橡の木の下で

俳句と共に

「私服警官」平成28年『橡』8月号より

2016-07-27 11:30:21 | 俳句とエッセイ

 私服警官      亜紀子

 

 台所の窓から電線に止まった四羽の鴉を眺める。三羽はじっと押し黙っているが、一番小さいのが濁声を張り上げ、しきりに羽を震わせて隣の一羽を見る。ははあ、くる朝くる朝聞かされる悪声はあの子鴉であったか。朝飯の催促をしているのだろう。今日は資源ゴミ回収の日なので電線で待機していても収穫はないとみたか、やがて親らしいのが滑空して消えると、子供も釣られて飛んでいった。残った二羽も間をおいて失せる。あれは兄さん姉さんだったろうか。どこかでまた鳴き声が聞こえた。

 日曜日、小さな会合の最中に娘から携帯電話がかかってきた。滅多にないことで、おや、と思って中座する。廊下に出て小声で話す。何でも娘が外出先から帰ってくると門先で見知らぬ男が中を覗いていて、自分は私服の警官だと言ったそうだ。もうじき公示の参院選を前に選挙運動違反の取り締まり捜査中とのこと。公示前は違反になる電話勧誘が近隣の三浦姓の家にあったのだという。そういう手合は名簿で同姓の家にランダムにかけまくるので、同じ三浦の我が家の表札を見て立ち寄ったところだと。「こういう者です」と警察手帳を提示したという。うちに勧誘電話はなかったのであるが、娘は一人暮らしかどうか尋ねられ、参考のためにと生年月日も聞かれたという。昭和四十年代初めに建てられた二階屋に若い娘が一人で住むだろうか。結局わが家には何の電話もかかってきていないのだから、参考とはいえ娘の生年月日が必要であろうか。娘は門内に入り閂をかけてから応対し、男が帰ったところですぐ私に連絡してきたのだった。その警官の所轄は我が家の区域外である。「こういう者」の名前をメモしたというので、帰宅してから本物かどうかを調べることにし、玄関のドアに鍵をかけておくように言う。

 夕方帰宅して鍵のかかった家に入る。その後は何事もなかったようだ。警察署に問い合わせるに当たって、手帳に記されていた署ではなく、先ずは私達の区域の警察署に連絡することにする。警官が本物であっても捜査方法に不備が無かったかどうか。直接所管の警察に電話したら、署ぐるみで隠蔽されてしまうかもしれない、などとB級映画のプロットのようなことを考えた。

 我が地域の署のお巡りさんには、そういうことなら直接その警官の配属署に問い合わせるようにと言われた。本当はそれが一番早い。M署というところへ電話をかけてみる。最初ちょっと怪訝そうな応対をした電話口の警察官はそれでも途中で話を遮ることもなく、最初から最後までよくこちらの言うことを聞いてくれた。「結論的に言いまして、そういう名前の者は確かに署におります。選挙違反の捜査も既に始まっています。」

とのこと。「この御時世そこまで十分な警戒心を持っていただけるとこちらとしても有り難いです。」などと礼を言われる。私は平身低頭、益々お忙しくなるであろうが、よろしく御願いしますと電話を切った。

 娘によく聞いてみると、私服警官は二人で来たという。いわゆる二人一組、お巡りさんのバディシステム。「こんな格好では怪しいですよねえ。」と警察手帳は行きと帰りと二度も提示してくれたそうだ。疑問があれば署に電話してみてくれとも言ったとのこと。「あら、それは悪い人じゃないね。」本物の嘘つきは嘘をつくことに平気だから言い訳しない。冗漫な説明もしない。ただ嘘をつく。今頃あのお巡りさん、よほど怪しまれたんだろうと署内で囃さているかもと娘と苦笑。

 ところで、俳句は真実の詩を言い訳や説明なしで、直截に読み手の心に響くように詠いたい。解説でなく美しさそのものを描きたい。そうしたいけれど、それが難しい。言葉を弄して己の力任せに説き伏せるのではなく、言葉自体に任せて、言葉そのものに語らせるような気持ちで行くのが一つの方法だろうか。そうして読み手の心に投げかけて、読み手の心の力を借りる行き方。一歩控える態だろうか。演奏家が楽器を力任せに鳴らそうとせず、楽器そのものに歌わせるように響かせるのと似ているかしら。どちらも修練、どちらも道は長い。

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