橡の木の下で

俳句と共に

「柞落葉」令和4年『橡』1月号より

2021-12-28 14:24:35 | 俳句とエッセイ
 柞落葉  亜紀子

柿食うて鵯小流れに口すすぐ
汐入の亭とて鴨も来て休む
たわわなり誰も食はずの老鴉柿
雪吊の支度はじめの日和かな
小鳥来て白山木のまだ熟れず
吊花のランプ球失せ笠ばかり
松手入れ島へ一枚板渡し
黄落や垣の内より鉈の音
四季咲きの子福桜にしべ二本
ベランダに蟷螂枯れず二三日
蝶ひとつ柞落葉に深眠り
朝寒を鶲もかこつ舌打ちか
人も木もにはかに寒き夕翳り
追ひつけぬ心時雨の照り翳り
落葉掃くよりはと枝の皆打たれ

「立ち話」令和4年『橡』1月号より

2021-12-28 14:21:44 | 俳句とエッセイ
 立ち話   亜紀子

 衆議院選挙は終わったはずなのにまだ選挙カーが通る。衆院選で国会に入った市議会議員の補欠選挙が我が区で行われるとのこと。窓辺で「はや石焼き芋の季節だなあ」と思ったが、耳を傾けると候補者の名前の連呼だった。その調子がまさに焼き芋の売り声のようで、なるほどこれを繰り返されれば何となく記憶に染み付いてしまいそうだ。
 窓辺に見える木々の中で欅が一番最初に黄葉し始めた。常緑の楠や椎、紅葉する楓や銀杏の間のかなり大きな一樹である。黄色い葉の色は一様でなく全体として複雑な調子を見せている。この木は赤くはならない。寒い夜を挟んで次第に錆色がかり、銀杏が黄色一色に映え、いろはもみじが鮮やかな赤色に変わる頃にはすっかり茶色になって、大方は散ってしまった。
 マンションの前の通りは唐楓の並木になっている。週に一度ビルの清掃に来るおじさんにこれからは落葉掻きが一苦労と聞いたばかり。多い時には市の指定の大きなゴミ袋に三、四杯になるとのこと。同じ時間内で建物内の通常の掃除は変わらずあるのだからおじさんが苦笑いされたのも分かる。毎朝早く歩道の掃除をされるお爺さんとも落葉が話題になった。越したばかりの頃はこの人がどこの誰とも知らずゴミ出しの日に会うものだからお世話になりますと挨拶だけ交わしていた。そのうちにすぐ隣の一軒家のご主人と知る。ある時には私の住むビルの入り口の階段まで丁寧に掃除されていた。、それからはほんの一言ではあるが声を掛けさせてもらっている。ところがいよいよ落葉舞う季節到来となり朝からやって来た市の作業車が一枝残らず剪定をして行った。腕を捥がれた唐楓には葉っぱ一枚見当たらず無残。
 徳川園では恒例の紅葉祭が始まった。園内の道に沿い竹と紙の行灯のほか、陶製の行灯も並び日が落ちると明かりが灯る。いろはもみじに下からライトアップ。十一月末と十二月初めの週末は開園時間が延長になる。大きな池に紅葉と灯火が映える夜の景は中々絵になりそうだ。しかしながら私は昼間の人出の少ない時間帯に行く。茶室の縁に一人腰掛けて池を眺める。底に石を敷いた人造池だが今は真鴨のひと番がのんびり羽を休めている。縁先を人が通ればちょっと挨拶する。そんな中に私の隣に腰掛けて話を始める人もいる。
 ある日はお茶の先生。茶室と外待屋などを解説してくれて、ご自分もこんなところで一席設けてみたいと。コロナのせいで会も開かれないこの二年であったが、近々ようやく市内の料亭で研究茶会が開催されるのを楽しみしているのだと。ただしこの歳になると茶会の翌日は膝が痛くて大変と笑われた。
 その次の日は紅葉のタイミングに詳しいおじさん。園内の紅葉の遅速や夏の暑さのせいか年々紅葉の具合が悪くなっているようだとの話。近郊の紅葉の名所等々。話が湧いて出る。最初は池を見渡しながらの立話がどうした弾みかコロナワクチンに及んで座りましょうとなってからが長くなった。コロナ感染についても詳しいその人はワクチン懐疑派。マスクもしていない。年齢的にてっきり接種済みと踏んでいたけれど、米国の製薬会社の口車には乗らぬ由。マスクは付けたことがないとのこと。(えー、このご時世に本当ですか)
顔には出さず狼狽えていると私のケータイが鳴って助かった。
 今はむやみやたらに人と話をするものじゃないのかもしれないと思うとちょっと情けない。そんな中、突然息子に朝のラジオ体操に誘われる。私に必要なのは運動だよと。体操なら皆外で距離を保って、お喋りもしないようだから良いかも。初めて参加した帰り際、
息子の寝間着代わりの高校時代のジャージを見たおじさんが、自分の息子も同窓だと声をかけてくれる。と言っても五十過ぎた子供だがと。ここは無機的な街と思っていたが何処かに繋がりは保たれているらしい。どこの誰と知らなくても、深い繋がりはなくても、毎日会うわけではなくても、人とのほんのちょっとした会話、穏やかな立ち話がその夜の静かな眠りに結ばれる気がする。コロナ感染が長引いて一層その感がある。
しかし、そういえば、ラジオ体操のおじさんもマスクをしていなかったのが気になる。