馬の小鈴 亜紀子
たらちねの涙もろきに夏も過ぎ
のげしなり薊に似たる黄の花は
風の道芦原の秋進みゆく
蝲蛄の餌はするめなりすぐ掛かり
秋の野に駒のごとくに子ら放つ
秋光や名のみ伝はる渡しあり
うまおひの大き影あり夜の厨
大橡の全容見する黄葉かな
市民らの花壇の秋のたけなはに
西向いて夕日が好きなかりんの実
やや若き林檎の味の棗の実
残る蚊と眼中の蚊と飛び交へる
月を行く馬の小鈴か虫しぐれ
月の供花真夜の厨に穂をひらく
秋ついり鷺のうからの釣師かな
馬の小鈴 亜紀子
たらちねの涙もろきに夏も過ぎ
のげしなり薊に似たる黄の花は
風の道芦原の秋進みゆく
蝲蛄の餌はするめなりすぐ掛かり
秋の野に駒のごとくに子ら放つ
秋光や名のみ伝はる渡しあり
うまおひの大き影あり夜の厨
大橡の全容見する黄葉かな
市民らの花壇の秋のたけなはに
西向いて夕日が好きなかりんの実
やや若き林檎の味の棗の実
残る蚊と眼中の蚊と飛び交へる
月を行く馬の小鈴か虫しぐれ
月の供花真夜の厨に穂をひらく
秋ついり鷺のうからの釣師かな
崖の石段 亜紀子
故郷の家は崖下に建っている。信州と群馬の境、碓氷峠に端を発する碓氷川に沿って形成された河岸段丘の底近くにあり、静かな夜などは川音が聞こえてくる。谷津の地名が示す通り、崖からは絶えず水が湧いていて父はその水を庭に引いて鯉を飼っていた。お城を中心とした安中の旧市街は崖上に広がっており、父の実家、すなわち私の祖父母の家や、伯父の家は父の家のすぐ真上に位置し、上の家(かみのいえ)と呼び慣わしていた。
崖上に父母の灯小さし雁のころ 星眠
上の家と崖下の家を石段が結んでいる。八十段ほど、一段ごとが高く、崖をほぼ垂直に切り開いた急登である。途中二ヶ所の踊り場で僅かばかり斜面を巻いている。父は伯父と二人で崖上の診療所で働いていたのでこの石段を通勤路として毎日上り下りし、それはいよいよ引退するまで続けられた。
崖上る出勤遅しかたつむり 星眠
子供の頃、ランドセルを背負ってこの石段を駆け下り、途中で勢いがつき過ぎて止らなくなったことがある。自分の意志に反して足は段抜かしにすっ飛んで、このままでは転げ落ちると思った瞬間、踊り場に至ってようやく止ることができた。心臓のどきどきは止らなかった。石段の端の雨水を流す細い側溝をするするっと音を立て、凄い早さで蛇が滑るのに出くわしたこともある。この時もしばらく鼓動が止らなかった。
小綬鶏は崖を砦に営巣期 星眠
営巣期鴉声いよいよ愚かなる 星眠
目をみはる雛に夜語り青葉木菟 星眠
崖の木のつぎつぎ伐られ緑の日 星眠
崖に立つ欅の巨人寒夕焼 星眠
崖の木々は大木である。その下草の何処からか、まだきの小綬鶏の声。椋の木は鴉営巣の定位置。青葉木菟も毎年決まった木に飛来する。父が九十一歳という長命を保ったのは、緑豊かなこの崖の石段で鍛えられていたからかもしれない。
先日久方ぶりに帰郷して石段を登った。もはや踊り場での息継ぎなしには登り切れなかった。茂った竹薮、さらに伸びた木々、頂きから眺めた碓氷川と広がる田畑。風景も年を取った。
十月一日、山河集同人の鈴木寿美子先生が亡くなられた。九十七歳。入院された病院のベッドで俳句が次々といくらでもできると仰っていたそうだ。最後の句稿は枕元に書き溜められてあった句の中から、お弟子の梅沢先生が代筆して送ってくださった。ご主人が亡くなられ、ご自身も病を越え、その後の長きをお一人で俳句、書、謡の研鑽を積まれながら常に前を向いて歩まれた。そうして良き仲間、お弟子さんたちに囲まれていらした。
昨日より今日、今日より明日、長生きをしたからここ迄来れたのですと仰ったこともある。その物事を継続して極めようとされる姿勢、頭脳の明晰さ、そしてか細く小さな身体に似合わぬ朗々としたお声。ちょうど九十九歳で没する直前まで小説『森』を書いていた野上弥生子によく似ている。山河集入りされた折にそのことを申し上げた。それから暫くたって届いた葉書に、野上弥生子を引き合いに出されたので大変緊張し、ちょっと俳句が出来なくなってしまって困りましたと書かれてあった。純情な方だった。
寿美子先生が病院に入られる折、ご自身の体力の衰えをこれは摂理ですからと仰ったそうである。目標としてきた人々との別れ。寿美子先生は目標の一人である。喜びも悲しみも、全て摂理であると、今はそう信じる他はない。
選後鑑賞 亜紀子
煮干釜傾けてあり草紅葉 沖崎はる子
迂闊なことだが、日常的に身近な煮干しについて、煮た干物であるということを、素干しと区別なく素通りしていた。百科事典によれば、魚介類を煮熟して乾燥したものが煮干し。煮熟により魚介の自己消化酵素の作用を止め、また殺菌効果もあり、水分の一部も除かれ乾燥し易くなるとのこと。掲句の煮干しは片口鰯のいわゆる「煮干し」であろうか。大きな釜だろうと思われる。洗い上げられて、草紅葉の上に干された大釜。虫の音も聞こえる。郷愁誘う海浜の風景。
縄帯の父稔り田に偲びをり 馬醫守人
今穂を垂れた豊かな稔り田を前に、遠い昔を思う作者。思い出の父上は縄帯姿。そのご苦労を偲んでいるのだろう。懐かしい人は、思い出す者にとってことさらに偲ばれる特徴を持って浮かんでくるものだ。ここではそれが縄帯であるが、帯一つに父上の全体が思い出されるということだろう。それもあれこれが脳裏に浮かぶというより、胸裏に湧いてくる感情と呼ぶべきものかもしれない。
参道の人出にたヽむ秋日傘 坂井節子
良き日和に、信心の老若男女、あるいはまた観光の家族連れなどで賑わう参道。たたむ秋日傘の措辞に、明るい秋のひと日の様が描き出された。五七五のリズムも滞りなく、澄んだ日の光がおのずとまぶしい。
胆石の不意打くらふ厄日かな 中野かつこ
今年も各地、台風到来に泣いた。しかし台風特異日の二百十日、厄日の頃は嵐よりも暑さが厳しかった。何はとまれ雨風の心配のないのは良いねと油断していたわけではないだろうが、胆石の不意打は辛い。急性の胆嚢炎は汗が出る程に痛いそうである。今は治療技術が進歩しているので、こうして句に詠まれたということは、作者は既に回復されていることと思う。
小さきは鴉に頒つ西瓜畑 小鈴三穂子
新潟は全国でも有数の西瓜の産地。県外への出荷はもちろんのこと、新潟の人にとって西瓜は夏には欠かせぬ食べ物とのこと。海浜の砂地に広がる西瓜畑か、あるいは山沿いの盆地の西瓜畑だろうか。ハウス栽培でない、露地物。人ばかりか、鴉にも分け前を残してやるようだ。規格外の小さな実なのだろう。同じく小さい実でも若いうちに漬け物にした商品もあるようだ。
破れ蓮を倒し草魚は大暴れ 岩壽子
草魚はかつて蛋白源として国外から導入、国内各地の水系に放流された。その後、草食の草魚による水草に対する食害が認識され、現在は環境省によって要注意外来生物に指定されている。掲句の草魚、相当大きいようだ。捕獲が試みられたのではないだろうか。環境にとって状況は深刻である。草魚にとっても深刻な事態。大暴れの語にそのやんちゃぶりが見え、不謹慎ながら笑ってしまった。
熱の身は生の証しやおしいつく 西岡礼子
体調を崩されたのだろうか。時折病の句を拝見する。発熱するということは生体の正しい反応であって、病に対抗する機構なのだからと頭では理解しつつ、身体は辛いことと思う。その中で、法師蝉を聞く。季節の移ろい、夏が終るのを感じている。熱の最中にふと外界の興趣をつかまえる俳人魂。まり子俳句を思い出す。
ぽつねんと一日窓辺に法師蟬 古賀まり子
噴煙を捲くいたずらも神渡し 星眠
(テーブルの下により)
大分湯布院の旅で。吟行で生み出される句の数々。
湯の坪にハーブ育ちて冬ぬくし
山ふかくなりて家見ず木守柿
赤牛を牧に塗り込め冬夕焼
焦げさうに釣瓶おとしの草千里
阿蘇五山ひとつ燻れり火恋し
(亜紀子脚注)