橡の木の下で

俳句と共に

「薔薇の春着」平成26年橡2月号より

2014-01-29 10:31:36 | 俳句とエッセイ

  薔薇の春着   亜紀子

 

裸木ももの言ひて世に立ち対ふ

片時雨デモの一群濡らし去る

大鷲の胸毛をなぶる北ならひ

迷ひ来し酒面雁の顔隠す

落葉掻はつかな風に遊ばるる

蔦落葉霜の縫ひとり縁飾り

鶺鴒の鈴置いて行く霜の路地

木枯やなんぢやもんぢやの実の揺るる

覚めゐたる枕辺に年立ちにけり

鶏日の庭に摘みけり蕗のたう

星の鈴スキー帰りの乙女らに

冬桜咲いてゐるよなゐないよな

楮釜太薪積みて松の内

初空へ煙突かしぐ楮釜

祝ぎ歌や薔薇の春着のオペラ歌手


「オーサー・ビジット」平成26年『橡』2月号より

2014-01-29 10:24:15 | 俳句とエッセイ

   オーサー・ビジット    亜紀子

 

 朝日新聞が主催する「オーサー・ビジット」という読書推進事業がある。当代の署名な作家が全国各地の小・中・高等学校に出向いて特別講義、出前授業をしてくれる。数年前に息子の中学校を人気の青少年向け小説の作者が訪問したこともある。十二月十六日付けの朝刊に二〇一三年度の授業レポートが掲載された。

 講師となった作家の一人、詩人谷川俊太郎の授業が面白そうであった。名古屋市内の公立高校を尋ねた谷川氏は先ず「言葉は何処にある」と問いかける。その解は「言葉は自分の外にある」なのだ。それでは「自分の外にある言葉で文章を書いてみよう」というのがその日の課題であった。自分の外にある言葉とは何なのか、どう拾えば良いのか戸惑う生徒たちは各々自己の頭の中から言葉をひねり出して作文するらしい。谷川氏曰く、自分の気持ちばかり書いている、独りよがりは面白くないよと。

 そこで氏は今その場で実際に見えているもの、聞こえているものを挙げさせ、それらを使って詩のようなものを作る提案をする。高校生くらいの年代はことのほか「おのれ」というものにかかずらう時期かと思われる。彼らにとって自分の外の言葉を探す作業、即ち自分を離れて周囲をよく観察し、耳を澄まして聞き、文章に綴るというのは良い訓練になりそうだ。何となれば観察と体験によってこそ思考というものは深まるのであるから。

 もっともこの授業は論理的思考を鍛えるのが目的ではなく詩のレッスンである。谷川氏は生徒の書いた一文に詳しい描写をたったひとつ加えただけで俄然全体が活き活きしてくるのを体験させている。例えば「校長先生、教頭先生」という語を「校長先生はハゲている」とか、「教頭先生は老いぼれだ」とやる。氏は最後に、我々の日常生活は言葉の意味の連鎖にとらわれているが本来言葉はもっと懐が深いものであり、想像を広げて自由に言葉で遊んでみようとまとめている。言葉の常識、常套的な意味から自身を開放してみようということだろうか。

 三月に星眠選句集が刊行される。処女句集『火山灰の道』以前から、最新の『テーブルの下に』以降現在までの全句の中から選んだものだ。昭和二十年から平成二十五年にわたる作品。原田編集長が独り長年にわたり揃えてきたデータベースを容易に選ができるよう整えてくれた。昨年夏から秋にかけての選句作業は楽しかった。どの句にも観察と描写、言葉の自由な発想、まさに谷川氏の授業のテーマそのものがある。詩がある。

 

汗の胸葛のあらしの沁みとほる

 

 青年は自身の汗の身体を感じている。その胸を冷やすのは風という言葉ではなく、眼前の生い茂った緑の葛の葉を乱すあらしである。

 

馬車の荷の硫黄かがやき蝶生まる

 

 草軽電鉄の貨車へと運ぶ硫黄の輝き。舞い出でた蝶。この二つを捉えた目は春そのものを描き出す。

 

 

父といふ世に淡きもの桜満つ(義兄の死)

 

 父を淡きものとする発想、そこに咲き満ちた桜、どれも今その現実の中から拾った言葉である。が、この言葉を拾うことが誰にでもできるかどうか。

 

スキーバス轟々昭和終る夜も

 

 誰も皆その夜を迎えたのであるが、その闇の中に何を聞き取るのかがそもそもの詩の鍵になる。

 

 全一七五〇句となった。その校正をしながらまた楽しんでいる。