橡の木の下で

俳句と共に

「薔薇芽吹く」令和4年「橡」4月号より

2022-03-28 11:47:49 | 俳句とエッセイ
 薔薇芽吹く    亜紀子

生き物の不思議の時計日脚伸ぶ
なやらひや伊吹颪もひと暴れ
殉職の碑は戦没碑冴返る
雪壁にトリプルコーク1440
草の芽やわづかな土も笑むやうな
ものの芽や堤一里を小半日
呵呵と鳴く万歳寺の春鴉
来週も来るわと梅のまだ固き
梅ふふむあれこれ護符のきらびやか
面白や霰小紋のアスファルト
蠟梅や夜々の散歩のまがり角
千百本棘より小さく薔薇芽吹く
啓蟄や築地の破れを子らも出て
点を打つ園の日永の鹿威し
あれやこれ夢に遊んで冬籠


「生物時計」令和4年『橡』4月号より

2022-03-28 11:42:48 | 俳句とエッセイ
 生物時計     亜紀子

 二月に入ってから水槽の生き物が何となくわいわい言い始めた。海水槽の寄居虫や蟹、貝や小魚たちの動きが活発になり餌もよく食べる。家人の趣味のこの水槽は窓から離れた壁際に置かれ、照明は電波時計に合わせたタイマーが正確に点灯・消灯を繰り返している。紫外線照射で水質を保ち、水温も年間を通じてほぼ一定。環境は何も変わっていないはずだが、小さな箱の中はまるでお彼岸の頃の磯のように見える。窓から入る光の春を感じ取ったのか、それともお日様と月、地球との目には見えぬ力の影響か。あるいは気のせいかしら。ここへ越して来てちょうど一年、あっという間のようにも思うし、とても長かったようにも感じる。兎にも角にも時は止まらず過ぎてゆく。
 山形の鈴木幹惠さんの句稿が二月一番に届いた。添え文に病院の生活一年になると記されている。入院生活には自宅での毎日とはまた異なる時が流れていると思う。長かったろうか、早かっただろうか。

  鈴木幹惠
萩猿子凍てつく蓬喰みゐたり
臭木の実雪飛ばし食む烏の子
亡き夫と紅葉狩する夢の中
病窓を蜻蛉交尾みて通りけり
梅雨未明抱卵の鴨襲はるる

 鈴木さんの作品には思い出を材料にした句もあるが、多くは病院の窓から日々眺めたもの。かつて探鳥とカメラ、紅花染めを中心にした染色に明け暮れ、それぞれに長い経験と深い造詣を持つ人ならではの五感を働かせた観察が活きている。私など写真でしか見たことのない景が驚きだ。それに雪の頃の鴉が親か若鳥かなどの区別は私にはできないと思う。

  鈴木幹惠
ちよこまかと雪虫を食む尉鶲
雪の池鴛鴦一羽おもちやのやう
鵙の贄いつか失せをり庭の隅
病窓より朝日をろがむお元日

 お元日の句は一昨年の暮れに体調を崩し最初に病院で迎えた朝日。それからもう一度同じ窓から今年の初日を拝まれたとは。事物を詳しく観る習慣のある人は退屈や大きな不安に呑まれないのだろうか。退屈も不安も自身の内側にあるもので、外界には存在していない。
 ところで歳時記にあるように動物も植物も生きているものは一年の時計を持っている。春の磯の生物も体の中に備えたこの季節時計に従っているのだろう。年間時計とは別に一日単位の時計もある。地球の自転に適応したこの時計はあらゆる生き物に共通の時計で夏でも冬でも温度に影響されない。また例えばネズミを常に真っ暗な中に置いてもリズムは狂わないという。約二十四時間という周期はかなり正確。且つ周囲の環境に同調することもできるのだという。猩々蝿の一日の活動周期を決める遺伝子とその働きが判明して以来様々な事実が明らかにされてきたとのこと。そういえば私も春眠暁を覚えずなどと吟じつつ、やっぱり同じ時刻に目が覚める。
 二十四時間時計はもっと単純な生物でも発見されている。光合成をする細菌の一種でその活動リズムを決めている蛋白質が明らかにされた。なんとその蛋白質、試験管の中でそれ自体でちゃんとリズムを作り出す。もはや生物体とは呼べない小さな蛋白が潮の満ち引きのように変わらぬリズムを刻んでいるとは。
 俳句では五七五音で四拍子を刻むと言われる。日本語という言語環境の中で学習したリズムなのだろう。しかしもしかしたらこのリズムを規定する小さな究極の素があったのでは。むずむずと無数の細胞が声を上げているように夢想する。さらに、この世にあるものはこの宇宙に存在するものでできていてそれ以外では有り得ないのだから、生物、無生物の区別なくあらゆる物の根源は一つで、石ころと人間の間にはそう大きな飛躍があったのではないのかも。連綿と一続きのものなのかもしれない。そう思えてきて妙に気持ちが落ち着いた。