橡の木の下で

俳句と共に

「初蛙」令和4年「橡」6月号より

2022-05-31 15:52:21 | 俳句とエッセイ
 初蛙   亜紀子

初蛙ゆふべは閉ざす園の内
一日座す窓に傾く春夕日
散りつぐや夜の木蓮の音たてて
満開の花に老いゆく小家かな
営巣の四十雀らし愛想なき
小流れのはやる心に榛の花
春落葉積もる風情や外厠
四月はや藤美しく訝しく
水引けば先づ水草生ふ菖蒲園
雪柳真白に香る鉄路沿ひ
高架線花を綴れる西東
春月や野良に餌をやる人の影
若人に鬱鬱雨の椎の花
葉桜や余興をさらふ新社員
ワクチンへ花も嵐も踏み越えて


「ウオーキング」令和4年「橡」6月号より

2022-05-31 15:50:07 | 俳句とエッセイ
ウオーキング      亜紀子
 
 ゴールデンウイークの始まり。曇り空。椎の花の香りが鼻腔を通じて頭の芯まで沁みてくる。七階のバルコニーからその鬱勃と咲く花が同じ高さに眺められる。天気はこれから崩れてくる予報。毎夜のウオーキングが今日は無理かもしれない。今のうちに歩数を稼いでおこうと、顔だけ洗って朝の散歩に出る。
 まだ開門前の徳川園の垣に沿う小道を抜けて行く。 おはようございますと声をかけて私と反対方向へ過ぎて行く人たちはこれからラジオ体操へ。もう少し早く起きて来れば良かったな。ここ数日園の内から大瑠璃とおぼしき鳥の声が聞こえる。開園して人が来ると静かになってしまうので、一度は夜明けにでも来て垣の外から覗いてみようと考えていて実行していなかった。いや既にどこか山の方へ渡ってしまったかもしれない。隙間から渓流の途中の小さな池が見える。楓の新緑が覆いかぶさり緑を映す水の面が時折動くのは鯉の群か。
 つい先日まで足元にびっしりと散っていた樟の落葉が今朝はあらかた片付いている。毎日ブロワーがエンジン音も凄まじく日がな一日古葉を吹き飛ばしていたのもそろそろ終了したらしい。入れ替わりに凄まじい勢いの若葉。樟大樹に畏敬の念。
 以前に書いたことがあった。越して来る前の借家の庭の樟の木。狭い地所の中で大きくなって、根が悪さをしだしたので伐採してもらった折、切り株には盛り塩をしておいてねと庭師さんから言われたこと。樹木の命。このところ都会では再開発の名のもとにあちらこちらで木の伐採が計画されているらしい。盛り塩がたくさん要るなあ。事業者と行政が一体となっての開発。当初の計画にはコロナやウクライナの戦争の予想は入っていなかったろうし、しかも人口減少は止まりそうもない中で果たして将来思い通りにことが運ぶだろうか。捨ててしまうことの弊害の方が市民生活全般にわたって後々まで大きそう。開発事業者に利があっても、市民に利がなければ結局行政に利は生まれない。
 ところで引越し前の家をグーグルマップで検索したところ、ストリートビューの写真に家のフェンスの中で洗濯物を取り込み中の私の姿が写し出されていて家族中の笑い種になった。しかししばらくすると同じ時に撮られたと思われる別の角度の写真が掲載されてプライバシーは守られた(?)ようだ。その後大家さんが土地を手放されてから近くに用事があって一度立ち寄ったところ、既に更地になっていて樟の切り株など跡形も無かった。偶々会えたお隣さんとの立話になんでもアパートが建つとのことだった。そして現在パソコン上では建設途中の建物が写っている。いやはや、便利というか何というか、昔には思いもつかなかった世の中だ。こんな呑気なグーグルなら良いけれど、爆撃前、爆撃後の写真を見比べさせられると気が遠くなる。
 いつもの通りの道筋。三十分ほど歩く。年末にばっさり枝を落とされた街路の唐楓がその枝から健気に若葉を噴いている。この街並がいつか懐かしい思い出になるだろうか。毎日なんだか無我夢中のような気がして、じっくり心寄せるという感じがない。故郷の家は別として昔住んだ土地、通った道の記憶なども今はとても薄い。往き還りした学校への道を忘れていて同じところを辿れと言われても無理な気がする。とうの昔に取り壊されて無くなっている変わった間取りの母の実家が不意に思い出され、胸締め付けられるような気持ちになることがあるが、はて、どの駅からどう行ったものか思いつかない。自分だけのことだろうか。他の人はどうだろうか。ある程度記憶として定着したものは脳のどこかに仕舞われているそうだから、グーグルにはなくても、切っ掛けがあれば突然堰から溢れてくるというような日が来ないだろうか。もっとも現実の姿は昔の記憶とは全く変わってしまっているだろうが。
 七時、香ばしい匂いのしている開店前のパン屋の角を曲がり、一路再び徳川園傍の道に戻って来た。あれ二声、大瑠璃が森の奥の方で鳴いたようだ。姿を見極めないと私の耳では確かなことは言えないのだけれど。さあ家では洗濯物が待っている。


選後鑑賞令和4年「橡」6月号より

2022-05-31 15:46:37 | 俳句とエッセイ
 選後鑑賞 亜紀子

残雪に間伐すすむ山毛欅林  阿部琴子

 山毛欅の森は美しい。新潟には名を知られた山毛欅林がある。森を健康に保つための間伐作業は葉を落としているこの時期に行われるのだろう。いまだ冷たい空気をチェーンソーの音が震わせる。残雪、すすむの語に自ずと雪解け進み、芽吹きの季節がすぐそこに来ていること、これからの瑞々しい木々の季を思う。

日永しや見越しの松に庭師ゐて 中山正子

 お屋敷の塀の上、松ケ枝に人影を見る。おや、庭師がまだ仕事中。もうこんな時間なのに、そういえば明るい。日永の情感たっぷり。

咲き初めし花に車窓を寄せくるる 南雲節子

 家族の車で外出の折、たまたま咲きはじめたばかりの桜に出会ったのか。お花見に来たわけではないが、俳句の種の一つにでもとの心遣い、花の傍まで車を近づけてくれる。まだ咲き初めたばかりの花というところ、いっそう思いやりの深さを感じた。

襟元を直し合ひたり新社員  長井恒治

 つい最近、どこの会社の新人研修、あるいは親睦会か、リクルートスーツに身を包んだ一団が徳川園の美術館の前に集合しているのに出会った。先輩とおぼしき引率者と新人とは同じような格好をしていても区別がついた。なんとなく緊張気味の一団ではあったが、お天気の良い日でどの表情も明るく見えた。掲句のような始まりから、後々まで、同期の繋がりは特別なものがあるらしい。

十三まゐり雨に肩寄す一つ傘 小谷真理子

 関東で育った私には十三詣りの体験はない。しかし最近では関東でもお祝いする所があるらしい。数え十三歳になった男女が虚空蔵菩薩にお詣りして福と知恵を授けていただくという行事。一度関西での吟行の折にお詣りの家族に出会ったことがある。美しい着物の女の子、母親、父親。今時の子は十二、三歳ともなると体も大きくしっかりして見えるが、ようやくティーンエイジャーの入り口。両親と一緒の姿はやはり初々しい。掲句、あの家族がたまたまの雨に一つの傘に寄り合う姿を想像できた。音調がお詣りの情緒を表すのに一役買っている。

蓮を植う板一枚に身を置きて 高田くにゑ

 蓮根畑、田んぼと言うべきか、蓮根栽培の作業は暑い最中も寒い冬もいつも泥の中。掲句は春先の種蓮根の植え付けと思われる。板一枚に乗っての作業というから、あらかた水を抜いてある田なのだろうか。こういうことは実際を見たことがないと分からないが、身を置きての措辞に蓮田に働く人へ心寄せている作者の心が見える。

断捨離の七段雛のおたきあげ 玉井和子

 立派な雛壇の断捨離とは。人形はどんなものでも処分するとなるとちょっと戸惑いを覚える。人の形をしているからだろうか。ましてや雛人形であればこれまでの様々の思い出を纏っているのだから勇気が要る。しかしお焚き上げは捨てるということではなく、感謝を込めて供養するということだから持ち主も納得できるのだろう。掲句の詠みぶりもどこかさっぱりとしている。断捨離とは物の問題ではなく、気持ちの問題なのだと教えられた。


姨捨山の奥も又山鳥ぐもり  池田節子

 奥も又山、鳥ぐもりの言葉の連なり、音の調子。信州姥捨山の伝説を十七文字で言い尽くしているようだ。

成人詐欺注意メールや四月馬鹿 豊田風露

 本年四月より成人年齢が十八歳に引き下げられた。若い人が契約に伴う消費者トラブルに巻き込まれぬようにという注意喚起のメールだろうか。まさか偽メールではないでしょうねえ。お上も含め、弱い者への優しさが失われていく世の中。まさに四月馬鹿と言いたくなる。


令和4年「橡」6月号より

2022-05-31 15:43:17 | 星眠 季節の俳句
郭公の素知らぬこゑの顔みたし  星眠
                (営巣期より)

 托卵して知らん顔で歌い続ける郭公。掲句に並んで、
郭公の粗忽鳴きして森くもる  
 けけけと早口に躓いたような地鳴きも。
                  (亜紀子・脚注)