橡の木の下で

俳句と共に

草稿04/30

2021-04-30 10:59:37 | 一日一句
慎みと恥ぢらひの花楓かな  亜紀子

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草稿04/29

2021-04-29 15:23:02 | 一日一句
早起きの鵯がきびたき真似て鳴く  亜紀子

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「あぶらちゃん」令和3年『橡』5月号より

2021-04-29 15:14:57 | 俳句とエッセイ
 あぶらちやん   亜紀子

山茱萸の道へ回れば咲いてをり
また増ゆるコロナ予想も木の芽時
真白なる大樹何ぞや豊後梅
一心に日ざし集むるあぶらちやん
立ち話またひとり寄る日永かな
すれ違ふ誰もどこかに春愁ひ
草を引く我が密かなる楽しみの
寺庭が子らの園庭花一樹
ぼけあけびあせび万朶のお中日
つくねんとコロナ渦中の春彼岸
春風に木々もスウィング軽音部
花の春コロナ前線進むやも
駆け込める信号花の繽紛と
碇草咲いてこの地を去りがたく
雪柳香るこの家を去る日かな


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「越後」令和3年『橡』5月号より

2021-04-29 15:12:16 | 俳句とエッセイ
 越後   亜紀子

 引っ越し前夜、庭の物置に溜めおいた大量の不燃ごみを月に一度の回収日にどっと処分。歩道の縁に沿ってずらずらと貨物列車よろしく。昼前にはそれらはさっぱりと消えていたのだが、午後になってお向かいの家の裏木戸の隅に何やら物が置いてある。炊飯器、ティーカップのセットなどが一塊りに手提げ袋から覗いている。このところ近隣では新築ラッシュ。大方どこかの工事の人が一時置き忘れ、後で取りに来るのだろうと大して気にも止めなかった。夕方になってお向かいさんとお隣さんに声を掛けられた。もしや我が家の物ではないかと。お向かいさんは一人暮らしのお婆ちゃん。訪ねてきた息子さんに「触らずに警察を呼ぶように」と言われたそう。三軒頭を寄せて思案の末やはり警察を頼ることになった。暇な私が電話すると二人組のお巡りさんがすぐ来てくれ、小一時間調べて、迷惑な人がいますよねと遺失物として持って行ってくれた。これがゴミ袋に入っていれば不法投棄ということで環境事業所の仕事になるのだそう。危険物でなかったのは幸い。西空はまだうららの黄昏。この長閑な町が名残惜しい。
 ドタバタと過ごしながらも俳句のお陰様で辛うじて転ぶことはない。そんな折、新潟の松田松榮さんの「九十五歳記念俳句集」を頂戴する。松田さんは雪深い雁木の町、新潟市沼垂に生まれ育ち、俳句は退職後高坂愛先生のもとで始められた。愛先生も故人となられ、当時のお仲間も数少なくなられた由。
 
沙羅咲くや母の刺したる花布巾
五頭の風入れて奥湯の麻のれん
火の星や芒の招く羽越線
裂織の座布団受くる若葉冷え
まづ窓の雪掘りにけり奥越後
藍染の風呂敷今も柏餅
遠近に雉の声聞く良寛忌
酒蔵の雀百羽に春日さす
秋茱萸やすれ違ふもの浜の風
荒海の風鳴る軒に吊し鮭
春寒やことこと炉火のしもつかれ
鮭漁に老ゆる暇なし居繰舟
とめどなく降る雪仰ぐ虹児詩碑
介護院カタカナ料理春夕べ
百態の雲流れゆく彼岸西風
亀鳴くを水槽のぞく夜々楽し
 
越後の風土や文化、自然、その中のご自身の日常を深く繊細に詠いまさに正調“橡”。しばし雑事を忘れる。
 新潟というと石川寿美先生。幾つになられても乙女のような明るく愛くるしい声で電話をかけてこられた。
父に取り次ぐ時つい声色を真似をしたものだ。家を離れ、最初の子が生まれた時に子供の綿入れを縫って送ってくださった。寿美先生の娘さんが料理の先生で新潟の郷土料理の本を出版された折に父に送ってくださったのを私がもらい、色々試しに作ってみたのも娘時代の昔話。引っ越しの荷造りの最中に著者サイン入りのその本が出てきて当時が蘇る。思い出は潮のように遠く引いてゆくが、またある時潮が寄せるように近くなる。歳月の貴さと寂しさ。
 「どっとうあろうて〜」これは子供の時に風呂に入ると父が歌っていた一節。新潟の歌というのは聞いていたが何の歌なのか意味も分からなかった。少し長じて「怒涛洗うて」と解釈。日本海の荒波の歌かと思った。父は旧制新潟高校で寮生だったからあるいは寮歌かとも考えたがそうではないらしい。酒を飲まなかったので蛮カラは苦手らしく、何より暗い時代のことで新潟の思い出はあまり語らなかった。唯一、寮ではもやしと油揚の味噌汁ばかりだったと言い、それが上手いと時々母に作らせていたこと。また塩鮭を食べた後の骨や皮に熱湯を注いで、これも母に汁を作らせていたのを思い出した。そして件の歌は「どっと笑うて立つ浪風の荒き折節義経公は」に始まる佐渡の盆踊唄『相川音頭』と判明。

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選後鑑賞令和3年「橡」5月号より

2021-04-29 15:06:54 | 俳句とエッセイ
  選後鑑賞   亜紀子

江商の蔵幾世継ぎ梅も老ゆ  岡田まり子

 交通の要衝にある近江は古くから商業活動が活発で、時代が下るに従い国内外でより幅広く活動する豪商も現れる。近江あきんどという言葉には負のイメージもあるが、実際には「三方よし」に見られるように商売に対して独自の思想哲学を持っていた。ウイン、ウイン、ウインの考え方はこの現代社会にこそ求められているのだが。掲句、大商人の蔵こそ毀たれずに世を経てはいるが往時の勢いは今はない。老梅と言わず、梅も老ゆの措辞がその機微を伝えてくれる。弱肉強食、利益優先、貪欲がモットーの今の世を静かに眺めている目が何処かにあるような。

点滴を供にリハビリ夕永し  布施朋子

 術後の病院で。リハビリに入られているのだから手術は成功し、一段落されたのだろう。昔は安静ということが言われたが、現代の医療ではリハビリが肝心。寝てばかりいてはかえって回復が遅れる。掲句作者も長い廊下をそろそろと点滴スタンドを押しながら行ったり来たり。窓の夕日が季節を物語っている。我が身の災難に狼狽えた時は過ぎ、点滴をお供にと諧謔を持って受け止めている。これから季節はさらに良くなる。

まんさくの垣楽しみて友住めり 倉嶋定子

 早春、まだ木の芽も萌えぬ庭、まんさくの黄色の花は春到来をいち早く知らせてくれる。垣に仕立てたこの花に囲まれて住むご友人。コロナ渦中の今は会う事叶わず、あるいは電話か書状での知らせを受けたのかもしれない。作者の心も弾んだことだろう。通りをゆく人々もパッと目を楽しませてもらっているだろう。

吹き戻る紙笛めきてまんさく黄 森谷留美子

 ピロピロ笛、吹き戻し。子供の頃は飽きもせずよく遊んだ。クリスマスの紙製の長靴の中に駄菓子と一緒に入っていたのが懐かしい。だんだんと戻りが悪くなって巻きの勢いが失せてくる。掲句のまんさくの花はそんな状態ではなかろうか。それにしても、まんさくからピロピロ笛を連想するとは柔らかな発想を持つ作者。下五の留めも笛の動きにぴったり。

春愁やお百度を踏む人の影  永塩菊江

 作者の春愁、お百度参りする人の春愁。今のコロナ渦中、誰しも幾分かはきっと共感されるだろう。お参りの人の姿を詳しくは表現せずに人の影としたところ、趣あり。

川渡る電車そびらに蓬摘む  松尾守

 鉄橋を渡る電車。萌え初めた川堤。摘んだ蓬はお母さんがお団子にしてくれる。谷内六郎の絵を思い出す。

腰掛けてシニア筋トレ長閑なり  高沢紀美子

 筋トレというとジムに通ってバーベルを上げ下げする姿を思い浮かべるが、ここはシニア筋トレ。椅子に座って無理なくできるメニュー。テレビでも見ながら自宅で、あるいは一日三十分のシニア専用ジムで。季節も長閑なり。ただしこの筋トレが肝心なことは忘れまい。

菜の花やひかりちやんてふ鸛  田辺良子

 鸛は国内で周年生息し繁殖する個体は絶滅。現在は飼育下で繁殖させたものを放す努力が続けられている。個体識別し、GPS装着で位置情報を確認しているとのこと。それぞれ名前をもらい、ひかりちゃんというのは福井県生まれ。今年京都は城陽に飛来。一面の菜の花が一層眩しい佳き名なり。


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