橡の木の下で

俳句と共に

選後鑑賞平成24年『橡』8月号より

2012-07-27 10:00:02 | 俳句とエッセイ

橡8月号 選後鑑賞  亜紀子

 

吾子にはや人妻の香や洗ひ髪  後藤八重

 

 スイッチ一つで湯が沸き、いつ何時でもシャワーで髪の洗える現代、洗い髪という季語の情緒は昔の暮らしのそれとは異なるかもしれない。そんな環境下にあって、掲句は且つての洗い髪の趣を濃厚に伝えている。

嫁ぐことの決まった娘の、まだ乾かぬ洗いっぱなしの髪。そこにはや人妻の艶を嗅ぎ分けるのは同性の母親ならでは。母娘の関係の微妙なあわい。じきに人妻同志分かり合う同盟が結ばれていくのかもしれない。

 

青梅に紅ほのかなり東慶寺   金子まち子

 

 緑滴る鎌倉、松岡山東慶寺は北条時宗の妻覚山志道尼を開祖とし七二〇年の歴史を持つ。別名、縁切寺。妻からの離婚の認められなかった近世封建制度下で、女人救済の寺として知られた。境内は四季折々の花が美しい。そのなかに、若葉の陰の青梅に目が留る。よく張った実にほんのりと紅色がのっている。この寺の由来と、青梅に帯いた淡い紅とが匂い映り合う。

 

 

雛急かせ小綬鶏谷を移りけり  篠崎登美子

 

 良いところに出くわした。数羽の雛は母鳥の後ろをぞろぞろと付いて行くのだろう。庭に飼っていた矮鶏が姿を消した後、いつの間にか雛を連れて出てきた光景を思い出す。未熟な子供たちを連れ、横断歩道を渡るかのように、谷一つ越えるのは危険な一時であろう。急かせの語が効いている。谷を移りの表現で、谷間一帯の緑の瑞々しさが浮かび上がってくる。

 

黄鶲や若葉わかばの山歩き   鏡秀美

 

 近所の大学キャンパスの林に黄鶲が立寄り、ひとしきり囀っていった。こんな街のなかでまさかと、夢を見ているようでうっとりと聞いた。野鳥に詳しい人の情報によると、今年は黄鶲が多く見られると言う。また関西の人に聞いたところ、関西では街中で見かけることも稀ではないそうだ。掲句の黄鶲は所を得ている。若葉一色の山中の何処かで、我を忘れて夢中になって歌うのだ。

 

鵯の子の羽ばたき復習ふ小雨なか 市川美貴子

 

 鵯の子の傍らには親鳥がいて、羽ばたく練習をしている。あるいは羽ばたきで餌をねだっているのかもしれない。もう親と見紛うばかりに成長している。そぼ降る雨に、これも親鳥と同じく灰色の頭がもさもさと濡れているのがいじらしいようだ。忙しい日常の中にあって、ふとした観察怠らぬ作者である。

 

王宮の庭果てしなく薔薇の風  菅原ちはや

 

 何処の国の宮殿だろうか。広大な庭に咲き誇る薔薇の数に圧倒される。花の盛りに来合わせたのは幸運である。果てしなくと思い切って詠い、王宮の栄華を目の当たりにする。香り高い薔薇の風が効果をあげている。

 

黒海の風の頬さすチューリップ 山本安代

 

 チューリップというと先ずオランダを思いだすが、調べてみると原産国はトルコである。トルコには野生のチューリップが見られるそうである。作者は黒海に面したこの国を旅されたのだろう。黒海沿岸は温暖な気候ゆえ昔からリゾート地として開発されてきたが、早春の花チューリップの頃は寒さを覚えることもあるのだろう。あるいは保養気分に浸りきれぬ何かが感じられたのか。このところのトルコとシリアの衝突を思わせられるのは偶然の一致か。

 

 

 

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