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橡の木の下で

俳句と共に

選後鑑賞平成28年『橡』11月号より

2016-10-27 17:23:40 | 俳句とエッセイ

選後鑑賞   亜紀子

 

煮干釜傾けてあり草紅葉  沖崎はる子

 

 迂闊なことだが、日常的に身近な煮干しについて、煮た干物であるということを、素干しと区別なく素通りしていた。百科事典によれば、魚介類を煮熟して乾燥したものが煮干し。煮熟により魚介の自己消化酵素の作用を止め、また殺菌効果もあり、水分の一部も除かれ乾燥し易くなるとのこと。掲句の煮干しは片口鰯のいわゆる「煮干し」であろうか。大きな釜だろうと思われる。洗い上げられて、草紅葉の上に干された大釜。虫の音も聞こえる。郷愁誘う海浜の風景。

 

縄帯の父稔り田に偲びをり 馬醫守人

 

 今穂を垂れた豊かな稔り田を前に、遠い昔を思う作者。思い出の父上は縄帯姿。そのご苦労を偲んでいるのだろう。懐かしい人は、思い出す者にとってことさらに偲ばれる特徴を持って浮かんでくるものだ。ここではそれが縄帯であるが、帯一つに父上の全体が思い出されるということだろう。それもあれこれが脳裏に浮かぶというより、胸裏に湧いてくる感情と呼ぶべきものかもしれない。

 

参道の人出にたヽむ秋日傘 坂井節子

 

 良き日和に、信心の老若男女、あるいはまた観光の家族連れなどで賑わう参道。たたむ秋日傘の措辞に、明るい秋のひと日の様が描き出された。五七五のリズムも滞りなく、澄んだ日の光がおのずとまぶしい。

 

胆石の不意打くらふ厄日かな 中野かつこ

 

 今年も各地、台風到来に泣いた。しかし台風特異日の二百十日、厄日の頃は嵐よりも暑さが厳しかった。何はとまれ雨風の心配のないのは良いねと油断していたわけではないだろうが、胆石の不意打は辛い。急性の胆嚢炎は汗が出る程に痛いそうである。今は治療技術が進歩しているので、こうして句に詠まれたということは、作者は既に回復されていることと思う。

 

小さきは鴉に頒つ西瓜畑  小鈴三穂子

 

 新潟は全国でも有数の西瓜の産地。県外への出荷はもちろんのこと、新潟の人にとって西瓜は夏には欠かせぬ食べ物とのこと。海浜の砂地に広がる西瓜畑か、あるいは山沿いの盆地の西瓜畑だろうか。ハウス栽培でない、露地物。人ばかりか、鴉にも分け前を残してやるようだ。規格外の小さな実なのだろう。同じく小さい実でも若いうちに漬け物にした商品もあるようだ。

 

破れ蓮を倒し草魚は大暴れ 岩壽子

 

 草魚はかつて蛋白源として国外から導入、国内各地の水系に放流された。その後、草食の草魚による水草に対する食害が認識され、現在は環境省によって要注意外来生物に指定されている。掲句の草魚、相当大きいようだ。捕獲が試みられたのではないだろうか。環境にとって状況は深刻である。草魚にとっても深刻な事態。大暴れの語にそのやんちゃぶりが見え、不謹慎ながら笑ってしまった。

 

熱の身は生の証しやおしいつく 西岡礼子

 

 体調を崩されたのだろうか。時折病の句を拝見する。発熱するということは生体の正しい反応であって、病に対抗する機構なのだからと頭では理解しつつ、身体は辛いことと思う。その中で、法師蝉を聞く。季節の移ろい、夏が終るのを感じている。熱の最中にふと外界の興趣をつかまえる俳人魂。まり子俳句を思い出す。

 ぽつねんと一日窓辺に法師蟬  古賀まり子

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