橡の木の下で

俳句と共に

「水逸る」令和5年『橡』5月号より

2023-04-28 12:28:52 | 俳句とエッセイ
  水逸る   亜紀子

水逸る万の楓の花咲けば
ふるさとやなづなはこべらほとけのざ
きのふ今日雀隠れも花盛り
春雨や百日紅の絹の肌
三月や鳩も鴉も籠編んで
枝を交し芽吹く楓や滝の前
木蓮も我もコートを脱ぐ日和
迷ひ込む路地から路地の椿かな
くれなゐの今日一斉に牡丹の芽
満開や清明山の雪柳
鶯神楽咲いて陽気な異国びと
忙しくおかめ桜の雀どち
花の下雀のやうな子供たち
モノレール巣組む鴉の高さなり
コスプレ祭あつと芽吹きの森の中


「チャットGPTを試す」令和5年『橡』5月号より

2023-04-28 12:28:13 | 俳句とエッセイ
  チャットGPTを試す     亜紀子

 チャット(Chat)GPTとは文章で質問すると文章で答えてくれるコンピューター上の人工知能、流行りのAI。なかなか優れているらしく、皆が驚いてる様子や、面白がってる様子が新聞などでも報じられているのでちょっと試してみた。
 「AIは嘘をつくことができますか?」と尋ねたところ、「AIは意識や自身の意図というものは持ち合わせていないので、いわゆる一般に云うところの嘘はつけません。しかしながら、AIが人間に間違った情報、不正確な情報を提供するようにデザインすることは可能です。AIに偏ったデータ、不正確なデータを蓄積したり、あるいは意図的に特定の目的に合わせた答えが出るようにプログラムしたりする場合などに。大事なことは、AIシステムが提示する嘘や誤りの究極の責任はAIを開発、駆使する人間にあるということです。それゆえ倫理的な開発、使用を確実にしていくことが極めて重要であり、それによりAIが引き起こすかもしれない弊害を防ぐことになります。」と瞬時に返事が届いた。そのスピードに驚いた。
 はてさてフェイクニュース氾濫のこの世の中、私たちの倫理はいつも揺らいでいやしないか。また今はまだこのAIには広告は付かないが、いずれ広告が載る日もくるのではないか。そうなったらデータの蓄積に偏りが出るのではないか。などなどと私が心配しなくてもいい心配。今米国の警察では犯罪データの集積と事件の起きた地点とを関連づけ、事件の起き易い地域でのパトロールを優先させているそうだ。すると実際その地域での検挙数が上がり、それがまたデータとして集積される。そういう地区は黒人の多い所なので軽微な黒人の犯罪が次々挙げられる。その上刑務所が民間委託されているので、収監者はいわばお客として歓迎され、このサイクルを止める機構が働かない。偏りは恐ろしい。
 先のチャットに戻る。ロボットの人工音声というのは何となくロボットらしいなというロボット声とでも呼ぶ感じがある。人工文章にも何となくAIっぽい文体があるようだ。没個性という個性。ただし、何々風に書いてみてと頼んだらそのように仕上げてくれるのかも。
 試みに「古池やかはづ飛び込む水の音」これを山頭火風に作り直してください、と頼むと、 「風の音や古池にかはづ飛び込む水」と返ってきた。さて質問が本当に理解されていたかどうかは判断できない。AIの返事の信憑性をもう一度自分で調べて当たってみる作業も欠かせないなら、最初から自分で調べる方が身になりそうではあるし、楽しそうだ。
 「ダダイストやシュールレアリストの詩人や作家で創作過程に単語カードを使った人がいますか?」と聞けばトリスタン・ツァラの「ダダ・ポエム」や「カットアップ」手法、アンドレ・ブルトンの単語カードの詩作などなど立ち所に教えてくれた。こうした手法は作家自身の意図性は一部制御されたものとなるが、予期せぬ言葉の組み合わせから新たなイメージ、アイデアを得ることができ、作家の想像力を刺激する。意図性と意外な発想とのバランスが求められる手法といえる云々、とのこと。こうなると私などは一から勉強しないといけない。この引用ばかりの私の文章をAIに批評させたら何と言われるだろうか。パソコンに向かっていたらちょっと頭がくらくらしてきた。

 先日両親の墓参りに上京、四年ぶりに県外に出た。小さな墓域はさっぱりと掃き清められており、香煙の出ないお線香に火をつけて手渡してくれる小父さんも変わっていなかった。久しぶりにはらからと食事を共にした。それぞれに乗り越えるものを越えながら、年はとったが、それなりに落ち着いて過ごしている様子。コロナ以前のままだ。それどころか、最初からもうずっと何も変わっていないという感慨を覚えた。それは私自身についても。世の中には目の回るような騒々しさもあるけれど、結局自分というものは変わらないのだと、この頃確信がある。それが良いことか、悪いことかは別にして。
 午後三時東京駅では大降りだった雨が名古屋に近づく頃には上がって、雲間からの日差しは春そのものだった。