橡の木の下で

俳句と共に

「四月大阪吟行」平成23年『橡』6月号より

2011-05-31 09:38:50 | 俳句とエッセイ

四月大阪吟行    三浦亜紀子

 四月十日、大阪は適塾~大川の半日吟行会。鳥越やすこ先生、浅野なみ先生のお誘いで参加させていただく。三月の大震災の後から間もなく、今回の吟行会開催を心配される向きもあったと聞いていた。関西勢は阪神淡路大震災を身近に体験している。最終的に計画どおり開かれるところとなり、幹事役の福元さんから詳細な計画表、案内記や名簿を送っていただき、当日は吟行晴れとも言いたいような青空であった。

 何か楽しいことを起こそうとするとき、一瞬立ち止まる。これでいいのかしら、こんな呑気でいいのかしら。自分だけ良い思いをしているのではないか。自粛すべきことと、そうでないことの境は何だろう。

「自粛は大切なことを教えてくれる。忙しい人は自分の行動の優先順位を吟味して、順位の高いことは雨が降ろうが槍が降ろうが、誰が何と言おうが実行に移すだろう。」*

このような趣旨の文章を見つけ、どこか納得したような安心したような気になる。これを頼りの免罪符にして、結局は主体的行動意識は曖昧で意気地のないままに、待ち合わせの駅の改札口へ。

 大阪、兵庫、京都から、また和歌山の坂口先生一行も合流されて明るく賑やかな朝が始まる。逡巡や一抹の不安は吹っ飛び、今日一日はただ良い句を作ることに心を砕こうという気持ちになる。自分の俳句はものの役には立たない。閑な顔をした呑気節だ。これを覚悟でいよう。ただ倦まず、立ち止まらずに。

 馴染みのお顔、初めてお会いするお顔のなかに、ことのほか懐かしい一人。省吾さんとは大島先生の「空の会」でご一緒させていただいたことがある。爾来二十数年ぶりではないだろうか。当時と全く変わらぬ印象。しかし、さすがに髪にいくらか白いものが混じっていらっしゃる。当方はすっかり染め直し、カモフラージュ万端怠りないことはお判りだろうか。大島先生亡き後をやすこ・なみ両先生で引き継がれたのが本日の句会の母体とのことだ。

 金融街のビルの狭間に緒方洪庵の開いた適塾と、明治十三年創設の市立の愛珠幼稚園が並んでいる。先の大戦で大方は焼けてしまった界隈で、風向きの偶然で残った建物だそうだ。幼稚園は現在も現役で、ここを卒業された方もいらした。

七月や時の怒濤は音も無し    駒沢たか子

いつも病床から佳句を発表される駒沢先生の昨年の巻頭句を思い出す。時というものは個人の上にも社会の上にも、常にとどまることなく押し寄せている。自分一個の上を振り返ってみた時、まさしく無音である。

適塾の医書を覗けば秋のこゑ   堀口星眠

 緒方洪庵の蘭学塾からは橋本左内、大村益次郎、福沢諭吉等、明治の時代に活躍する人物を大勢出している。勉学の中心は蘭書の輪読で、塾に一冊だけの辞書を塾生達が奪い合うようにして読み込んだそうである。教える(押しえる)のではなく、自ら学び取るという姿勢。人物の輩出もむべなるかな。すぐれた教育者であった見事な証明。医学者としても蘭学者としても先を見通すことのできた一流の学者であったようだ。室内に掲げられた「扶氏医戒之略」はベルリン大学のフーフェランドの内科書を洪庵が翻訳した中から医の倫理に関する項を十二か条にまとめたもの。この日、すっかり洪庵の俄ファンになった。

 徒歩で大川(淀川の旧流路)の船着きへ。ちょうど汐がさしてきた頃、大河の水は満々。河畔は満開の桜。都鳥が飛び交う。二十分ほど遊覧船に揺られて岸辺の花の雲に沿う。水と花と、大阪がこれほどに美しい街だとは知らなかった。

*http://square.umin.ac.jp/~massie-tmd/I131.html