橡の木の下で

俳句と共に

木下多惠子句集 『白馬山麓』

2020-11-22 20:59:08 | 句集紹介
『白馬山麓』

令和2年 霜月発行
著者   木下多惠子
発行所  Baum

著者略歴
昭和8年  大阪生れ
昭和59年 「橡」入門
令和元年  「橡」同人
俳人協会会員

問い合わせ
〒564-0043
大阪府吹田市南吹田3−20−21
木下多惠子

序『白馬山麓』に寄せて   
              亜紀子

郭公や道はつらぬく野と雲を  星眠

 これは堀口星眠が若き日より通い続けた信州は軽井沢での景。木下多惠子さんがこの四十年余を四季問わず通い続けている白馬山麓にも同じように真っ直ぐな道があるのでは。木下さんから句集の序の依頼のお話があった時、父星眠が存命であればと思わずにはいられなかった。
 その白馬の山荘に一度お招きいただいたことがある。
私はまだ嫁入り前のほんの子供で、あれから三十年はゆうに経っている。自分も含め、人も取り巻く状況も随分と変わってきた。しかし折あるごとにお目にかかる木下さんの印象は初めてお会いしたとき以来全くと言っていいほど変わらない。声の張り、その口調、明るく前向きでどこかにいつもユーモアを湛えて。あ、木下さん居らしてるとすぐ分かる。
 周囲に笑いの絶えない木下さん、その俳句は大変真面目である。若き日の星眠の高原派と呼ばれた清新な俳風を一途に求め続けている。

雪を来て足跡消えし聖書売
地滑りの跡や黄落とどまらず
花豆の花のトンネル浅間見ゆ
橡の実やトロッコ道をゆづりあひ
真先に鶺鴒来たる春田打
からまつ草瀬音に風の湧き出づる
朝焼けの岳をけぶらす落葉焚
蟷螂の身重となりて山日和
蜜蜂の巣箱置き去る草紅葉
山荘の夜毎親しきかまどうま
草の実のはじける音か岳晴れて
雪折れの作務に一日や小梨咲く
牛方宿千の氷柱に閉ざさるる
力溜めゴンドラ登る葛の花
荻の風鴨一列に流さるる
牛方宿色なき風の通ふのみ
碌山のひぐらし聴けり古き椅子
蒼天や氷柱のパイプ風に鳴り
寄生木の毬のふくらむ春の風
大糸線青田わかちて湖に出づ
栗の花雨後の光に匂ひけり

 それでも人生には山や谷もある筈である。集中に静かに置かれた句にその跡を見る。

風花や棺にをさむ舞扇
紫木蓮母なきあとの家ひろし
庭師来て亡き夫語るいわし雲
 
 ところで俳句も慣れてくると何か変わったこと、洒落たことを言ってみたい誘惑に駆られる。概念的な句、教条的な句、奇を衒う言葉を並べてみたくなるが、却って月並調に陥ってしまう。木下さんにはそれが無い。山荘を取り巻く環境の他にお仲間と各地へ吟行されての句も多々あるが、何を詠んでも眼前の景を正攻法で描く。その中に工夫がある。
 
草萌や扇骨干しに村総出
須磨浦や波より出づる初燕
棟寄せて湯宿明けゆく岩燕
山積に漁網片寄せ雛流す
曲家の炉火にあやしき真暗がり
大原女の身支度早し大根焚
ジャズ湧きて日比谷の森に夏来たる
青鳩の声の濡れをり荒磯波
教会に詩歌の集ひ秋澄めり

 ぱっと人目を引く華やかさとは無縁だが、三十数年この一本の道を貫く姿勢は及び難い境地である。来たる年は米寿と伺う。ここに心よりお慶び申し上げる。

          令和二年 秋