雨音
三浦亜紀子
末子が一歳になる夏、実家の山の家の庭から、おそらく小鳥が落としたのであろう水木の実生の苗を貰ってきた。丈二十センチメートルにも満たぬひ弱な苗木であったので、日当たりの悪い借家の猫の額の庭で、はたして根付くのかどうか期待はしていなかった。
そもそも水木であることも知らなかった。数枚の葉の形から山法師であるとばかり信じていたのである。街路樹で美しいアメリカハナミズキにも思えたが、山中の家であり、周りにそうした街路樹もなかったので山法師と疑わなかった。うまくしたらいずれあの白い苞を花のように広げてくれるかもしれない。
数年は山法師として眺めていたが、幼い木で花は当分つきそうになかった。そのうちに枝ぶりに特徴が出てきた。幹から放射状に出た枝が一段、また一段と階段状に増していき、高さも年々高くなっていく。水木と知れた。山法師の花の夢はついえたが、水木はぐんぐん大きくなって庭は一杯になってしまった。
芽吹きのときは暖かな夜が少し続くと一気に若葉を開く。同時に托葉を落とす。夏は枝を張って木陰を作り、子どもの自転車の置き場になった。紅葉の頃はその色合いの微妙さを道ゆく人が口にしていく。冬、木枯らしの頃はすっかり裸だ。下枝にみかん、林檎をさして鵯、目白を呼ぶ。
8年目くらいから花を咲かせるようになった。ついに、である。もう背丈は大きく下からでは花を見ることは難しい。二階の窓から眺めると、小さな白い花が煙るように集まって咲いている。やつでの花にも似て、虻や蜂を呼び集めている。細かな花弁の散るときは雪が降るようである。やがて花をつけていた花序、これは小人の庭の庭木のような格好で大きなものが、ぽたり、ぽたりと落ちてくる。
かつて山の家には犬桜が一本あった。植えたものか、鳥が落としていったものかこれも定かではなかった。夏休みに遊びに行く頃は葉桜で、あまり深い印象はなかったが、黒紫色の小さな実を思い出す。ある日、ベランダに干されていた布団の上で寝そべっているのに飽きて、何を思いついたか、犬桜の実を潰し濃い赤黒いその汁をたっぷり脛にたらしてみた。空気に触れた血液そっくりの色だった。「痛い、痛い」と大げさに騒いで家に入ると、一緒に寝泊まりしていた伯母が驚き、急いで手当してくれようとしたところで、種明かし。伯母は唖然として「嫌ねえ」と笑ったと思う。静かで芯の強い女性で、この人からは私は子どもでもいつもさん付けで名を呼ばれていた。小さい時から身近に暮らしていたのだが、後にも先にも伯母におふざけをしたのはこの時だけだったと思う。今となっては不確かな夢のような記憶。
水木が根付いて末子も十二歳になる。子どもはいくら大きくなってくれても構わないけれど、狭い庭で庭木ばかりが成長するのもいささか厄介になってきている。大風でも吹き荒れたときに、軒を接するように並んでいるご近所に迷惑をかけるような事態にならぬとも限らない。
そろそろ雨がちになる5月半ばも過ぎた夜。まだ夜気は涼しい。水木の青葉に雨の当たる音。ときおり風が通るとぱらぱらと雨滴が葉を打ち渡る音が聞こえてくる。ああ、どこかで聞いた音。夜の涼気と静けさ、暗さと一抹の不安な感覚、これらも一緒に、知っている。山の家には一本の朴もあって、水木を打つ夜雨の音はこの朴の広葉を打つ音であった。幼い日の自分がいるのか、遠い山の家に移動してしまったのか。机に向かい手作業を続けながらも、耳と体が遥かな記憶を追っている。それは物語ではなく、匂いや音や肌に触れる感覚のような、ぴったりと体についている記憶。そうして胸を絞られるような懐かしさ。
いや、違う、これは過ぎてしまった記憶ではない。たった今この瞬間に、この老いた自分の味わっている、感覚、感情である。昔の自分はもはやここにはいない、過ぎた日を味わうことは不可能。いつ、いかな時にも、今の私が今を味わうのみなのだ。