橡の木の下で

俳句と共に

選後鑑賞平成28年「橡」8月号より

2016-07-27 11:26:58 | 俳句とエッセイ

選後鑑賞  亜紀子

 

赤翡翠迫田づたひに笛吹けり  藤崎亮子

 

 今月の季節の星眠俳句で渚を恋い渡る赤翡翠の句を取り上げた。こちらは山峡の田をわたる赤翡翠。昔私が初めてこの鳥の声を聞いたのは故郷の碓氷川。崖下の瀞に架かる橋の上。朝まだき、姿は見えず、どこか切ないような、寂しいような、その美しい独特の声は忘れ難い。掲句の印象に近い。谷間の小さいながらも瑞々しい青田。水恋鳥の名のとおり水田べりを行くのだろう。

 

禅堂の起きて半畳五月闇  倉岡富貴代

 

 寝て一畳、起きて半畳。何物にも囚われない最小限の暮らし。禅的生き方。作者は何処かの禅寺の宿泊プログラムに参加したのだろうか。梅雨の最中、真夜はたと目覚めて体を起こしてみた。自分の居場所の大きさ、即ち自分自身の大きさを闇の中だからこそ猶一層明らかに体感したのではないか。

 

風呂敷を道に広げて蕨売り  西田沾子

 

 山菜採りが野天で蕨を商う。背負ってきた風呂敷を広げてそのまま商売を始める。値段などどうやって決めるのだろう。最近はスーパーなどでも見かけるが、味も香りもこちらの方が上だろう。風呂敷というのが素朴でいっそう良い。

 

梅雨に入りやをらトマトの色づきぬ  釘宮幸則

 

 これはハウス栽培でない露地トマト。青い実は割合早くからできていたようだ。梅雨入りし、気温も上がってきて、そろそろ色づいてきたということか。トマトの成長の仕方が見え、その成長ぶりを見守る作者の心持ちも見える。

 

若竹の衣を脱ぐ音風の音  中村康彦

 

 真青の今年竹がはらりと皮を落とす音。すらりと天へ伸びた幹の頂の葉ずれの音。それのみだが、それだけで気持ちが良い。

 

山葵田は水トレモロに鳴り昏るる  柴田純子

 

 谷間の木陰、渓流を利用して山葵の小さな段畑が作られている。水は清冽、常変わらずに流れて涼やかな音を奏でる。谷間の夕暮は早く、瑞々しい緑の山葵の葉も次第に闇の向うに吸われていく。水音だけがやさしく響く。トレモロの語が山葵田の清らかな流れを言い得て妙。

 

しんがりの田植もをはる祭まへ  二階堂妙子

 

 田植の後の祭、早苗饗・田の神送りの祭だろう。掲句を見るといつ開かれるかはあらかじめその共同体で決まっているようだ。田植はおおよそどの農家も同時期に始まって、終るわけだが、それぞれの農家の事情によってずれもある。何かの都合で田植の遅れていた一戸があったのだろう。果たしてどうなるかといささか案じていたが、無事に祭前に終了。古くから続く農村の祭事、早苗饗の宴をみなが大事に、楽しみにしている様子が伺われる。

 

週一度医療船くる島薄暑  佐藤法子

 

 小さな島には医療機関がない。病重い患者は島を出て本土の町の病院へ行かざるを得ない。町へ出られぬ患者、あるいはそこまで重くはない患者にも日常的に医療は必要である。島の人々はどうしているのか。医療船なるものがあるのを掲句で知る。週に一度の頻度で渡って来てくれるのは心強い。また其の頻度で設備、専門家を往診させるのはそう容易い活動ではない。薄暑の語に船の入った港の様、迎える島人の様を想像した。

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