耳なれぬひと節はさみ囀れる 亜紀子
寒中 亜紀子
過敏にて腹が据らぬ大試験
旅の約つらね卒業乙女はも
寒風や引け時の子らどつと出て
この寒さ寒中なれば何の其の
寒締めや身の養生を先づもつて
雪催つぐみが落す声ひとつ
思ひ出す朝あさ氷張りし頃
我ながら野太き嚔してゐたり
鵯どちの糧大寒の樟の実は
つぎつぎと土に声あげ蕗のたう
枯木みな春の予兆の雨しづく
春来つつあるらし夜気に知られける
冴返る忌と思ふゆゑことさらに
ヤブキリ 亜紀子
キリギリスの仲間にヤブキリというのがいる。樹上を生活場所としていて、藪に棲むキリギリスの意味だそうだ。体長は五センチほど、なんでもよく食べるが大人になると肉食傾向が強くなるという。卵で冬を越し、春に孵化して六月半ばを過ぎて成虫になる。羽化前の小さな幼虫の頃は花や花粉が好物とのこと。蒲公英、菫、チューリップなどにちょこんと乗っている緑色の可愛いらしい姿の写真を見たことがある。
虻切と蟻黙々と石蕗の花 関東忍
関東さんの句稿を最初に拝読した時アブキリというキリギリスもいるのかと思った。藪キリは食いしん坊であるから成虫でも花を食べにくることがある。虻キリもその態で残り少ない秋の日差しにつられて石蕗の花粉でも食べているのだろう。それに今年は秋も暖かだったから花も昆虫も長い間活動していたようである。はてどんな虫かと図鑑などをあれこれ探してみた。そういう虫は見当らない。そのうちに「ああ、虻せつとと読むのか」と合点する。納得がいきそのまま原稿を印刷所に回し、数日後に初校が出てきた。初校校正を始めて再び虻切に引っ掛かってしまう。この前調べた折のことをすっかり忘却。正月明けから「アブキリ」とは何ですかと頓珍漢な電話を差し上げることとなった。
関東さんに最後にお会いしたのは二十年以上昔、確か同人総会の席だったと記憶している。その後は誌上でお目にかかるばかりですっかりご無沙汰していたのだから、突然の頓狂な質問に面食らわれただろうと今になって反省している。関東さんは少し驚かれたようだったが「虻切々と」と書いたつもりでしたと返事をいただく。「虻切々と蟻黙々と石蕗の花」で二校に出すことになり、お互いの無沙汰を詫びつつなどして電話を切る。関東さんは美声である。電話口の声は若かった頃よりさらに優しく穏やかだった。その口調には好もしい年輪が感じられて積み重ねられた時間が滲み出ていた。
さて今一度句を見ると上五が「虻切々と」では二字余りになる。関東さんは字余りの作品はほとんど作らない。こちらも慌てての電話であったから「虻切々蟻黙々と」ではなかったろうか。これでもまだ一字余りなのだから、きっとそうだ。いや、それとも漢字ばかりの重なりを気にされて平仮名の助詞を一つ入れられたのかもしれない、などと心配になってしまう。しつこいようだが二校校正でもう一度確認しようかと考えていた矢先、今度は関東さんから電話をいただく。昨日の晩、夜中にふと目が覚めて「虻切々と」と言ったように思い出したのだが「と」は不要であると話された。ここで、そもそもの私の勘違いとヤブキリのこと、「虻切と」で字数が合うこと、切々では漢字の多さが気になるかどうかなどについてやり取り。二校校正締め切りまで考えていただきその後で最終案を教えていただくことになる。
虻切々蟻黙々と石蕗の花 関東忍
最終的に決定し二月号に掲載となった作品。どうと言う事じゃあないんです、たいした問題ではないのにと仰りながら、独り目覚めた真夜に一句に思い巡らす関東さん。五七五の一字一句に心を砕く。星眠先生の教えよろしく、いかにも橡の同志である。秋も進み虻や蟻の最後のひと働き。私なら小春の石蕗の花上の宴ぐらいに見てしまうだろうが、小さな生き物の必死の営みに目を凝らし、その情趣を言い取るところが関東さんらしい。我が身ままならぬ多忙の日常と洩れ伺っている。四捨五入同世代のよしみ、いつか吟行や句座をご一緒させていただけたら楽しからんやである。
世はもうじき立春。さらにあっと言う間に時は前進、ヤブキリの赤ん坊が春草の花をひと齧りする季節が来るだろう。