橡の木の下で

俳句と共に

草稿05/31

2021-05-31 16:08:40 | 一日一句
持ち歩く雑草図鑑街薄暑  亜紀子

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草稿05/30

2021-05-30 18:52:24 | 一日一句
高架橋車輌一瞬青葉風 亜紀子

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「新樹」令和3年『橡』6月号より

2021-05-30 06:33:14 | 俳句とエッセイ
 新樹    亜紀子

早ばやと出でし揚羽とすれ違ふ
往来や雀がくれの帯一縷
高階の玻璃に若葉が迫り上がる
朗々と鵤や花の雨ながら
初つばめ高階の窓ひと泳ぎ
黙考の樟百年の春落葉
塵捨てに終始四月のスケジュール
虚ろかな若葉冷えゆく夜の窓
照り陰る新樹よるべの窓ひとつ
真夜に鳴くあれは巣を守る鴉らし
公園に子ら湧くごとし樟若葉
葉桜やまれに鳴りたる高架線
窓開くるのみに晴れやか四月尽
椎の花行くあてもなき午下り
寄居虫を海へ返しに日曜日


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「回想」令和3年『橡』6月号より

2021-05-30 06:30:10 | 俳句とエッセイ
 回想    亜紀子

 引っ越しの荷の最後のダンポール箱が片付いた。ちょうどひと月かかった。世の中には引っ越しのエキスパートも多い。転勤族は非常に上手ですねえとは、旧我が家の見積もりに来た引っ越し屋さんの言。上手とは荷造りのみならず、普段から無駄のない暮らしを心掛けているということのようだ。あまりにごたごたと物に占有されていた我が家に呆れたのだろう。
 所帯を持ってから札幌へ、札幌からカナダへ、向こうで一度、名古屋に帰国してから二度、つごう五回引っ越したことになる。四月の名古屋の句会で石橋さんの引っ越し履歴十二回と聞いて驚いた。日本全国津々浦々。傍にいた奥さんが、引っ越ししたのはお父さんじゃなくてこっちと笑われる。荷作り、各種手続き、そしてお子さんたちの学校の世話、一切合切奥さんの十二回。大変ながらもその時もきっと同じ笑顔で切り抜けて来られたのだろうと想像する。
 昭和四十年代、一クラス四十五人編制で五クラスの小、中学校生活を過ごした。田舎の学校に毎年数名の転校生が入って来る。いろんな都合で越して来たとは思うが、記憶に残っているのは大抵大きな工場の関係者か、警察署関係の家族。その子たちは私の知らない遠くからやって来て、何となく都会の雰囲気を纏っていて我々土着の子供たちとは違うのだ。そうして二年くらいするといつの間にまたどこかへ行ってしまった。
 S子ちゃんは彼女の住まいの社宅と私の家が近かったので時々招かれて遊びに行った。たこ焼きパーティーをするからいらっしゃいと呼ばれて行くと、まず自宅にたこ焼き器があるのにびっくり。たこ焼きの具にチョコレートやリンゴを入れてくれたのに二度びっくり。チーズケーキが美味しいから今度お母さんに作ってもらったらまたいらっしゃいと言われても、チーズケーキが想像できなかった。クリームチーズなんていうものは町のどこにも売っていない頃、そもそも私はその存在すら知らなかったし。あの細面の、手足も細くて長い少女も今は還暦過ぎておばさんになっているかしら。
 『魔女の宅急便』や『小さなおばけ』シリーズの作者、角野栄子さんがその生い立ちからこれまでを新聞紙上で語っているのを毎朝読んでいる。自分が子供の頃は小さなおばけならぬ『小さいおばけ』というドイツの作家の児童書が大好きで何遍も読み返した。『小さい魔女』というのもあった。角野さんに戻ると、東京生まれの角野さんは疎開先の千葉で終戦を迎えた。三年後中学二年の時に東京に戻り米国文化の洗礼を受けてかぶれたそうだ。時代は下がるけれど、私も西洋かぶれの子供時代がある。米国の作家ビバリー・クリアリーの『ゆかいなヘンリー君』シリーズを読み耽った。元気な男の子ヘンリー君が早朝隣の家の芝生の巨大ミミズ(おじさんの釣り餌)を捕まえてお駄賃を稼ぎ欲しい物を買ったり、妹のラモーナちゃんが片っ端から齧ってしまった地下室のリンゴをお母さんがみんなアップルソースにして瓶詰にしたり。テレビで欠かさず観た「奥様は魔女」シリーズとともにアメリカ人の生活に憧れた。ヘンリー君シリーズは登場する子供たちが皆無邪気で明るくて気持ちが良かった。ただ今になって考えてみるとマイノリティーの子供が書かれていないのは、まだそういう時代だったのだろう。
 コロナ籠りに任せてあれこれ思い出していたら、ラジオが“回想の効果”というのを取り上げていた。昔を思い出すと快い気持ちが湧いて、ストレス軽減になって脳に良い効果があるのだそうだ。過去を振り返っている時に活動する脳の部位と、意欲を持って未来について考えている時に活動する脳の部位が重なっているらしい。また回想には他人との懐かしい交流の気持ちも伴うから、孤独感軽減にもつながるという。昔話に盛り上がるというのは伊達ではないようだ。
 橡五月号、思い出の句で根本ゆきをさんは昨年二月掲載の熊祭りの句を取り上げられている。
熊祭り呑む血杯に騒めけり  ゆきを
六十六年前の見聞を句とともに活き活きと語り、このようなことができるのは俳句以外には無いのではと結ばれている。俳句は独白、日記のような詩とも言われるが、一方で優れて客観的、普遍的でもある。自他を超え、時空を超え、俳句恐るべし。
 

 

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選後鑑賞令和3年「橡」6月号より

2021-05-30 06:25:46 | 俳句とエッセイ
 選後鑑賞   亜紀子

山鳥の恋のほろ打つ山の畑  渡邊和昭

 雉は見たことがあるがヤマドリを野外で見たことはない。掲句の作者は恵まれた環境にある。繁殖期は縄張りを宣言し、雌の気を引くために激しく羽ばたき大きな音を出すそうだ。
 山の字が二つあるが気にならない。上五下五に明るい音感があり、鄙びた山里の素朴な恋を思わせる。ほろ打ちと畑打ちという語が無意識でつながる。若者ではなくてあくまで鳥の恋なのだけれど。

金縷梅や抹茶もてなす尼僧庵 善養寺玲子

 春一番に咲く金縷梅。あたりは未だ冬の名残を引いているが、ほっと喜びが満ちてくる。尼僧の語に小さく清潔で素朴な庵を彷彿する。

そよ風や蜘蛛が木の間にレース編み 小野田晴子

 そよ風の語が効いて、繊細な蜘蛛の巣レースが生きてくる。蜘蛛は苦手という人もこんな手仕事の作品に心引かれるのでは。

諸葛菜父なきあとの山荒れて 田島カズ子

 手入れができず荒れた里山の問題は方々で聞かれる。掲句の作者の嘆きも一朝には解決できないことなのだろう。諸葛菜の叢の紫美しいのが、なぜかやるせない。

新しき巣箱をよそに囀れり  大澤文子

 四十雀だろうか。人の親切はお構いなしだが良い声で鈴を振っている。どこかとぼけた味わい。

筍や簡易かまどに竹爆ずる  飯村とし子

 簡易かまどというのは石やレンガで設えた手作りの即席かまどだろうか。あるいはさっと置ける簡単な製品でもあるのかもしれない。何れにしても、常に使用する据え付けのものではないのだろう。筍の季節だけに庭で火を焚くものと思われる。竹爆ずるに描写がある。田舎を思い出した。

投票に傘の列なす花の雨   安生弘子

 コロナ渦中ではあるが、皆市民の務めを果たしている光景。ただせっかくの花の季節も雨天とは、ちょっと斜めに物を見たい気持ちに駆られた。

子の電話詐欺に注意と夜の朧 前田千津

 朧夜の電話は詐欺電話でなくて、息子さん本人の注意喚起の電話。一瞬どきりとしただろうか。

卒業の涙マスクにとめどなく 関屋ミヨ子

 マスクと人数制限の卒業式。こういう思い出も残るだろう。こういう句も記憶されるだろう。

校庭の記念樹そろひ芽吹き立つ 小野田のぶ子

 いくつもの、色々な機会の記念樹だろうか。どれも元気で今年も芽吹きの季節。語の斡旋、いかにも若者の学舎の感。

放流の魚影に落花しきりなり 太田順子

 花の頃放した魚は何だろう。まさに水を得た魚の影に舞い散る桜。絵になる。

春炬燵忘れ上手も堂に入る  皆森とし子

 物忘れも堂に入れば何てことはない。どうとでもなりそうだ。春炬燵がユーモア。

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