橡の木の下で

俳句と共に

斎藤博文句集『セラピスト』

2024-05-27 11:28:08 | 句集紹介
『セラピスト』

令和6年5月15日発行
著者 斎藤博文(さいとうひろふみ)
発行 揺籃社
 
著者略歴
1958年(昭和33年)群馬県藤岡市に生まれる
1988年(昭和63年)橡初投句 堀口星眠に師事
2015年(平成27年)三浦亜紀子に師事
2019年(令和元年)橡同人となる
         俳人協会会員となる
2023年(令和5年)第40回青蘆賞受賞

現住所 
〒375-0043
群馬県藤岡市東平井1178
Tel   0274-23-5845
メールアドレス

斎藤博文第一句集
『セラピスト』に寄せて
                   三浦亜紀子

 十年ほど前に富岡の矢野間稲霧先生から「有望な俳人がいるので注目してください」と伺った。稲霧先生は若き日から星眠と研鑽を積まれ、私にとっても大先輩。注目の俳人の名は斎藤博文。長年福祉の仕事に携わり、現役でもあり、大変多忙な様子であるが俳句は熱量高く、何より優れた人柄という評。いずれもう少し時間ができれば、、ということだった。
 斎藤さんに実際にお目にかかったのは平成二十四年一月、東京小石川植物園で開かれた新年吟行会の折だった。冬枯の園の片隅、大きな木の下に枯れ草と落葉が敷かれ、数名のご婦人と男性一名が座し熱心に句を記している。その一座のあたりが柔らかな日差しに包まれて、静かで、あたたく、時の流れも緩やかに不思議な光景だった。皆の真中にいたのが斎藤さんであった。稲霧先生の寄せる信頼が理解された。
 この度改めて斎藤さんの句業を拝見する機会をいただいた。三十代で俳句入門、還暦を過ぎた現在まで、
仕事の関係で休詠の時期もあったものの、家族、職場、旅、自然、その人生の流れの中で心に触れたものが偏りなく拾われ、詠われている。いずれの句も粒立っている。編年体で章が立てられているので、それぞれから少しずつ抜き出してみたい。

 「吾子誕生」

円陣のラガーにまはる大薬缶
お雛粥つばくろ高く峡に来て
ゲレンデの袖を片栗雪崩れ咲く
山男榾の跳ね火を手摑みに
とめどなき落花に仕舞ふ籠売女
養魚池の鷺と仲良し案山子翁

 「スキー帽」

降雪機岳の星々曇らせて
雪折れの楓に蜜の溢れをり
湯華小屋一夜の雪に埋もれたる
蜻蛉も空に混みあふ遊園地
注連作り乙女も胡坐ゆるされて
四万六千日鳩にも足の踏場なし
欄外に鶲来たりと寮日誌
野の花を手に手につづく遠足児

「残業組」

折紙に帰郷の願ひ雁渡し
手話の手の大き津波や冴返る
画眉鳥のちやらかし眼鏡囀れり
残業の果ててみどりの夜風かな
新しき上司と語る花筵
豆ほどののぞみてふ薔薇病棟に
団交や椋鳥も街路樹占拠して
つくづくし発語なき子に腕引かれ
開け放つ校長室に青田風

「旅蝶」

冬ぬくし抱かれて犬もセラピスト
冬麗の嶺に手を振るクライマー
楮晒し達磨火鉢に手をやすめ
燕の子墜ちて駅長呼ばれたる
朧なり渓も鉄路も温泉の街も
夜通しの蛙念仏鎌原忌
曲家の竈けぶしと燕の子
汗だくの帽を離れず深山蝶
触手話の凍つる手と手を詫びあへり

「桃の花」

惜しみなく終の花摘む牡丹守
春蟬や膝を机ににはか句座
花野までリフトの運ぶ車椅子
湯の街に硫黄のにほふ夕祓
まだ青き椎の実降れり無言館
自画像の眼は生きて終戦日
菊紋の煙草たまはり露の石

 技術的に基礎がしっかりしている上に衒いのない作品。その源泉たる純情は星眠、稲霧と続く橡俳句の本道。
 初期から現在に至るまで一貫して斎藤さんの純を端的に見せてくれる作品の一群を終わりに揚げ、御上梓のお祝いと、さらなるご活躍とをお祈りする。
 
妻の手を取りて渡る瀬青胡桃
色褪せしクローバ秘めて妻の辞書
スキー帽飛ばして妻の小さくなる
山笑ふ妻と分けあふ五平餅
すつぴんと妻をからかふ四十雀
明け番の妻の寝息や望の月

2024年3月吉日



宮地玲子句集『黒潮』

2024-05-07 17:16:43 | 句集紹介
『黒潮』

令和6年5月1日発行
著者 宮地玲子
発行所 Baum
私家版

著者略歴
昭和11年 鹿児島県鹿児島市生
昭和55年 「ざぼん」入門
昭和56年 「馬酔木」入門
昭和59年 「橡」創刊入門
令和3年 青蘆賞入選
令和3年 「橡」同人

合同句集
平成14年 「現代鹿児島俳句大系」第16巻
平成元年 「風花合同句集」三

問い合わせ
〒606−8107
京都市左京区高野東開町1−23
東大路高野第3住宅23−102


宮地玲子句集
   『黒潮』に寄せて

 宮地さんに初めてお目にかかったのは関西俳句会の折。住み慣れた南国から京都に移られた後のこと、数えてみると八十台にかかろうかという頃であったか。それまでは鹿児島在住の実力俳人として誌上では存じ上げていた。剛毅薩摩の地を離れ、古き都へ、大きく環境が変わり戸惑いはなかろうか、慣れ親しんだ南の友垣との別れは心細いことではないか、他所ながら案じられるところ。初対面の印象は、知的な落ち着きと、抑制の効いて、それでいて深い余情を湛える宮地さんの俳句そのもののお人柄であった。その後も京の山下喜子先生のもと、とどまることなく句境を深めていかれるのに目を見張った。
 俳歴四十年、米寿の記念とも呼ぶべき『黒潮』作者の略歴を拝見して、なるほどと合点がいった。鹿児島にて米谷静二先生、野村多賀子先生、徳留末雄先生方の薫陶を受け身に付けられた良き調べ。また橡俳句の自然への憧憬。筋金入りである。
 ご主人の転勤に伴い諸処に住まわれたとのこと。何処においても地に足付いた観察眼が活きている。幼少期は旧満州で過ごされた由。内地と大陸二つの文化を経験されて幼い時より自ずから複数の視点を内に持っているのだろうか。宮地さんの俳句の一つの鍵のようにも思う。
 駄弁はこのくらいで、順番に頁を繰って作品を見よう。

制服に秋暑の火山灰を持帰る
海紅豆青春を子は島に住み
寒雲や四方に夕鶴湧けるなり
すかんぽや島忘れざる一教師
桜蘂ふるや流離の教師らに

 ご主人は高校の生物の先生で、任地鹿児島県内の各地七校に勤められ、その度に家族一緒に移り住まわれたとのこと。中でも鶴の出水市、奄美大島はことに印象深かったと聞く。

くはず芋梅雨の銀滴こぼしけり
団栗や峡にひと日の刃物市
確かむる帰化草の名や夜の秋
砂蹴りて子等も駆けたり浜競馬
筬音のこもる小径や月桃花
がじゆまるの樹陰涼しき椅子二つ
隼人の血継ぐみどり児ぞ天高し
流離また峡に李の花満つる
あこう樹は大き影もつ原爆忌
かたはらに夫のルーペや夜の秋
初東風や大葉打ち合ふ翁椰子
先ぶれの声ぞ鶴守耳聡き
花野行く記憶の中にロシア飴
白鷺は幣振るごとし天降川

 移られた先々の地の自然、風物を眼差し深く見つめる宮地さん。また植物に詳しく吟行仲間は頼りにされたと聞く。家庭でもご主人との話が弾んだ日々であったろう。

樟の花離郷のこころ定まりぬ
飛花落花八十路の月日飛ぶごとし
蔓茘枝頼り頼られひと日過ぐ
京住みに慣れしは榠樝熟るる頃

 平成二十六年娘さんの住まう京都へご夫婦で移住。樟の花、蔓茘枝、榠樝の実等々、宮地さんの選ぶ植物は派手やかさを抑えたものが多く、その中に趣きが溢れる。視点のよろしさと言うべきか。

振れば音夫蒔かざりし種袋
颯と風辛夷百花の震ひたる
囀りや人ら寡黙に過ごす世を
秋思わく夫の胴乱遺れるは
遺されし牧野図鑑も曝書せり

 忽と訪れたご主人との別離。胸の内はいかにと押しはかられる。そして囀りの句、コロナ渦中をこのような措辞で詠われるとは。
 これからもさらに宮地さんの作品を学ばさせていただき、ここに『黒潮』の御上梓を心よりお祝い申し上げる。

                               三浦亜紀子


大出岩子第3句集『鶲くる』紹介

2023-03-19 13:17:02 | 句集紹介
『鶲くる』
令和5年2月19日発行
著者 大出岩子
発行 揺籃社
定価 2,000円

著者略歴
 
昭和19年 栃木県矢板市泉に生まれる
昭和58年 馬酔木初投句
昭和59年 馬酔木を退会
     「橡」創刊とともに投句
昭和63年 前期毎日俳壇賞受賞
平成20年「橡」同人となる
平成22年 句集『嶺桜』刊行
平成25年 橡賞、青蘆賞受賞
平成28年 句集『榧の実』刊行
  俳人協会会員

問い合わせ

〒322-0007
栃木県鹿沼市武子1176番2
TEL0289-65-3836


『鶲くる』に寄せて

 平成二十八年刊行の『榧の実』に続く大出さんの第三句集『鶲くる』 に再び拙文を寄せる機会をいただいた。先ずお祝いと、感謝の気持ちを伝えたい。
 この間に大出さんは長い看取りの末に最愛のご主人を送られた。また一番の俳友であった柿﨑さんとの別れ。その試練に重なるようにコロナウイルスのパンデミック。いつも笑顔溌剌の大出さん。その氏から折にいただく書状などのちょっとした一行に、何とはなしに陰りを感じることもあった。しかしコロナ渦中の行動制限で一度もお目にかかれず過ごしてきた。
 本集のゲラが送られてきて圧倒された。自然詠、旅吟、人事句、日々の全てが渾然一体となり、俳句の正しい骨格の上に力強く詠われている。その風韻、風格。悲しみの時を耐えながら俳句というものはおのずから熟成するということだろうか。

夕日背に海女の太腰潮垂るる
丹頂の雛のかくるる葦の花
身の丈に余る大鎌真葛刈る
畦豆を抱へて逃ぐる子連れ猿
鳥肌の火勢鳥またも水打たる
蝦夷りすの産屋胡桃の花すだれ
家鴨二羽連れて棚田の田草取
雪しんしん武家の屋敷に暮しの灯
河骨の水りんりんと夜が明くる
暮れ残る池塘幾百ほととぎす
黄華鬘や浜の掃除に漁夫集ひ
神妙に小銭浄むる遠足子
駆出しの罠師たぢろぐ猪腑分け

 旅吟の多くは柿﨑さんを含むお仲間との吟行だろう。ことに火勢鳥は柿﨑さんの故郷での作。読者は旅の嘱目がまさに作者の眼そのものになっていることを理解するだろう。

根深汁長子いよいよ父似なる
腕白もすでに還暦野火放つ
鶺鴒のいつも小走り桜東風
留守四日庭に狸の棲む気配
野焼翁子猫拾ひて畦走る
開け放つ土間を客間を鬼やんま
厳戒の夜々を遠出のうかれ猫
撃たれしと聞きたる兎庭にをり
蜜豆やアクリル板に友隔て

 より身近な日常吟。うかれ猫や蜜豆にコロナの世相も俳味濃く詠まれた。

ががんぼや手足励ます夜の看取り
点滴の夫にまたたくミニ聖樹
延命を医師に問はるる聖夜かな
点滴に頼む身命雉子の声
病室に祝ふ金婚なづな粥
病み果ての無言の家路春北斗
人垣に遠く荼毘待つ雉子のこゑ

 夫君の看取りの作品。『鶲くる』という集名は発病されたご主人が庭に来る鶲を好まれ、句材にといつも知らせてくれたところから付けられたという。ががんぼの句、励まし摩るのは患者の手足とも、また我が手足とも。何れにしても手足という末梢から身体全体に、そして心にと自らの励ましが及ぶ。足長のががんぼの踊りに目が遊ぶ。

子雀に仏飯ほぐす雨の軒
お花畑夫と来し日も蝶群れて
梨剥いて彼の世の夫に頼みごと
忍び入る野焼の煙一年忌 
  悼 柿﨑昌子様
花の雨追うて来し背の忽と消え
母の日の花に囲まれ独りの食
父の日や子の来て夫の弓磨く

 最新詠からあげた。

 一日も早く世の中が落ち着き、また大出さんにお目にかかれますようにと願う。ご家族や、お仲間ばかりでなく、災害で被災された人々などもいつも全力投球で支えようとされる大出さん。これからご自分のためだけの実りの時間も持たれるのではと思ったりしている。
             令和五年 二月

                      三浦亜紀子

大間テル子句集『まなぶ』

2023-01-03 22:24:45 | 句集紹介
『まなぶ』

2022年11月3日発行
著者  大間テル子
編集者 大間哲
発行  (株)オーエム
私家版

著者略歴

昭和6年6月6日 墨田区、大鳥家に生まれる
昭和20年3月10日 東京大空襲で焼け出される
昭和28年      國學院大學卒業、高校国語教師に就職
昭和30年      都立高校社会科教師の大間一男と結婚
昭和40年1月         長男 哲 出産
昭和55年頃         俳句を始め、馬酔木に投句
昭和59年             橡誌創刊 堀口星眠に師事
昭和60年     地元練馬で「橡さつき会」発足
平成10年       青蘆賞受賞
平成21年     橡同人となる
平成30年     12月16日インマヌエル富士見台教会のクリスマス礼拝で
         洗礼を受ける
令和4年秋    処女句集『まなぶ』発行 

著者住所

〒177−0034
東京都練馬区富士見台2−8−11

問い合わせ

大間哲
電話  03−3970−2883
メール  tetsu.hiromi.oma@gmail.com
      

『まなぶ』に寄せて

 大間テル子さんはいつお会いしても言葉のきれいな方である。端正な敬語を使われる。初めてお目にかかったのは大間さんのご自宅からほど近い、確か当時暮らしていた練馬の家で父星眠と一緒であった。私はまだ二十代の学生で父のおまけのようなものであったが、年長の大間さんは星眠に対するのと全く変わらず私にも応対してくださった。それから随分長い時間が流れ親しみは増していったが、大間さんの言葉は変わらない。大間さんが高校の国語の先生であったことを後にどなたかから伺い、ぞんざいな自分の言葉を顧みて赤面したことである。
 今回処女句集というのが不思議に感じられる。既に句集を拝読したことがあるように錯覚していた。そして集名を『まなぶ』とされたところも如何にも大間さんらしいお人柄を感じている。大仰なところのない、詩的な興趣の上澄みを掬いとったような作品の数々。学ぶところ大である。

蒼天を暗めて鶸の渡り来る
風が鳴るぴんと張りたる雪吊りに
松虫草紫紺の花が風招く
菊酒を夜の静けさに汲み交はす
波音や夕日を返す密柑山
露しぐれ一歩に浴びて河川敷
かつて夫今宵子とある河鹿宿
墨をする音のかそけき夏書かな
よく巻きし白菜ざくと二つ割り
菊守の声懸崖の裏手より
山の駅大炉に薪を足しくるる
母校百年白セーラーに迎へらる
馬下げの馬おのづから厩舎指す
永き日や動物を見つ見られつつ
春灯に牧野精緻の植物図
波除稲荷盆波垣を洗ひをり
海女小屋の軒毎に揺れほんだはら
初午や狐の面に振り向かれ
カヤックのもんどり打ちぬ照葉峡
雲海の果てから夕焼け滾りくる
甘酒を待てばぼーんと古時計
白衣観音御目なごめり芽吹き山

 卒寿記念ともいえる本集を編まれるにあたりご多忙なご子息が労を執られた。何よりのことと、心よりお喜び申し上げる。

         令和四年九月吉日

                 三浦亜紀子
         







服部朋子句集『海びらき』

2022-11-28 11:01:59 | 句集紹介
『海びらき』
令和4年11月12日発行
著者 服部朋子
発行 揺籃社
私家版


著者略歴

昭和20年 福島県会津生まれ
平成2年  橡投句
平成27年 橡同人
俳人協会会員

問い合わせ

〒249−0004
神奈川県逗子市沼間5−13−1
Tel&Fax:046-873-2277


『海びらき』に寄せて 

 世の中には本当の善人がいるんだねえ。もう三十年以上昔のことになるが、橡同人の植松靖氏の葬儀から戻ってきた星眠のこの言葉を覚えている。父星眠は心底感激していた。
 服部朋子さんがその植松氏のご息女で、母上も同じく俳人だったたかさんであると知ったのはそれからずっと後のこと、私が父の代理をするようになってからだ。誌上での服部さんは存じ上げていたがお会いする機会もなかった。初めてお目にかかった服部さんは柔和な丸顔のお日様のような方。かっと照る真夏の太陽ではなく、旅人の外套を穏やかに脱がせてくれる春のお天道様。その後いただくようになった年賀状の家族写真にお子様、お孫さま全員よく似たお日様。毎年楽しみにしている。
 喜寿の記念にと自選されたこの集は俳句をやらない読者にも分かり易い句を基準にされた由。文章もご両親やお子様に触れたものを選ばれた。ご家族を第一の読者に想定されてのことと思う。
 しかしながらどんな読者にとっても本集が本格であることは明らかだ。句も文章も丁寧、緩みがなく、それでいて窮屈なところもない。句材も多彩である。こんな言い方はやや卑近に聞こえるかもしれないが、一つとして外れがないのだ。これも欠けたところのないお日様と言うべきか。
 百聞は一見にしかず。各章から作品をあげる。

白南風
恐竜展出て炎天の蟻となる
遠足や磯にクレヨン撒きしごと
飛魚の入日に触れて落ちにけり
差し入れの西瓜ごろごろ合宿所
帰り花ころびし耶蘇の墓小さし
背負籠の肩にくひこむ鹿尾菜取り
観潮船右に左に人動く

いわし雲
くぐもれる声ではじまる栗鼠の恋
着ぶくれの皆顔みしり始発バス
少年の胸まだ白くボート番
トロ箱に童女爪立ち若布干す
夏果ての波が消しゆく愛の文字

サーファー
息づかひのみの幼の初電話
膝つきてひたすら均す白子干し
師の墓所を訪へば師の声秋の声
冬至湯の幼にならふ数へ唄
飛ぶ鳥に聖句ふと出て五月の野
子への荷をまた詰め直す余花の雨
稲架解きて小さき湾の現はるる
もう少し少しと零余子採り止まず

亡夫
雪雲の沖に迫りて浜どんど
亡き夫の書斎そのまま古簾
親子して蜘蛛は小春の空を飛ぶ
醒めてすぐ独りに戻る春の夢
天水鉢峰雲入れてあふれけり
泣けばすぐ若き母ゐて春夕焼
浜に待つ妻も老いたり若布刈舟

読後にしみじみと幸福な気持ちが満ちてくる。

 服部さんは最愛のご主人を送られ一人暮らしとなられた。また病の後遺症もおありと伺っている。『海びらき』の成ったことを心よりお喜び申し上げる。

            令和四年 秋吉日
                          三浦亜紀子