橡の木の下で

俳句と共に

「選後鑑賞」令和6年「橡」7月号より

2024-06-30 12:59:04 | 俳句とエッセイ
選後鑑賞   亜紀子 

たかんなや断ゆる年なく弟より  室谷聖子

 毎年、年々ということなのだが、断ゆる年なくという措辞が身にしみた。姉思い、弟思いの二人。今年もまた届いたという一事が、それこそ歳々に尊く感ぜられる齢。

古民家に杼を繰る人や緑さす   飯村とし子

 古民家で機織に励むのは、地元の文化継承の施設で実演を見せてくれる人か、あるいはその地、その古民家に魅かれて移り住んできた若い人か。若葉のかげが横顔に映えて。


林檎咲く尾瀬の山々雪残り    戸丸富子

 見渡す尾瀬の峰々は残雪。林檎畑に白い花。例年通りの景色だろうが、林檎が咲くと毎年同じ感慨を覚えるのではなかろうか。それがこの素直な一句に成ったのでは。空気の匂い、未だ冷たく頬を撫でる風、色々を想像した。

捨て畑蕗の姑其処此処に    加藤美代子

 農の継承の難しさ、問題とされながら久しい。掲句の蕗の薹の別名、蕗の姑の語が意味深ではある。とはいえ、蕗の薹を見つければ季節の巡りは有難い事だとも思う。

二つ三つ実梅の転び雨催ふ    浅田つき子

 転がっている青梅。思わず上を見上げて青葉の中を覗いてみる。今日は曇り空。そろそろ梅雨を思う。この季節感。つい先だっていつもの散策地、徳川園の庭で私も感じたところ。

短夜の明けゆく木々の匂ひかな  高沢紀美子

 五感の優れた作者。体全体で季の趣を感じ取る。白みゆくあたりの光、肌に覚える涼しさ、そしてこの季節の木々の香り。明けゆく木々の匂ひの語に思わず我が鼻腔をひろげた。

みはるかす嶺の陽光夏立てり   須賀静子

 掲句作者も五感の鋭い人だ。遠嶺の輝きがこれまでとは異なる。ああ、夏が来たと。

緑蔭や保父の胡座に熟寝の子   豊田風露

 お散歩の一こまだろうか。保父のお兄さんの膝に眠るのはまだ赤ちゃん組の小さな子と想像した。若葉風の中、こんなにゆったりとした保育ができるのは子らに、保育士に、何より幸いだ。
 昔になるが、時々お散歩中の近所の保育園児に出会った。保育士の娘に、馴染みの先生でも挨拶はしてもベラベラ話しかけちゃダメだよと言われた。とにかく先生たちは気を張って大人数の子供たちを連れているのだからと。

父眠る丘は青葉に一周忌     市川美貴子

 悲しみの時からはや一年。青葉が目に染みる。こうやって人は自然の運行に沿いながら生きてゆく。

長閑しや石置き屋根の五百年   眞塩えいこ

 石置き屋根は豪雪地帯、強風にさらされやすい地域に見られた伝統の屋根。石を置くことで屋根材が飛ばされるのを防ぐ。その独特な景観も美しい。石は耐久性に優れ、長持ちするのは当然だろうが、五百年とはすごい。戦国時代あたりから続いていることになるか。
作者が長閑とみたのは、季節もさりながら、その長い年月をじっと座って過ごしている石の趣きを言われたのかと思う。


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