漁る親子にカメラを向ける。一群が去れば、また次の一群。水面には白にピンクの睡蓮がほつほつ。その上をヤンマらしい青緑色のトンボが旋回している。サナエトンボか。岸になだれる若楓の奥に楠の木があり、その陰から時折アオスジアゲハが舞い出てくる。
 皆が蒲鉾板のようなスマホのカメラをかざしている中に、立派な望遠の青年が一人。その若者は一群とやや距離をおいているばかりか、アサッテの方向にレンズを向けている。何を撮っているのか盗み見ると、どうやら彼の被写体はトンボのようだ。そろりと近寄って話しかけてみる。迷惑だったらさっと退散しよう。
 トンボですかと声をかけると案外にもすらっと応じてくれた。自分はトンボ専門に追っているのだが、今日は人が多くて撮影は難しいとのこと。トンボは人とカモを嫌っていると言う。トンボは力強く自由に飛び回り人など御構いなしに見えるのだが、観客が多くなるとスッと旋回してその場を離れるのが確かに見て取れた。カモを嫌うのはカモの餌にされてしまうからとのこと。カルガモがトンボも食べるとは知らなかった。毎日見ているのに。
 それにしてもあんなに素早い被写体を撮るのは大変でしょう、連写してるのですかと聞くと、はい、連写は当然ですと。何を言ってるんだこのおばさんはというような響きにちょっと恥ずかしくなる。トンボを追うというより、レンズの中に入ってもらうという感じだろうか。 
 あれはサナエトンボですかと尋ねると、今度は丁寧に、あれはクロスジギンヤンマです。今いるのはほとんどクロスジギンヤンマですね。ここにはサナエトンボはいませんというか、名古屋市内ではほぼサナエは見られないですと。
 クロスジギンヤンマは二匹が取っ替え引っ替えに飛んでくる。縄張りを張っているのだそう。目を凝らすと睡蓮の葉の上にはイトトンボが止まったり、舞ったり。クロイトトンボだと教えてくれる。ヤンマもイトトンボも一つ名前に一括りしているが、見る人が見ればそれぞれの種は歴然。そういう目を持ちたいものである。
 太陽は傾いてきた。カメラマンはそろそろ引揚げようかと迷い出す。小牧の方でまだ撮りたいものがあるのだそう。暗くなっても撮れるのかと問うと、トンボと別にもう一つ被写体があるのだと言う。それ以上は言わぬので、根掘り葉掘りは遠慮した。トンボ好きなら小牧の飛行場かしら。飛行機もトンボも同じ格好だからと想像する。色々教えてもらったことにお礼を述べて、私も夕飯の買い物がこれからなので先に失礼する。
 虫のこと、植物のこと、鳥のこと。深く知れたら毎日楽しいものだろう。俳句にはあまり詳細な知識は不要と言う人もある。浅く広く知っておく事は良いけれど、深く狭く知ることも良いと思う。否、深く知ることは必然的に広い方向へ広がっていくのではないか。トンボおたくのように見えたあの若者はこんなおバアさんにも上手に相手をしてくれて、人間生活上広い経験と知識を持ち合わせているという証拠だ。
 父、星眠は花も鳥も虫や動物も、なんでもよく見て学ぶ態度が真直ぐだった。ことに野鳥は特徴を捉えてたくさんの句を詠んでいる。
 一斉に雪加舌打ち麦刈らる
 落葉敷きつめて尾長の無言劇
 椋鳥のぞろぞろあるき冬ぬくし 
 虎つぐみ滅びの歌を枕辺に 
 青鵐鳴く晴天にして樹の雫 
 翡翠の一閃枯野醒ましゆく 
 波戸にまつ鶚長身明易き 
 水楢の縞の動きて小啄木鳥をり 
 切株をたつ頬白の一呼吸 
 郭公の粗忽鳴きして森くもる
どの句も鳥好きならすぐ納得。鳥の名を知らなくても、詩の心は感得されるだろう。詳しく見て、知って、詩に昇華すること。それは何も自然に対してのみならず、この世の全般、自身に対しても同じことに違いない。俳句の極意はそこにこそあるのではと思いつつ、、。



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「選後鑑賞」令和7年「橡」8月号より

2025-07-28 19:54:51 | 俳句とエッセイ
 選後鑑賞      亜紀子

噴水も奏者も立ちて野外ジャズ  中野順子

 夕永し。まだ十分明るい斜光の中で噴水は律儀に立ちては崩れ、崩れては立ち、規則正しいリズムを繰り返す。ジャズバンドはアドリブとシンコペーション。両者の不思議なコンビネーション。立ち上がるのは噴水とバンドマンのみならず、観客もノリノリ。野外の開放感。

百態の雲の遊べり田植あと    金子やよひ

 田植えの終わった静けさ。緑瑞々しい早苗の間を雲の影は流れ塊り、自由に行き来して、まるで遊んでいるかのよう。これは我々日本人の故郷の景色。

着流しの異国男子や業平忌    奥村綾子

 京の街中だろうか。インバウンドの観光客、日本体験とて和服を着て歩く。長い脛、大股な一歩。下駄を履いているのか、スニーカーなのか。着流しのと上五にくるからには、結構板についた様子らしい。業平忌と言うからには、思わず振り向くハンサムガイ。作者も見惚れたからこその一句と想像した。

薄明の植田は蒼し湖のごと    松瀬弘佳

 まだきの静謐な植田の景。幼い苗は夜明けの淡い光に溶けて、植田は一枚の水に。田圃を蒼い湖と表現した例を知らない。作者は琵琶湖の辺で酒造を家業としているそうだ。米と水が何よりも大切な酒造り。この作者にしてこの表現と納得。

開封の後ろめたさや落とし文   眞塩えいこ

 落とし文の卵の揺籃。好奇心は抑え難く、軽い気持ちで巻かれた葉を解いてみたものの、大事な卵一粒。後ろめたい気持ちが自然に湧いて。この気持ち、後ろめたさと言うしかない、よく解る。
 ネットのビデオでオトシブミの産卵の様子を見た。小さな体で、自分の何倍もの木の葉を、齧って折り目をつけて、端から巻いて、えっちらおっちら。たった一つの卵を中に産み付けると、最後に葉の付け根を噛み切ってぽとりと地に落とす。およそ一時間半から二時間近い重労働。オトシブミは沢山の卵を産まず、一つ一つを大事にする作戦を採択しているらしい。

鈴ふりつ巣材くはふる鷦鷯    池田節子

 星眠先生の句に

 餌をくはへゐる鶺鴒の腹話術 (青葉木菟より)

というのがあった。小鳥の芸当は本当に不思議。掲句の鷦鷯も巣材の苔を一杯に咥えてなお声を響かせているのか。あるいはチャッチャッと地鳴きだろうか。この鳥は小さな体に似合わぬ大きな鳴き声で、音色は高く澄んで美しい。私などは人里離れた渓谷でしか聞いたことがないのだが、ちょこまかと動き、よく鳴いて、割と人馴れするので実際は親しい鳥なのだろう。そういえば、星眠先生があちらこちらでお喋りして歩く人のことを称して「ミソッチイ」と呼んでいたのを思い出した。

橡の花あまたの燭を夜の園    岩下和子

 円錐状にたくさんの小花を付ける橡の花。まるでカテドラルの燭台。橡会員には親しい花と思う。新会員になったばかりの頃橡の花など見たこともなかったのが、ある日の山登りでちょうど開花時期に当たり、初めてその咲ざまを見て感激したという人の話を聞いた。ことに大木の数の花はインパクトがある。
 掲句の作者はベテランだから橡の花は過去にも詠んでいることと思う。ここでは「夜」が詩的に響く。夜歩きの公園。橡の花は文字通り燭を掲げているのだろう。安中の星眠先生の庭、橡の木の花は夜は暗闇で見えず、もっぱら昼間に見た記憶。




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「百合匂ふ」令和7年「橡」7月号より

2025-06-28 16:10:09 | 俳句とエッセイ
百合匂ふ   亜紀子

あるか無き身にも縄張り糸とんぼ
脇長屋夕日うつろふ薄暑かな
会へばまた別れは来たり若葉雨
若きらを乗せて離陸の風薫る
朝涼し花の名前を尋ねあひ
朝あさの社にこぼる黐の花
眠りこそ妙薬ならめ椎の花
フォロワーはロマンス詐欺師百合匂ふ
杜鵑ひと日こつきり忽と消え
ビルの谷奔流のごと神輿渡御
囀るやニコライ堂の庭雀
若葉風通ふ貧しき神父寮
聖堂は小さし枇杷の実まだ青し
寝返りが打てたとラインこどもの日
秘蔵つ子の一羽となりぬ軽鳧のひな


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「神田神保町界隈吟行会」令和7年「橡」7月号より

2025-06-28 16:04:19 | 俳句とエッセイ
令和七年神田神保町界隈吟行会
            選評 亜紀子

入選

一席
腰窓にマロニエの花書肆二階      山﨑淑子

毎年五月大会は橡(マロニエ)の花の盛り。神保町の横町にも紅花トチノキの並木が続いていた。界隈には戦災を免れた趣深い建物が残っている。腰窓、マロニエの花、書肆の二階、どこかウイーンあたりの素敵な街角に居るような。

二席
平積みの赤札古書にみどりさす     緒方眞帆子

いかにも古書店街の五月。良き出物が見つかったろうか。

三席
友を待つ古書肆に聞くや祭笛      松尾守

 折しも神田祭のこの日、どこに居てもどこからか威勢のいい鉦、太鼓の音が聞こえて来た。

古書店の長居の翁夏帽子        勝部豊子
風薫る理工専門書の書泉        深谷信郎
立ち読みのはしごの神田ソーダ水    吉藤青楊
古書街で父の書に逢ふ青しぐれ      鳥越やすこ
少年の素足踏ん張り太鼓打つ      小谷真理子
もむたびに肩に食ひ込む荒御輿         大塚洋二


五月大会も四十一回を迎えました。運営を担ってくださった幹事様がた、また遠方をお越し下さったかたがた、全ての皆様に感謝です。今年は趣変わり神田神保町の吟行会も楽しいものでした。神田祭真っ最中、これまで皆様の俳句でしか知らなかった、否、知っていたように錯覚していた祭の賑わいを肌で触れ得たことも収穫でした。
 
吟行会参加者詠草

スマホ繰る店主や古書の街薄暑     福元和雄
立ち読みの柳の青む古書通り      吉藤淳子
黒南風や古書肆に地上げ阻止の檄    久保裕子
宮入りへ神輿躍らせ神田町       杉山哲也
古書店の若き店主や青楓       松本もとじ
開け放つ古書肆の扉のどかなり    北原和音
聖堂の影に点りし白十字       折田幸弘
春光のとどく古書肆の中二階      谷眞理子
銀輪を降りず本繰る春の書肆     志水美穂
相乗りの力士降りくる祭笛      斎藤博文
古書街の閉店多し黄金週        藤田重信
古書漁る神保町や若葉風        菅原ちはや
神田祭犬も揃ひの法被かな       佐野愛子
薫風やチャリのまま選る文庫本     大出岩子
神輿五基ゆくしんがりは乳母車     仲上順子
練り歩く神輿に続く清掃隊       片岡嘉幸
金箔の神田神輿を扇ぎけり       馬場奈穂子
地下店に舁き手休ます夏祭       藤原省吾
御神輿の波遠ざかる学生街       吉村姉羽
夏来たる釣人今も外堀に        梅沢仁治
夏近きカフェや野ばらのティーカップ  瀬尾とし江
浮世絵店多国語弾み春うらら      今井はつ江
夏空に吸はれし神の白き鳩       後藤知朝子
夏めくや古書街カレー激戦区      中野順子
バブーシュカの母子額づく春の燭    縄野むつみ
橡咲くや古書店街の華やぎぬ      清野富子
古書の街神田祭の注連飾る       角田はる子
棚主をつのる古書店風五月       木村恵里子
夏来たるカレーの聖地神保町       飛川亮子


 
          

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