橡の木の下で

俳句と共に

「蜂の巣」平成30年『橡』8月号より

2018-07-28 09:48:14 | 俳句とエッセイ

 

 蜂の巣   亜紀子

 

夜は壊す蜂の巣づくり眺めをり

小さき声ほいさほいさと蟻の道

今日も行く蟻の街道梅雨に入る

家閉ぢて蝸牛がものを思ひをる

朝あさのラジオことなく梅雨入りかな

白き花好みの小さき梅雨の庭

起きぬけの小翅乾かすしじみ蝶

風蘭や言葉少なに時流れ

サーファーの黒き鵜衣梅雨の海

梅雨冷の鯛のあら汁味噌仕立

梅雨のひま荷台荷籠に子を乗せて

神さびてしじまに耐ふる梅雨の森

寺町の異国情緒の薄暑かな

四十雀雨後の緑に声すすぐ

初蟬か心もとなき吾が耳に


「大須観音」平成30年『橡』8月号より

2018-07-28 09:45:14 | 俳句とエッセイ

 大須観音   亜紀子

 

 「大須観音」詳しくは北野山真福寺宝生院は名古屋市内にあり、東京浅草観音、三重の津観音と並ぶ日本三大観音霊場の一つ。縁起によれば十四世紀前半に後醍醐天皇の勅願により僧能信が岐阜県羽島の大須郷に開山した北野天満宮に始まる。大阪四天王寺から移した聖観音を本尊とし、時の権力に支えられて繁栄、徳川の世の名古屋造営を機に現在の地に移転されたとのこと。善男善女を集め、市の一大中心地として活気を呈していたという。しかし、伽藍は失火や戦災で消失、現時点では再建された鉄筋の本堂と仁王門を見るのみである。

 門前町は参詣客目当ての土産屋や茶屋で賑わい、やがては盛り場となった由。名古屋育ちの人に聞くと、一昔前は大須には足を踏み入れてはいけないと言われて育ったそうである。その後商店街へと変貌し、現在は昔からの演芸場などと共に、古着屋、アニメやゲーム関連の店、珍しい食べ物屋など若者や海外からの客人も目当てのカラフルな町となっている。世界コスプレサミット開催も有名だ。

 梅雨にしては暑過ぎる晴れた一日、家の若い者を連れて大須巡りを試みた。連れてというのは言い草で、実際は若い者に連れられてケータイのグーグルマップ頼りである。私はガラケーをこれまで一度も機種変更せず使用している。いい加減に変えたら、便利だよと若い者は笑うのだが一向に不便を感じない。というよりは自分が不便をしていることを知らない態なのだ。こうなると我ながら正真正銘のガラパゴス、生きている化石。

 最初に腹ごしらえ、ピッツァ屋へ。観音様の門前でなにゆえイタリアンかと言えば、その店主がナポリで修行し、ナポリの世界ピッツァ大会で優勝した職人さんなのだ。道案内人はケータイを片手にくるっと方向転換して、グーグルの地図に合せて歩いて行く。地図を読み取るというのでなく、自分がグーグルマップ内の人形と化して写真の中を進む感じらしい。目的の薪窯焼きピッツァはなるほど香ばしく美味しかった。隣りのテーブルのお嬢さん達は海外客らしく、英語、日本語、スペイン語が入り交じっているのが今の大須らしいところ。それからしばらく古着屋を彷徨う。ウイークデーの昼日中、若者の町は閑散。最後に観音様にお参りする。私たちが不信心者なのはお見通しだろうが、お線香をあげて神妙に祈り香煙を浴びる。御堂の前では餌皿を持った幼をめがけて夥しい鳩が舞い降りて来て、境内に白い砂埃が上がっていた。

 さて民法改正で二〇二二年から成人年齢が十八歳へと引き下げられる。二十歳成人が定められたのは明治時代。晩年の子規が老熟、達観した随筆を書いたのは三十代前半。明治の人は大人だった。その明治の認識で大人を二十歳としているのに、現代の若者が十八で成人とされるのがどうも解せない。もっともいつの時代でも「今の者は昔と違う」と言われるそうではあるが。しかしそれでもなお現代の若者は若者でいなければならない時間が長く、習得しなければならない知識が多く、その途次で大人の仲間入りさせるのは気の毒でならない。導き手の良い大人が十分に居るだろうか。

 大須を後にする間際、植物繊維が入った粘りの強い、溶けにくいトルコアイスなるソフトクリームを食べ食べ歩く。食べながら思い至る。別に現代の若者が幼稚なのではない。このアイスクリームを舐めている私自身も、法を定める大人自身が皆幼稚化しているわけだ。この世は全体として動いている。大人が小児化していては、結局まともに社会は動かない。本当の子供であるなら無垢だから良いけれど、大人には純真というものがないから始末が悪いのだ。即ち愚鈍ということだ。そして愚鈍であることに気が付かない。頭を寄せて文殊の知恵を生むことのみが打開の方策だと思われるのだが、大人は対立する。若い人を守り育てるのは大人の責任のはずだろうに。不甲斐無いのは己である。