令和三年紙上五月大会講評 亜紀子
特選
啓蟄や公園デビュー靴鳴らし 永山比沙子
春よ来い、早く来い、歩きはじめたみいちゃんのように、幼は自分の足で歩くのが大好き。掲句もようやく暖かな日差しを得て、今日は初めてベビーカーを降りて公園へ。靴鳴らしの一語に弾む姿を彷彿。童謡「靴が鳴る」を自然と口ずさんでしまった。
後に伺ったところでは、コロナ渦中の巣ごもりの日々、時折送られてくる曾孫さんの動画を見ての作とのこと。読者もまたビデオを抜け出して一緒に青き踏む頃の気分に浸れるだろう。
ところでデビューにも、スマホデビュー、デイデビュー、シニアカーデビュー等々色々、思いつく限り何でもできそうだが、一句の中に活かすのは難しい。掲句の公園デビューは成功。
二重丸の中から
桜時楽しく学ぶ余生かな 水本艶子
余生の学びの楽しさを何の衒いもなく詠われて気持ちが良い。余生こそが真の花の時だろうか。あやかりたい。
巣鴉の覗く青空句会かな 大塚洋二
戦後各地に青空教室があった。掲句の青空句会はコロナ感染対策の一環。密を避け、風通しを良く保ち、散策吟行の後そのまま戸外で句会を開かれたのだろう。
見上げた樹上には営巣鴉、時折黒い尾が動く。こんな呑気な句会も良いもの。コロナの世を忘れる。
名を呼ばれその人知らず彼岸寺 伊藤霞城
彼岸参りの寺で誰かに呼び止められた。その人は確かに自分の名を知っている。しかし自分には相手が誰だか全く覚えが無い。不思議な気持ち消えやらず。彼岸の語が効いて、茫として、何故かせつない。
一重丸の句から
作り滝施設の妻と逢ふロビー 竹下和宏
滝の設えの有るロビー。作り滝という季語が外の季節は早進んでいることを示している。環境整った介護施設で、夫人も落ち着いて過ごされていることと想像される。と、ここまでは理詰めに導き出したところ。必要以上には何も書かれていない一句に呼び起こされる感慨は、読者一人一人で異なるのではなかろうか。
芽起こしの風へ投網を放りけり 寳來喜代子
柔らかな芽吹きの緑、放られて広がる投網。さざ波。春到来の解放感が満ちてくる。
一昨年の五月には予想もしなかった紙上大会も二度目となりました。今年もたくさんのご参加有難うございます。そして準備万端、進めてくださった幹事の皆さまに感謝いたします。
この文章を書いている現在、今後の状況は見通せませんが、来年こそは一堂に会して開催できますよう念じております。
まずは毎月の橡誌上での繋がりを大切に学ばせていただきます。日々の感染防止にも注意して、体調を維持して行こうと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。