橡の木の下で

俳句と共に

平成25年『橡』3月号より

2013-02-27 10:00:06 | 俳句とエッセイ

  雪しづく  亜紀子

 

聞いてをり五日鴉の困窮を

四十雀一座枯木を渡りゆく

初句会卒寿をみなと握手して

凍てし野にしののめ明り阪神忌

寒中や街突兀と人の住む

小止みなし百人町の雪しづく

大寒のセンター試験晴れと出て

池守の小家灯ともす寒の雨

寥々と冬木のごとく人の群

パソコンに頼るあれこれ隙間風

庭隅に春待つこころふきのたう

山茱萸の花のいまにも咲きさうな

鬼やらふまだきの風のつのりをり

ふゆすみれ暦の春に首もたぐ


「パソコン」平成25年『橡』3月号より

2013-02-27 10:00:04 | 俳句とエッセイ

  パソコン    亜紀子

 

 今日の晩のおかずを決めるのに、時々インターネットを利用する。料理の動画を検索すると、和洋中華はもちろん、インド、中近東、メキシカン、世界各国の料理の紹介ビデオを見ることができる。数分のビデオは行き詰まった頭をほぐす気晴らしにもなる。娘時代から新聞や雑誌で見つけた珍しいレシピをスクラップ帳に集めていた。口伝の料理は手書きして貼付けた。そのうちに料理本を集めるようになった。写真の少ない、ペン書きの絵が添えられたくらいのものが料理書としては良書のように思った。自分で想像する余地が大きいから面白いのである。ところが音も出る動く絵を見ていると、匂いまでするような錯覚がある。料理に関してはインターネット動画が面白い。

 夫が仕事柄パソコンを利用していたので、私も触れる環境が整った。それより昔、初めてコンピューターというものに接した頃は個人用のコンピューターと言う話は聞いたことがなかった。機械に計算させてデータを処理する練習で、膨大なパンチカードを作成する作業に音を上げ、以来近寄るのも嫌になった。家人の小さな四角の箱はあれよりは格段に使い勝手が良かったが、私はワープロがあれば十分で使い道を知らなかった。

 そもそも機械に弱い。しっかりマニュアルを読まないと分らない。そしてそのマニュアルを読むのが億劫だ。若い人たちはマニュアルを読まずに、いとも簡単に新しい操作を覚えてしまう。覚えるというより、自分で操り方を探し出していく。新手の機械ものに関しては、今は子どもたちが私の先生である。

 それでも現在パソコンなしでは一日が回らなくなってきた。手紙のやり取り、原稿のやり取り、図鑑、百科事典、さらに歳時記さえ、何かにつけてはキーボードを叩く日々である。料理本を開くことも少なくなり、昔日のスクラップ帳は埃をかぶり、整理するつもりで集めた切り抜きが何年もそのままになっている。

 こうした現状にあって、パソコン上の情報利用で一番助かっていることといえば、俳句に出てくる未知の事柄を調べる時である。地名や行事が最も多いが、花や、鳥、動物の習性などなど、疑問に思うことは先ず調べてみる。たちどころに調べのつくことが多い。そうしてそのつどメモを取る。とはいえ頭の中から抜けていくのもたちどころで、結局いずれまたパソコンの世話になるのだけれど。

 この四角い物知りが居なくなってしまったら、どうなるだろう。これが無かった以前に戻るだけで、家人の仕事とは違い、私の生活であればそれなりに何とでもなるような気もする。ただし一日が二四時間という枠を変えることはできないから、時間の割り振りのどこをどう塩梅するかで悩むに違いない。

 しかし俳句に限っていえば、もしかすると安直な知識からは離れるべきなのかもしれない。見聞きしたことのない地名が入った句も、一読しただけで良いものは良い。五七五そのもので訴える俳句でなければ十七文字である必然性がなくなる。その単語を調べるのは一句をより深く味わうためであり、こちらの無知を正すためである。知識を検索するのは対処法に過ぎない。

私の本来やるべきことは実地の体験に基づく知識を自分の内に積み上げていくことだ。自らの抽き出しを経験で満たしていくことだ。

 朝の戸を繰った目に、張り出したミズキの梢の冬芽が朝日に輝く様を捉える時、同時に頬に当たる冷気を感じ、軒の雀の声を耳にする。この一日の始まりの光が眼底を刺激する瞬間、五感が自ずから働き、摩擦によって小さな燐寸に火が点るように、言葉が連動し始める。パソコンで植物の名を探すといくつもの画像が出てくる。実際には見たことがなくてもおおよその感じが掴める。けれども二次元の知識だけでは、燐寸は発火しない。真の体験を増やし、蓄積すること、それが創作と鑑賞の両面の糧となるはずだ。糧は多いほど、深いほど、のちのちの俳句人生に活かされることは、今あまたの先達から学んでいる。


選後鑑賞平成25年『橡』3月号より

2013-02-27 10:00:02 | 俳句とエッセイ

選後鑑賞   亜紀子

 

風一陣千本鳥居冬立てり  石井昭子

 

 今年一月の東京例会に出された一句。講評では、いささか三段切れのようにも感じられるが句意の上からそれがあまり気にならない、というようなことを申し上げたかと記憶する。京都伏見稲荷であろう。颯然と湧き起こった風が、奉納された鳥居のトンネルを吹き抜けて行ったかのような感覚。この神域のひとところを目に見えぬ何者かが通り過ぎたような錯覚。そうして取り残された作者は京に冬が来ていたことに気がつく。立冬である。

 

連凧や薩摩男の子の眉太し 宮地玲子

 

 伝統的な正月の遊びのひとつ、凧揚げの風景は都会には見かけなくなった。鹿児島では今も盛んなのだろうか。海に向いた空間が凧を風に遊ばせるのに適しているのかもしれない。連凧は小さな凧を何枚も綴ったもの。何十枚、何百枚、さらに何千枚というものもあるらしい。これを揚げるには風の状態はもちろん、技術も要ることと思われる。冬青空に吸い込まれるように上がる連凧揚げの光景は勇壮なものと想像される。薩摩隼人の血を引いて、鹿児島男児は良い顔をしている。

 

退院の妻より受くる年の酒 川原遊月

 

 年末近くまで入院していた妻がめでたく退院となり、正月を共に祝うことが叶った。その妻の注いでくれる年酒。年期の入った夫婦の夫の側の大きな安堵、喜びのこころがただそのまま伝わって来る。

 

詰襟の雀御慶の声あげて  寳来喜代子

 

 元旦の朝、雀の声がいつもより賑やかに明るくはっきりと聞こえる。その他の普段の生活音が立たぬせいかと思う。あたかも雀たちも新年を言祝いでいるかのようである。詰襟というのは、雀の喉元の黒い部分が立ち襟のホックを閉じたように見えるからか。あるいは首回りが白いカラーを付けているように見えるからか。そう言われると、確かに、学生服の可愛い男の子たちが揃って新年の挨拶を述べているように聞こえてきた。

 

蜑の子の大き長靴注連貰  岩壽子

 

 正月の注連飾りを外すのは地方によって異なるようだ。私のところでは多くの家は七日に取り外し、十四日が左義長だ。厳密には十四日に一番近い日曜日に、老人会が差配して氏社の庭前で小さな焚火をする。注連やその他のお札、飾りもの等々は、各戸で三々五々持ち来たって焼いてもらう。社務所の座敷に上がると婦人会で用意してくれる焼き餅入りの汁粉が誰彼に振る舞われる。近くに住んでいながら普段はめったに顔を合せることのない近隣の人たちとお喋りできるのはこんな時だ。こうした行事が何とか廃れず保たれているのは有り難いことである。

 掲句、海辺の町の左義長。ここではさらに伝統がよく守られている。地域の子供達が家々を回って注連を集めて行く。きっと海岸に大きなどんとが組まれていることだろう。子らはその火で炙る餅を楽しみにしているに違いない。漁師の子のぶかぶかの長靴に、地方色豊かな注連貰いの情景が描かれている。

 

湖国よりはや菜の花の便りあり 中川美穂

 

 湖国、即ち近江であろう。まだ浅き春、菜の花便りが届く。霞に煙る湖と、黄色の菜の花畑の景が浮かびあがる。滋賀県には琵琶湖の環境の再生に端を発し、菜の花栽培に力を入れ、肥料、石けん、燃料などに利用していく環境運動があるそうだ。それは岸辺の地ではないようだが、この運動を押し進めている町の風信かと想像される。