橡の木の下で

俳句と共に

「あらたまの年」平成30年『橡』3月号より

2018-02-28 09:07:48 | 俳句とエッセイ

  あらたまの年   亜紀子

 

よく見えて梢に小鳥クリスマス

甘辛の冬至かぼちやが母の味

路地塞ぎをるは餅つく集ひなり

群れ来たり御用納めの朝鴉

庭刈つて千両万両出できたり

母に似る人が来てゐる年用意

一日の果ての夕空透きとほり

乙女来てひとり二日の飼葉替ふ

グラウンド風と夕日の三日かな

探鳥のてんでに集ふ冬帽子

あらたまの年や小鳥の水垢離も

首かしげ山雀が餌を乞ひきたる

冬あたたか父によく似た泉守

大寒の鏡中昏き眼あり

椋鳥が撒くこんなところにあふちの実

 


「東京例会小吟行」平成30年『橡』3月号より

2018-02-28 09:03:58 | 俳句とエッセイ

  東京例会小吟行   亜紀子

 

 吉村姉羽さんの発案で始まった東京例会小吟行が毎回好評だ。立案の主旨は例会を魅力あるものにしてさらなる参加者を募る、普段なかなか吟行会に出られぬ人もこのひと時に良い機会を持ってもらうということであった。例会会場の国立オリンピック記念青少年総合センターは東京のオアシス明治神宮と代々木公園の歴史ある森に隣接しており、午後の例会前小一時間の吟行には持ってこいの立地。本誌での広告、当日のお世話等々幹事さんたちがいつの間にか整え、自由参加で集合時間だけを決めたゆるやかな企画は事故もなく楽しく繰り広げられている。

 隔月催行なので同じ道も季節ごとに違う顔があり、自然の運行に心動かされる。また場所柄思いがけない行事に行き合うチャンスもある。

 第一回の九月は霧湧く神宮の森。奥深い森の道のたたずまいが印象に残った。

 第二回十一月は綿虫輝き舞う小春日和。神宮宝物殿前広場で都の農業祭が開催されており、農畜産物の展示、即売、屋台など賑やか。土産を買い込む参加者も多かったのは言うまでもない。神宮を出てすぐ、東京乗馬倶楽部と渋谷区立代々木ポニー公園があり、黄落まぶしい陽気にサラブレッドもポニーも等しく厩舎を出て運動中。ポニーの調教士は若き乙女ながらきびきびと動き、時折ちっ、ちっと舌で鞭を鳴らすような鋭い音を出しては馬たちの動きを促していた。 

 年明けて第三回新年の吟行は寒波の中ではあったが空晴れ渡り、日差しに助けられた。清正井への途次、南池のほとりの一画に名物手乗り山雀がしきりにやって来る。三、四羽は居るようだ。はるばる群馬から参加の吉藤さん、斎藤さん、木村さんと居合わせ、皆で掌を上に向けてみるとあっと思う間もなく一羽が斎藤さんの手にとまった。その後も斎藤さんの手に一番よく降りてくる。辺りは小楢の落葉や団栗が散り敷かれている。団栗を載せて待っているとそれぞれの手に降りて来て感激。そもそも御みくじ引きの昔から山雀は人慣れする鳥だが、近くに居たカメラマンの話では、誰かパンやビスケットを与える人もいるのでここらの山雀は大変馴れているとのことだ。すっかり山雀に魅せられて時間を費やしてしまった。

 この一月十一日の例会に次のような句があった。

 

うら若き馬医に二日の医務初め 

 

正月三ヶ日の当番は人間の病院でもたいていは独身の若い医師。獣医さんも同様らしい。若い人は大変だなあ、しかし馬好きの情熱のあるお医者さんだろうなと共感を覚え一重丸の選に。ただ、うら若きの「うら」はどうかしら。若き馬医ではいけないのか。字数合わせのための「うら」じゃないだろうか、と講評した。閉会後、作者の保崎眞知子さんがやって来て、この馬医は姪御さんで遠く四国で就職して二日から勤務に戻って行かれたとのこと。「うら若き」で乙女を表したと教えていただいた。こちらは馬のお医者は男の仕事とはなから固定観念で解釈したので「うら若き」がちょっと奇異に響いたのだ。それから一週間ほど考えている間に馬医=男が消えていった。ポニーの調教士も乙女だった。偶然だが二日に自宅近くの大学の馬術部で馬の世話をしていたのも乙女であった。娘の仲好しにも獣医を目指し、六年目の今年卒業の子がいる。保崎さんの話では今の獣医師の男女比は半々くらいとのこと。そもそも俳句は作者が「うら若き」と使ったその言葉そのものに沿って読むべきところ、自分の頭の固さに呆れる。

 もう一例、大出岩子先生の作品。

 

もてなしの木つ端よく燃え薬喰

 

長年「木つ端」は小さな木屑のようなものと思い込んでいたが、材木にならない端っこの部分でむしろ大きいものだと聞いてにわかに赤々と炎が燃え立った。毎回、例会で学ぶところ大である。

 さて、次回三月の小吟行は代々木公園。例会に申込みしていなくても、また会員以外の方でも参加歓迎。希望者は例会の無料見学も可能。ご友人を誘って気軽に参加していただけたら幸い。

 

 


選後鑑賞平成30年「橡」3月号より

2018-02-28 09:01:13 | 俳句とエッセイ

 選後鑑賞  亜紀子

 

湯の神に供へてありぬ初ざぼん  菅好

 

 大分湯どころに祀られた湯の神様。御前に、大きな朱欒のお供え。朱欒が鎮座在す神様のお顔のようにも思えてくる。明るい正月の空、新しい年の澄みわたる空気が伝わる。初ざぼんは本来なら初取りのものという意味かもしれないが、ここでは初春の気が感じられる。

 

バイオリン奏者の和装淑気満つ  眞塩えいこ

 

 あらたまの年の音楽会。観客はみな華やかな春着で心弾ませ、さざめいている。バイオリン奏者が拍手に迎えられ舞台に。楽器を持って軽く会釈しながら、振り袖姿で。淑気満ちる。

 

オペ前の声に戻りて初謡     倉坪和久

 

 作者は昨年、胸に大きな手術を受けた。手術は成功、幸いに予後もよく初謡は思いのほか朗々と声が出て気持ちが良い。めでたさひとしおである。

 

夫慕ふ小舎の牛達大旦      竹内富士子

 

 牛の世話は明け方から始まる。初日に照らされた牛小屋に主の気配を察した牛たちが動きだし、声をあげる。喜びの声だ。盆も正月もない生き物の世話にも初春の気が満ちている。

 

終の柚子摘み戻りけり年用意   服部幸次

 

 正月の準備万端整う。女たちはきれいにお重詰めを済ませた。あと一つ足りぬものがあった。雑煮の吸い口や、煮物、焼き物にも添えたい柚子。家の男は庭に残る柚子を取って来る。はや日も落ちて、今年もあとわずか。

 

鳩百羽初空へたつ木遣かな    中山正子

 

 揃いの法被に纏もめでたく、新年を言祝ぐ木遣唄。青空を百羽の群鳩翻る。翼に日の光を返し。

 

暁の月を焦がしてどんどの火   武田テル子

 

 霜踏みしめて、河原に集まる人々の白い息。どんどに点火。またたく間に炎高く燃えあがり、もうもうとあがる炎と煙のはざまに明けの月。昔そこに自分も立っていたような気持ちになる。

 

弓始梅を散らせる衣着て     後藤久子

 

 梅の文様の衣の射手は乙女ではなかろうか。紅梅の衣か。梅を散らせるの表現が読む者の目を引きつける。引き絞った弓弦に横顔。まなじり清しく。

 

雪散らし走る栗鼠の尾初日影   木村佳江

 

 梢から梢へと栗鼠がわたる。そのふさふさした尾が枝の雪を散らしてゆく。元旦の日の光がきらきらとこぼれる。林も特別な朝を迎えた。

 

わが病めばせつせと夫が初炊ぎ  山田久惠

 

 新しい年を病を持って迎えるのは心細いことだろう。主婦であればなおさら。しかし、頼りになる夫が傍らに居てくれる。こういう初炊ぎの句もあるということを知った。

 

カルメンの調べ佳境へ年迎ふ   高嶺京子

 

 恒例の新春コンサートだろうか。カルメンの調べと具体的に詠んで、年迎える気分にも実感が湧く。

 

 


平成30年「橡」3月号より

2018-02-28 08:58:46 | 星眠 季節の俳句

間缼泉やめば人散る東風の中  星眠

             (テーブルの下により)

 

 大分別府地獄めぐりの一句。竜巻地獄の名の間缼泉。

ショーが果てれば三々五々散らばり行く長閑な観客たち。

                   (亜紀子脚注)