橡の木の下で

俳句と共に

草稿05/31

2019-05-31 09:31:03 | 一日一句

屋のうちの梅雨のきざしの暗さかな  亜紀子


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草稿05/30

2019-05-30 11:41:26 | 一日一句

歩きつつ日傘の下で考へる   亜紀子


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草稿05/29

2019-05-29 11:02:28 | 一日一句

朝風に子を呼ぶ声音四十雀  亜紀子


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「黄金週間」令和元年『橡』6月号より

2019-05-28 11:38:12 | 俳句とエッセイ

 黄金週間  亜紀子

 

風湧くや喜び走る花の塵

花圃あれば虻蜂のごと花圃に寄る

初蝶や合はぬ門扉の右ひだり

ラジオから昭和歌謡や花ぐもり

花御堂解きて二日の雪降れり

尻ちよいと上げて行きしは春の鵙

雪柳ほろほろこぼる水車小屋

楠落葉彫漆の色重ねをり

白熱のシニアサッカー花は葉に

鳩の来て藤の花芽をしきり食ふ

菜の花もたけて気長に鷺の漁

聞き得たり椋鳥が真似をる杜鵑

いつも来るいつもの時刻揚羽蝶

橡の芽も朝の雨に傘ひらく

しこ草も我も春日を浴びてをり

立浪草日ごとに高き波しぶき

たまゆらを蝶のとどまる幼の手

黄金週間こぼるるやうに過ぎてゆき


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「物真似椋鳥」令和元年『橡』6月号より

2019-05-28 11:31:32 | 俳句とエッセイ

  物真似椋鳥   亜紀子

 

 いつもの買物に出ようとズックをつっかけて戸を開けると、聞き慣れぬ鳥の声がした。木々は芽を開き、草は丈を伸ばし、あたり一面俄に緑がちになっている。不意に、おおかたの植物が緑色を呈しているのは何故かと不思議な気持ちがしてきた。葉緑体ゆえと言えばそのとおりだが、葉緑体がなぜ緑なのか。緑の色素と太陽光と生命の関係になにか好都合な理由があるのだろうか。そんな空気の中で、鳥はいささか奇妙な声で一所懸命に囀っている。てっぺんかけたか、東京特許許可局、節回しは時鳥に違いない。しかしながら声の質が違う。鵯が物真似で鳴いているのかしらと思う。いつだかったか鶯の真似をしていた鵯。今年は頬白かあおじのような節をつけて歌っていたのだが、他にもどこかで時鳥を習ってきたのがいるのだろうか。鵯は地声で真似するのですぐ正体バレてしまうが、件の鳥は綺麗な音色を持っている。特別に喉のよい個体かしら。買物リュックを背負って歩いていくと頭の上でひときわ声が高くなった。見上げれば電線に一羽の椋鳥。見つめていると身体を振るわせて、キョッキョ、キョキョキョキョと確かにこの子が歌っているではないか。どこか高原の雰囲気を漂わせて独り朗々と。物真似というのはそれだけで面白い。ご当人は大真面目で必死らしいのでなおさら面白い。小さな赤ん坊がだんだん大きくなって、少しずついろいろ身につけて言葉も使えるようになって、ある時いつ誰に教わったのか思いもよらぬ大人びたことを大人びた調子で言うことがある。周囲は大いに笑わされ、自らの言動を顧みさせられる。それにしても野の鳥たちは今繁殖期と思われる。物真似椋鳥は仲間とは違った唄でパートナーを引きつけるのか、あるいはライバルを追っ払うのだろうか。それとも群を外れたアウトローか。そもそもこの界隈では時鳥はめったに聞かれない。梅雨の頃、空をひと声ふた声と通り過ぎるの耳にすることはあるけれど。いったい何時何処で覚えたのか。しばらく見つめていると、やおら発ってどこかへ行ってしまった。やっぱり孤独なアウトローなのか。

 ネットで調べてみたところ、他の地域でも時鳥を真似る椋鳥が居ることが分った。それほど珍しいことではないらしい。椋鳥イコール悪声、ギャーギャーと騒がしいイメージがある。昨秋、愛知県豊田市の駅前の大群が社会問題になっていると聞いた。しかし、昔信越線で群馬から信州軽井沢の駅前に降り立つと、綺麗な声の椋鳥たちがいたことを思い出した。今でも変わらないだろうか。涼しく澄んだ高原の空気が鳥の唄にも影響するのかと思っていたが、もしかしたら彼らは高原の鳥たちの唄の影響を受けていたのかも。欧米のホシムクドリも物真似をする。モーツァルトのペットの椋鳥は彼のピアノ協奏曲の主題のひとつを囀ったというから、本来良い歌い手なのかもしれない。『モーツァルトのムクドリ』の著者、ナチュラリストのL・L・ハウプトが飼っているホシムクドリは人の声、猫の声、機械音などなど上手に真似する。電子レンジの扉を閉める音を聞くと、すかさずピーピーピーと終了合図の電子音の真似をする動画を見た。ハウプトはこの鳥が状況を把握予想できる賢さを伝えている。刺激と反応の行動であろうから、予想と言っていいのかどうか分らないが、利口な鳥であることは確か。

 数日後、またあの子の声がした。息子とランチに出かけた道すがら、家から一キロほど離れた町のアパートの屋上で鳴いている。私は「聞いて、聞いて」と大発見のように説明。「変わり者なのかな」と息子も小鳥の身の上を案じるような質問をする。と、飛びたった鳥のすぐ後を別の一羽が追っていった。連れ合いだろう。アウトローではなかったようだ。

 しばらく籠りがちの生活だったが、季節は巡り留まることはない。時に従い自然は居ながらに折々変化を運んで来てくれる。有り難く平和な日々と感謝する。元号が変わり巷は賑やかだ。これまで我々の頭の上に爆弾が落ちて来ず、また直接的に他所へ爆弾を落さなかったのは良かった。とはいえ間接的にはこれまでも、これからも爆弾に加担していくだろうし、平和維持のための規制もいつの間にかゆるゆるにされている。考えていたら、椋鳥が言う。考えるたあ呑気なことだ。ランチどころじゃない、我々は今必死ですぜ。


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