橡の木の下で

俳句と共に

「チューリップ」令和6年「橡」3月号より

2024-02-27 16:15:33 | 俳句とエッセイ
チューリップ      
         亜紀子

白き尾が風にちよろりと猫柳
めかぶ好き二月生れの子も我も
節分を前に角出すチューリップ
主より犬の外套あたたかく
つれづれに小豆煮てをり寒の雨
窓まどに皆一家族ヒヤシンス
つぼみたる檸檬光の春の中
冬日ざしランチお洒落なコッペパン
翡翠に岸辺片寄る冬帽子
雪の富士左右の車窓に旅初め
菰被る高楼いくつ風の中
冬三角明日は良き日と見上げたり
探査機を入れて一月望の月
人智とは何ぞと問へば星凍る
ネタニヤフ凍つる亡霊枕辺に

「ある日の句会から」令和6年「橡」3月号より

2024-02-27 16:08:54 | 俳句とエッセイ
ある日の句会から     
            亜紀子

 今年度から東京例会の会場は代々木のオリンピック記念青少年総合センターから、新宿百人町にある俳人協会の俳句文学館に移りました。月によって若干異なることもありますが、基本俳句文学館の地下会議室拝借です。最寄りの駅はJRの新大久保駅ないし大久保駅。駅界隈は車や人の往来盛ん。代々木では例会前に明治神宮や代々木公園の森ミニ吟行を楽しみましたが、ここでぞろぞろ吟行するのは難しいようです。それでもコリアンタウンと呼ばれる街には美味しそうな韓国料理や、グッズの店が並び、さらに韓国以外のエスニックな店も賑々しくカラフルで、ついキョロキョロしてしまいます。若者ばかりの人の流れの中、いささか気後れもありますが、新しい吟行地として材料に事欠かぬようにも思います。
 文学館は繁華街から住宅地に入ったところにあり静かです。会議室はその中にあってなお一層静閑。例会開催には打って付けでした。今回はちょうど季節的に日向ぼこを使った句がいくつか出て、そもそも日向ぼこは人間の行動であるから、安易に主語を人間以外に汎用してはいけないという指摘が出ました。その通りで、日向ぼこに限らず擬人化は要注意というアドバイスと思います。晩秋や早春に、蝶が日差しに翅を広げてじっとしていることがあります。目が覚めた蜥蜴が日当たりの石の上で何やら沈思黙考姿勢のこともあります。これなどはまさに日向ぼこなのですが、彼らからするとそんな人間の呑気な言葉を使って欲しくないと言われそうです。無事生き延びるための行動ですから。人間を詠むにしても使い古された日向ぼこでなく、独自の詠み方をする必要がありますね。結局、独創が鍵なのでしょう。
 星眠先生の『俳句入門』の「比喩の句」の章で、比喩、擬人は俳句を面白くするがたやすく作ることができるので深い感動なしに機知によることが多くなり、飽きがくる。独創がなくてはならず、比喩、擬人が表面から隠れて目立たず底に沈んでいる句境に行ければよいのだろう、水原秋桜子、阿波野青畝の句を学ぶようにと記されています。常に心します。

名古屋橡会 一月十三日(土) 三浦亜紀子

①元旦が地震警報に暮れてゆき 
②冴え冴えと星無情なり地震のあと
③二日はや鳩もまだきの神の前
④もの買はぬ暮らしはや了ふ三日かな
⑤垣に沿ふ目白も好きな朝の径
⑥雪の富士左右の車窓に旅初め
⑦冬温し百人町は軒寄せて
⑧ネタニヤフ凍つる亡霊枕辺に

『葛飾』昭和五年 水原秋桜子 三十八歳
(春)
蟇鳴いて唐招提寺春いづこ
馬酔木より低き門なり浄瑠璃寺
梨咲くと葛飾の野はとの曇り
連翹や真間の里人垣を結はず
葛飾や桃の籬も水田ベリ
鶯や前山いよよ雨の中
高嶺星蚕飼の村は寝しづまり
天平の乙女ぞ立てる雛かな

 東京の数日後、名古屋句会で提出した拙句稿。今月からメンバー一人づつ順番に何か勉強材料も持ち寄ることになり、先ずは私が水原秋桜子の処女句集を選びました。同じページに八句ずつ並べて印刷。名古屋の句会の少し前に「橡」誌に投稿済ませたところで、拙句は大方が投稿できなかった残り物ですと言うのは見苦しい言い訳。この格調の違い!秋桜子三十八歳、三浦六十四歳と言うと、一斉の笑いを取りました。
 いえ、この材料の狙いは笑いではなく、秋桜子の調べに学びたいということです。五七五の俳句の調べが血肉になるように、繰り返し繰り返し学んで行きます。

「選後鑑賞」令和6年「橡」3月号より

2024-02-27 16:02:56 | 俳句とエッセイ
選後鑑賞      亜紀子

紅さして薩摩野路菊老い初む  前薗真起子

 昨年十二月号、宮地玲子さんの特別作品「諸処流転」の中で薩摩野路菊を知る。
 玲子さんの句 
岬までさつま野路菊ひろごれる

潮風に吹かれながら咲きひろごる野菊とはどんな花かとゆかしく思われた。鹿児島、熊本、屋久島の海岸に咲く日本固有の野生ギクで、園芸種の原種の一つだという。写真で見ると白い小柄な一重の花、葉裏に銀白色の毛が生えているそうだ。勁く可憐。東北のハマギクを思い起こす。掲句によればこの白い花の終わりは紅色がかって枯れていくのだろう。その景色もまたゆかしく思われる。

伊吹背に湖に揃ひて漁始    岡田まり子

 伊吹山を背景にして琵琶湖に並び出た漁り船。今年は暖冬ゆえ山が白くなることも少なく、果たして今朝の姿はいかに。漁師はもちろんだろうが、眺める作者にも新しい気持ちが満ちているようだ。

唐辛子撒く手も赤き雪晒し   新井実保子

 純白の雪の上に撒かれた唐辛子。最も寒さの厳しい寒の内の作業。さぞやその手も冷たかろう。多分手袋くらいは嵌めていると想像するのだが、手の冷たさをいうことで、雪と唐辛子の紅白のコントラストが一層際立つようだ。雪晒しで唐辛子のえぐみが抜けるとのこと。この唐辛子を使ったかんずりは食卓の共。

正月を救援物資粥啜る     島崎善信

 元旦の北陸激震、その後明らかになった被災状況。
言葉もない。作者は七尾の人。一帯はまさに掲句の状況とお見舞い申し上げる。句稿を頂戴していささかの安堵。

着ぶくれて釦ちぐはぐ軒雀   鈴木月

 ふっくら膨らんだ寒雀の姿。コートの釦を掛け違えているとは気が付かなかった。そう言われればその通り。

毛糸帽目深に尼の庭掃除    上中正博

 小柄な尼様。暖かい毛糸帽はおつむりに必須。身軽に立ち働けるようにお召し物は案外な薄着。てきぱきと朝の庭を浄めて、、という情景を一読にして思い浮かべた。

総立ちにオペラ沸き立ち年詰る   熱田秦華

 年末コンサート。ブラボーの渦に幕が降りたようだ。「立ち」の語の重なりが作者の胸の内の去りやらぬ感動を伝える。


初泣や姉につづきて弟も    はせ淑子

 幼の喧嘩だろうか。お姉ちゃんが叱られて泣けば、弟も一緒に。何が原因だったのか、どちらがどうしたのか、今となっては何がなんだか。賑やかなお正月がめでたい。

野水仙能登は底から揺さぶらる   熱田千瓜

 能登半島を中心の今回の地震はまさに底から揺さぶられたよう。海岸も隆起。水仙は北陸を思い起こす花。
福井辺りはそれでも無事で、例年の水仙まつりも開催されるようだ。

蒼白き月光被き冬桜      南雲節子

 昼間もどこか物寂しい冬桜の風情。夜の姿は青白い月光が似合うようだ。納得。