橡の木の下で

俳句と共に

「秋を言ふ」令和2年『橡』12月号より

2020-11-29 09:39:41 | 俳句とエッセイ
 秋を言ふ    亜紀子

足元の蝿捕蜘蛛も秋を言ふ
つづれさせ日がな千草の綴れ織る
蜘蛛蜥蜴我も寒さは苦手なり
せつかちに来てはまた失せせせり蝶
高空の刺羽白光傾ぎ消ゆ
つぼみ上げ幾日を経るや石蕗の花
滞る日日石蕗も咲きかけて
健やかな眠りを得たり月の窓
澄む川の幼の散歩数珠つなぎ
しほたるる向日葵種を満載に
聴講のズームに更くる秋灯
山盛りの茹栗卓に灯も更くる
秋うらら花あげますの札掲げ
疫病に魔女も自粛のハロウイーン
  都々逸の柴さんを悼む
秋の夜の酒はしづかに逝く人よ


「引越し」令和2年『橡』12月号より

2020-11-29 09:36:52 | 俳句とエッセイ
 引越し        亜紀子

 ここ数日ヒッヒッっと尉鶲の高い声が響いている。界隈にまた冬が来る。二階の軒に干し物を残したまま施設に行ってしまったSさんの家のピラカンサは今年も見事に色付いた。目白も鵯もまだ度々は顔を出さないが、もう少し寒くなれば毎日通って来るだろう。そのうちに白腹も静かにやって来るはずだ。
 かれこれ二十年余り借りていた家。大家さんが売りに出されるということで、来春には引っ越すことになった。家屋は築四十数年。この地域の人たちは十年から二十年ごとに外壁など定期的に修繕する習慣だが、この家はそうした対策は施していないので相当傷んでいる。いつだったか近所の小学生が友達を連れて来て、我が家の前の三尺道を「お化け屋敷—!」と叫んでピューっと駆け抜けて行った。壁を覆っていた蔦がことごとく枯れた季節だったので自分で見上げても確かにお化けが出そうだった。大家さんから家抜きの土地だけの値段で売ってくれるとの相談があったが、とても手の出せる話ではない。しかし長い間好き勝手に使わせてもらって、なお先ずは私たちに話を通してくれたのは有難いこと。
 夫の実家は同じ市内にあるマンションで、夫はまだ義父母が健在であった頃、末っ子が小学四年生の時から本拠地をそちらに移して暮らしている。父母が他界した後もそのまま生活している。三人の子供は皆こちらの古家で大きくなって上二人は曲がりなりにも巣立って行った。残る一人と私があちらに合流することになった。
 二十余年の身の塵。娘たちはまだ所帯を持ったわけではないので多くの物が家に置いてある。私と息子と合わせて大人四人分。夫は夫で父母の頃からの物もあり、大人三人分。越していくにしても、何をどう塩梅したものか。ミッション・インポッシブル。その不可能を可能にすべく、シミュレーションを繰り返す日々。
 お向かいのWさんとたまたま来年の話になった折に引越しのことを知らせた。驚かれた。翌日また顔が合うと、昨日は引越しの話を聞いた途端背中がさあっと寒くなったと言う。一人暮らしのお年寄りとはいっても近くに家族の家もある。それでも慣れ親しんだ者が近くに居なくなるのは心細いよう。更地になって土地が売れればきっと二軒くらいの家が建ってご近所さんが増えますよと明るく言えば、私のように先のある人たちはそう思えるだろうが、Wさんの年齢になるとそういう風には考えられないのだと言われる。同じことをUさんにも言われた。Uさんはご主人を亡くされたが、息子さんとその息子さんと同居、独居ではない。庭の草木に詳しく、私も色々と教えてもらっている。伺えば、新しい何かに期待するより、変わってしまうものへの寂しさの方が先に立つようだ。年とるとダメよねえと。更地になる前にと、リコリスやサフランもどきの球根、黒葉スミレ、木苺、冬の花蕨、春蘭などを掘って貰ってもらう。春蘭には薄いオレンジ色の花芽が隠れていた。
 そう遠くないとはいえ、越してしまえばなかなか戻る機会もない。昔子供たちと歩いた道、小学校や幼稚園の近辺を訪ねてみた。道筋は変わって居ないはずだが、新しい家ばかりになっていて初めて来たような感じに驚く。いつも泣いていた娘を送って廊下でしばらく待っていた小学校の窓に壁に貼られた子供達の作品が見える。昔もこんな風だったと思うのだが、もう記憶は曖昧だ。幼稚園のお迎えの待ち合わせ場所。綺麗な住宅街の、なぜか山羊の居た畑の一画が今も残っており、これは懐かしく思い出された。坂を上りきった交差点で遥かに広がる夕焼け雲を眺める。いつもその時その時で一杯一杯だった。それでもちゃんと夜が来て、朝が来た。
 今年、冬の終わりの雪の日に渡りの途中の連雀の群れが寄って行った。Wさんと我が家の間の電線に二十羽以上いただろう。Sさんのピラカンサを半日かけて食べ尽くすのを息子と眺めた。かつて父の兄が亡くなる前、父の庭に大瑠璃が来て朗々と鳴いたと聞いた。珍しい鳥の飛来は何かの予兆という連想がある。しかしあの日の連雀以降特別なことは何もない。良いことも悪いことも。マンションのベランダに連雀は来ないだろうが、朝日は上り、月も照らしてくれるだろう。
 

選後鑑賞令和2年「橡」12号より

2020-11-29 09:32:31 | 俳句とエッセイ
選後鑑賞  亜紀子

とんぼ連れ国勢調査ひと巡り  岩嵜妥江

 五年ごとに行われる国勢調査、二〇二〇年の今年は調査開始以来百年目だそうだ。新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、例年なら調査員が対面で世帯の確認や調査の説明をするところ、できるだけ直接接触を回避する方法が取られた。回答方法も可能な限りインターネットを活用することが推奨された。とはいえ調査用紙はそれぞれの世帯に割り当てられていて、広告のチラシをポスティングするように闇雲にばら撒くわけにはいかない。九月の半ばといえばまだ暑かったが、空の色には秋の気配、蜻蛉も舞う一日、作者は比較的易々と一仕事終えられたようだ。お世話様でした。付けたりになるが、大和本州を古人は秋津洲(蜻蛉の島)と呼んだ。

いくたびも雲を映して水澄めり 西村惠美子

 雲が流れつぐから水上の影も流れるのか、水が流れているから雲影も流れるように見えるのか。いずれにしても澄み切った空、清らかな水と空気。爽やかな一時だ。

狛犬の鼻に休めるきりぎりす  鈴木勇魚

 まだ暑い盛り、草むらの陰でギー、チョンと鳴いていたキリギリス。姿を現して、それも狛犬の鼻に止まっているなんてとぼけている。遊び疲れたのだろうか。もう夏は終わる。ズームで一枚撮影の趣き。

山城の土塁一面曼珠沙華    小川信子

 橡誌上に隔月で掲載の山城探訪記が面白い。掲句作者在住の栃木県にも山城遺構は多いようだ。歴史を辿れる城も城主も不明の城も、今はわずかに残された地面の窪みや堀跡が往時を偲ぶよすが。薮に埋もれているものもあるだろう。掲句は一面曼珠沙華に覆われているというのだから季節には多くのロマンチストを集めているのでは。

吉備の里訪へば赤米たわわなる 板野節子

 岡山総社市の備中国分寺では神饌の儀式に用いる赤米を古来より栽培し守り続けているそうだ。赤い稲穂(籾から出た毛の色)に風が渡る様は美しく、ことに総社寺の五重塔を背景に田の面が夕日に映える一時は絶景とのこと。吉備の里という語にゆったりと古の時が流れているように感じられる。
 ところで、健康のためにと時折白米に古代米の名の赤米を混ぜて炊いている。古代の米は皆赤米と思っていたが確かではないらしい。野生種の米のほとんどは赤米で環境に強いのだが味が悪く、有史以前にもたらされた稲のうち赤米は次第に栽培されなくなっていったのだという。現在の古代米と言われているものはかなり改良された種類なのだろう。
 二昔以上も前の話だが、カナダのネイティブの人たちの居住区にあった料理宿ではワイルドライスの名の細長い茶色の米のピラフが出されていた。その地区では洗面所の蛇口から出る水も茶色だったのを思い出す。今はいかにとネット検索したらちゃんと営業している。そしてなんとカジノホテルになっていた。これはこれで生き残り作戦、自らを守り続ける方策だろう。

健診の絶食ひと日さはやかに  小野田晴子

 絶食療法というのがあるそうだ。内臓が休まり、飢餓というストレスがかえって体や心の働きを高めてくれるのだという。ほとんどの病に一定の効果があると言われているらしい。作者は治療のためではなく、健康診断の血液検査に備えて飲み食いを控えたのだが、思いの外身も心もスッキリしているのを実感されたのだろう。季節の効果も大きい。
 飽食の時代と言われて久しいが、町の隅で餓死する人のニュース。ひとたび事が起これば自給の叶わぬ食糧事情。社会は治療が必要。