またたきの間にきさらぎの尽きにけり
がうがうと樟に風立ち冴え返る
亜紀子
春天やビルと並びて増上寺
春霖のタワーを肩に増上寺
高楼の玻璃へ上昇春鴉
春しぐれ火消しめ組の氏社
孕み猫雨を避けをる生姜塚
山茱萸やおしゃべり雀つどひくる
地に降りて鵯が啄むクロッカス
鵯も我も霜髪梅の雨
雨ひと日引きゆく鴨に閑かなり
亜紀子
不凍の芽 亜紀子
七種を打つや野の香のたちのぼり
松明けの小庭の青き福貴草
まんさくと札を掲げてまだ冬木
仰山に菰を厚着の蘇鉄かな
淑気満つ寂びし写本に蒔絵箱
強霜の朝豌豆の不凍の芽
たれかれのふるさと訛り暖房車
枯れ尽くす木々に鵤の嘴強き
ふるさとの凍星の綺羅阪神忌
日溜まりのすみれかたばみ寒最中
音のして枯葎より頭高
太陽はこころの支柱蕗のたう
夕凍みや欅形よく立ちてをり
帰省 亜紀子
小林和子さんから、橡よしおか会結成二十年を記念した合同句集「はるな」を送っていただいた。和子同人が故郷の吉岡町に居を移されたのを機に十四名で出発した会が現在は五〇名。深谷同人のあとがきには人口二万の町でこれだけの俳句会に成長したのは珍しいように思うと記されている。添えられた会員それぞれの文章にひとり一人の生活が見える。そうして和気藹々とした交流の様子が伝わって来る。一読して何より最初に感じられるのは、ベテランも新人も、誰の作品も一様に五七五の調べの整っていること。主宰星眠から和子同人へ、さらに多くの会員へと連綿と繋がる俳句のよろしさ。良い勉強をさせていただいている。
「はるな」とは上毛三山の一つ榛名山。吉岡町はその山麓と利根川流域を含む自然に恵まれた土地。人々は朝に夕にはるなの山を眺めて暮しているのだろう。名古屋から東海道新幹線を東京で上越新幹線に乗り換えて高崎に到着。裾を引いた榛名の美しい山容を目にすることができる。在来線の信越線に乗り安中へ至るまでしばらくその姿を眺められる。故郷へ戻った感ひとしお湧いて来る時間だ。また何とも忙しない帰省になるが、早朝に発って往復新幹線を利用すれば、その日のうちに名古屋へとんぼ帰りが可能である。
国鉄が民営化されてから益々スピードが追求され便利になったように見える。けれど同時に利益追求にも拍車がかかり、赤字路線は整理され、廃止された在来線も増えたわけで本当に便利になったかどうかは分らない。高い料金を払えれば大変便利ということなのかもしれない。
正月明けに帰省の必要があって久しぶりに安中に戻る。いつ帰って来ても静かな所だ。その翌週もまた帰ることにしたが、新幹線の利用は費用が嵩むなあと洩らすと、娘がバスにしたらと言う。娘たちは夜行バスを利用して遠くまで出かけることに慣れている。そういえば近所の和菓子屋の奥さんも九州大分へ里帰りの時は高速バスを利用すると話していた。しかしバス旅は年寄りの身体には応えますよと言った旦那さんも奥さんもたいてい私くらいの年格好だ。そもそも名古屋から安中へ帰れる路線があるかしら。あまりその気もなくスマートフォンで路線探しをする娘の横で眺めていた。名古屋駅から安中まで直行の夜行バスが見つかった。何と安中市役所に停まる便がある。そこまで行けばあとは歩いて実家へ戻れる。子どもの頃は友達の家へ遊びに行くのに通い慣れた道だ。電話で切符の予約をして、近所のコンビニで支払いを済ませたらカウンターで発券してくれた。今晩の切符が手に入った。料金は新幹線を利用した場合の半分くらい。なんだか狐につままれたような心持ち。パソコンで直接予約もできるそうな。娘たちは当たり前の顔をしている。
夜十一時七分、名古屋駅のバス停から目的の便に無事乗車。関西発のようだが座席は半分も埋まっていない。座ったとたんに眠気に襲われる。窓は全てカーテンが閉まっていて走り出すと車内は真っ暗になった。どこをどう通っているのか皆目分からない。轟々というエンジンとタイヤの響きが単調に続く。途中伊那あたりのパーキングエリアで停まった時だけ目が覚めて外へ出れば、漆黒の空から外灯に照らされて霙が降りしきる。再び眠りに落ちて午前四時半、市役所の停留所に到着。一緒に二人の労働者風の初老の男性も降りる。真っ暗である。見回しても見覚えがない。さては役所の人であったのか、駐車してあった車で二人とも去ろうとするのを慌てて止めて、ここが安中ですかと確認。旧市街地へ出る道を教えてもらい、車一台、人っ子一人居ない通りを下っていく。この町を離れて幾十年、旧街道は昔のままだが、明らかに閉じられた店が形ばかりの看板を残し灯りもなく軒を並べる。昔のまま年老いている。街道下にある実家へ降りる急坂の前に立つと、目の前の空が川向こうの黒い丘まで見渡せて、一面に銀の星粒が広がった。一月の星座が地平から立ち上がる。
それから毎週末同じ旅をして、そのつど星々の輝きが増す。私の目が慣れて眺める余裕ができたのかもしれない。
選後鑑賞 亜紀子
火の島を遠に古式の初泳ぎ 折田幸弘
大分臼杵生まれの作家野上弥生子の作品に、ふるさとの水泳にまつわる思い出を綴った文章がある。弥生子は古式泳法「臼杵山内流」を習得している。当時子供たちは皆嗜みのひとつとして泳ぎの修練をしたようである。一夏の終りには水練の成果を披露する遠泳大会があり彼女も頭に花笠をかざして泳ぎきっている。その一節が随筆としてまとめられたものだったか、なにか別の小説の挿入部だったか定かでないのだが。掲句は鹿児島錦江湾での初泳ぎ、寒中水泳の様子である。薩摩藩には神統流という泳法が伝わるようだ。古式泳法はもともと武道の一つ。晴れ渡る空に一筋の噴煙、海に裾引く桜島を背景に水に入る。見る者の身も引き緊まる。大人や子どもが揃っての初泳ぎであろう。
初マラソン号砲に沸く閧の声 布施朋子
新春早々、恒例の箱根駅伝の中継放送に日本中が注目。その後も各地で駅伝、マラソンの大会が続く。掲句はいずこのマラソン大会であろうか。大勢の参加者にはトップを争うアスリートだけでなく、完走が第一目標というランナーも。合図の砲と同時に一斉に閧の声。いざ出陣とばかりに白息が上がる。応援団の声援も。作者は今年度フルマラソンに挑戦。俳句も快走を。
甲板の刺身づくしの屠蘇に酔ふ 平石勝嗣
遠洋漁業航海中の元旦であろうか。豊漁と安全を祈願、帰りを待つ家族の健やかなることを祈り、潮風の甲板で今日は多いに意気が上がる。こういう豪快な屠蘇の祝があるとは。陸の者には肴の数々が羨ましい。
小春日や雲龍は髭遊ばせて 釘宮多美代
寺院の襖絵か天井画か、名のある雲龍と思われる。迫力のある画面だが、暖かな小春の一日、ゆらゆらと靡く龍の髭がなんとはなしユーモラスである。面白い小春の句となった。
初詣羊の根付鳴らしつつ 帯満智子
本年平成二七年は羊年。羊の根付けとは可愛らしい。現代風の根付けは手提げバッグや財布のチャックに取り付けた小さな物、あるいは携帯ストラップであろうか。歩を進めるたびに軽やかな音を立てているようだ。参道を行く人々も皆善良な羊の群かもしれない。
鶺鴒の車道小走る年の暮 深谷征子
鶺鴒は水辺の小鳥と思うのだが、冬になると車道、駐車場や公園などコンクリートを打付けた開けた場所でちょこちょこ走っているのをよく見かける。何やら拾い食いしている素振りも見える。これはどういう習性、生態なのだろうか。首を前後にふりふり、左右の足を交互に出して忙しなく歩く様はまさに師走。
朝ミサに開く大扉や初茜 菅原ちはや
キリスト教会の新年の祈り。やはり特別な弥撒であるのか。大きな重い扉が開かれ、真新しい朝の光が満ちる。扉の外から内を照らす光のようでもあり、内から押しあけた扉の外の世界一杯に広がっている光のようでもある。
雀二羽厨口にて御慶かな 太田三智子
我が家の小さな勝手口。主婦にとってはいつもの出入り口。しかし晴れの食事の支度や片付けの出入りに、いつもの雀の声も新玉の春の言祝ぎに聞える。健やかな年の始まりが快い。