橡の木の下で

俳句と共に

「蜂と四十雀」平成24年『橡』8月号より      

2012-07-27 10:00:04 | 俳句とエッセイ

 蜂と四十雀     亜紀子

 

 梅雨台風四号が明日接近という予報が出たその晩、二階の寝室がいつになく蒸し暑い。夜中の寝苦しさに目が覚め、階段の踊り場の、普段は閉め切りの小窓を開けて網戸にする。途端、ぶんぶんと大きな音が立った。寝惚け頭には一瞬何が起きたのか見当がつかない。ブイブイを起こしたのかしら。家の壁に蔦を巡らしており、小窓の上の廂からも窓を覆い隠すようにぶら下がっている。その蔦の青葉がドウガネブイブイという名の黄金虫の好物なのだ。この虫は飛び立つ時にぶいーっと大きな羽音を立てる。レースのカーテンを持ち上げて窓外に目を凝らす。真っ暗な硝子窓は壊れたブラウン管テレビの画面で、走査線の雑音が走っているように見えた。ブイブイではない何かが居る。

 灯りを付けると、廂の下に丸いソフトボール大の蜂の巣が見えた。雀蜂。硝子窓が当たって一部壊してしまったようだ。中で幼虫らしい白い尻が動いている。ぶんぶん音を立てているのは慌てふためいた働き蜂。きっと火のように怒っている。急いで窓を閉めて考える。明日の朝までそっとして専門業者に駆除を頼もう。しかし、夜が明けても騒ぎが収まらなかったら恐い。ふと思い付き、消灯して少しばかり窓を開け、網戸越しに殺虫スプレーを噴射。蜂はさらに騒然となる。起き出して顔を覗かせていた中学生の息子が、蜂が入ったと叫ぶ。老眼の私には気がつかなかった一匹が踊り場で唸っていた。子供を部屋に戻し、もう一度窓を閉じ、一匹に集中砲火のスプレーでなんとか仕留める。思ったより小型で、キイロスズメバチらしい。

 翌日、朝から次第に風が強まる。保健所で紹介してもらった駆除業者と電話で交渉する。巣の駆除は巣内に居る女王蜂と丸ごと一緒に取り除かなければ意味がないのだという。昨晩の私の仕業は最悪らしい。一部が壊れただけであれば再び蜂が巣を修繕するので、完成を待って駆除するのが望ましいとのこと。しかし薬剤噴霧で蜂は怒っているだろうから、それまで私が待てるかどうか。市販の薬は殺虫効果が長時間残留しないように作られている。一晩で既にその薬効は消えているだろうと言われ、どうも恐ろしい。夜になってから駆除に来てくれることになった。

 その間に激しい風に煽られたのか、巣の外皮一枚がすっぽり落ちてしまう。蓮の実の莢形の基盤が剥き出しになった。少し大型の蜂が一匹、しきりに幼虫の世話をやいている。これが女王蜂か。蔦が辛うじて雨風を防いでいる。件の業者に連絡すると、明日まで待ってその時にまだ女王蜂がいるようなら来てくれるという。巣を放棄する可能性大らしい。夕刻、女王は子供の世話を止め、巣の付け根にじっと留まり自分が嵐に耐えるのに精一杯の様子だった。台風の去った翌朝蜂の姿は消え、雨が乾く頃には幼虫に小さな蟻が群がっていた。

 さてその次の日の午後、庭の草陰に一羽の四十雀が跳ねていた。淡い灰青色が美しい、まだ飛翔おぼつかぬ巣立ち子である。野鳥には人間は手出しをしてはいけないと聞いたことがある。親鳥とはぐれたようで可哀相ではあったが、ひとり茂みに隠れるままにしておいた。翌朝早く、部活の練習で家を出た息子がまだ玄関で私を呼ぶ。くだんの四十雀の子が冷たくなっていた。なぜ助けてやらなかったと問われて、それが自然の掟と返答する。あんたは人間の子で良かったねえと言うと、少年はふんと鼻を鳴らして出て行った。まだ生きているような鳥の骸にも小さな蟻が群れている。路地の向かいの電線で鴉がこちらを見下ろして首を上下に振って鳴いている。鴉は実に利口だ。自然の掟であれば彼に任せるべきだろうが、やっぱり忍びなくて人の手で片付けてやる。

 その後、晴れた日にはまた蜂の姿を見かけるようになった。葉陰の芋虫を適当に間引いてくれる。ジュジュジュと四十雀の声もする。あの時の蜂と四十雀と関係があるかどうかは分からない。

 

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