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橡の木の下で

俳句と共に

「令和六年靖国神社吟行会」 令和6年「橡」7月号より

2024-06-30 13:03:24 | 俳句とエッセイ
   令和六年靖国神社吟行会 
               選評 亜紀子
 
入選

一席
帰らざる軍馬幾万青葉闇
               我孫子 縄野むつみ       

 靖国神社境内に戦没馬慰霊像がありました。先の戦争で死んだ馬は二十万頭と言われているそうです。ひとたび戦争が起きれば、人も動物も何もかも、帰らぬものばかりです。

二席
白鳩のひしめく鳩舎花明り      
                  勝部豊子

 八月十五日平和の日、神社で手厚く管理されている純白の鳩が大空に放たれます。その鳩舎が今は花の下、白鳩たちのくぐもる声が聞こえてくるようです。

三席
加農砲横たふままに青嵐
              西宮  上尾太郎

 靖国社には武器の陳列展示がなされています。元を正せば、公衆の軍事知識の増進、国防意識の醸成が目的だったそうですが、掲句ではカノン砲はただ青葉の風の中に横たわっています。兵器は永遠に眠らせておくのが皆の願いです。

靖国に風の私語あり花は葉に      寶來喜代子
献桜に聯隊の名よ茂りあふ       山下誠子
父の魂眠る靖国青葉風         藤田重信
靖国へ坂のぼり行く白日傘    市川  中野順子
献木の名札薄れし桜の実        小野いずみ
大鳥居くぐれば花の靖国社       岡本昭子
愛馬の像背に青葉の雫して      木村恵里子
新緑やさやぐラクロス少女団     佐野愛子

 橡四十周年記念大会、お世話になりました。遠方から参加いただいた皆様、ありがとうございます。準備、運営を担ってくださった幹事の皆さまに心より御礼申し上げます。
 会場近い靖国神社は花は葉に、緑の時が満ちておりました。それぞれの思いを胸に、良い吟行ができたようです。都内の方の中には前もって訪れて作句された会員もあったようです。機会があれば季節を変えてまた出向いてみたいものです。
 大会に参加されなかった会員の皆様もここに揚げられた作品をお楽しみいただきたいと思います。
 次回四十一周年に向け、健康に留意してさらに俳句精進を続けてまいりましょう。

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「選後鑑賞」令和6年「橡」7月号より

2024-06-30 12:59:04 | 俳句とエッセイ
選後鑑賞   亜紀子 

たかんなや断ゆる年なく弟より  室谷聖子

 毎年、年々ということなのだが、断ゆる年なくという措辞が身にしみた。姉思い、弟思いの二人。今年もまた届いたという一事が、それこそ歳々に尊く感ぜられる齢。

古民家に杼を繰る人や緑さす   飯村とし子

 古民家で機織に励むのは、地元の文化継承の施設で実演を見せてくれる人か、あるいはその地、その古民家に魅かれて移り住んできた若い人か。若葉のかげが横顔に映えて。


林檎咲く尾瀬の山々雪残り    戸丸富子

 見渡す尾瀬の峰々は残雪。林檎畑に白い花。例年通りの景色だろうが、林檎が咲くと毎年同じ感慨を覚えるのではなかろうか。それがこの素直な一句に成ったのでは。空気の匂い、未だ冷たく頬を撫でる風、色々を想像した。

捨て畑蕗の姑其処此処に    加藤美代子

 農の継承の難しさ、問題とされながら久しい。掲句の蕗の薹の別名、蕗の姑の語が意味深ではある。とはいえ、蕗の薹を見つければ季節の巡りは有難い事だとも思う。

二つ三つ実梅の転び雨催ふ    浅田つき子

 転がっている青梅。思わず上を見上げて青葉の中を覗いてみる。今日は曇り空。そろそろ梅雨を思う。この季節感。つい先だっていつもの散策地、徳川園の庭で私も感じたところ。

短夜の明けゆく木々の匂ひかな  高沢紀美子

 五感の優れた作者。体全体で季の趣を感じ取る。白みゆくあたりの光、肌に覚える涼しさ、そしてこの季節の木々の香り。明けゆく木々の匂ひの語に思わず我が鼻腔をひろげた。

みはるかす嶺の陽光夏立てり   須賀静子

 掲句作者も五感の鋭い人だ。遠嶺の輝きがこれまでとは異なる。ああ、夏が来たと。

緑蔭や保父の胡座に熟寝の子   豊田風露

 お散歩の一こまだろうか。保父のお兄さんの膝に眠るのはまだ赤ちゃん組の小さな子と想像した。若葉風の中、こんなにゆったりとした保育ができるのは子らに、保育士に、何より幸いだ。
 昔になるが、時々お散歩中の近所の保育園児に出会った。保育士の娘に、馴染みの先生でも挨拶はしてもベラベラ話しかけちゃダメだよと言われた。とにかく先生たちは気を張って大人数の子供たちを連れているのだからと。

父眠る丘は青葉に一周忌     市川美貴子

 悲しみの時からはや一年。青葉が目に染みる。こうやって人は自然の運行に沿いながら生きてゆく。

長閑しや石置き屋根の五百年   眞塩えいこ

 石置き屋根は豪雪地帯、強風にさらされやすい地域に見られた伝統の屋根。石を置くことで屋根材が飛ばされるのを防ぐ。その独特な景観も美しい。石は耐久性に優れ、長持ちするのは当然だろうが、五百年とはすごい。戦国時代あたりから続いていることになるか。
作者が長閑とみたのは、季節もさりながら、その長い年月をじっと座って過ごしている石の趣きを言われたのかと思う。



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「蟻の塔」令和6年「橡」6月号より

2024-05-28 16:27:09 | 俳句とエッセイ
 蟻の塔  亜紀子
 
大鞄四月の駅を行き交へる
無礼講コンパ佳境に新社員
ふるさとの山川思ふ初蛙
春夕日泣いてゐるよな笑むやうな
つばくろも来たり街角コンサート
蟻の塔めくや我が家へ階のぼり
日永さに子らも雀も呆け遊ぶ
開きゆく若葉小啄木鳥がひと巡り
雨ひと日一丁に椎香るなり
翩翻と郡上本染め鯉のぼり
駒返る草もなびくや新車両
白き花希少豆梨あふれ咲く
花散らす雨となりたり仏生会
禅林にひときは高く桐の花
今朝もまた一寸育つ菖蒲の芽


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「写真と俳句」令和6年「橡」6月号より

2024-05-28 16:23:23 | 俳句とエッセイ
 写真と俳句  亜紀子

 近隣の椎の花が満開になった。ベランダのガラス戸を開けると頭がくらっとする強い香り。道を行けばそのむせ返る匂いがどこまでもついてくる。ここへ越してきて初めてのこと。椎に限らない。遅かった桜が一斉に咲きだして後はあらゆる花がこれでもかと言いたげに満ち満ちている。歩道脇の躑躅は全面花。その端の白詰草やのぼろ菊さえも。庭園の白い花に目を奪われて近づいてみれば、車輪梅。なんじゃもんじゃの花が真白に溢れるのは例年のことだが、車輪梅がこれほど生き生きと咲いているのを見たことはない。
 どうしたことだろう。この横溢感、力強さ、美しさ、不思議さを俳句にしたいと頭をめぐらし、言葉を探す。しかし頭の中でぐるぐるしていると景はぼやけて、何だかもうどうでも良いような解説文しか浮かんでこない。
 ジム・ブランデンバーグという写真家がいる。長年ナショナル・ジオグラフィックや映像メディアで活躍してきた米国の自然写真家。その写真が俳句のように感じられる。狼、草原、海、植物、時には人、焦点があり、自然の本質が抽出されている。取り出された物の後ろにさらに奥深い意味が蔵されているのを感じる。凄いなあ。こんなことは死ぬまでかかっても俳句にできないなあと自分の作句は忘れ、実はパソコンの画面を見て楽しんでいる。
 そのブランデンバーグに憧れて、全く面識もない彼に会いに行き、そして写真家になった日本人がいる。ブランデンバーグはカナダとの境の北米湖水地方に住んでいる。車を使わず生まれて初めて漕ぐカヤックで湖から湖を八日かけて辿り、見事憧れの写真家に会う冒険譚が面白い。青春の一途な記録。誰にでも真似できるストーリーではない。『そして、ぼくは旅に出た。はじまりの森ノースウッズ』大竹英洋著

 その本の中の一節「世界を切り取って一枚の写真にしようとするとき、機材、被写体、構図、アングル、絞り、露出・・と、それこそ無限にも思える選択肢が存在する、、、そのなかからたった一つを選んでいかなくてはならない」とある。この時点で作者はまだ写真家になろうという思いが先にあるだけで、その選択肢の数に絡め取られて気持ちが疲弊しそうになっている。
何だか俳句にも似ているなあ。
 同じ旅で関わりを持つことになったこれまた世界的に有名な探検家ウイル・スティーガーからのアドバイス「うまくなるためには撮るしかない。写真を撮って、フィルムを見て確認する。そしてまた撮って、見て、撮って、見て、撮って、、」
 この旅の終わりにブランデンバーグが作者の撮りためた写真を選別すると、特にこだわりを持たずに心のままに撮った、作者自身は印象に残っていないようなものが多く選ばれたよう。そして君はいい目を持っているねと褒められている。ああ、これも俳句あるあるだ。「いつも目を開いておくことが大事。いろんなものに気づくためにね。そして心を開いておくことが必要だ。頭で考えるのではなく、あるがままに感じ取れるように」の言葉も。
 写真のことは分からないが、俳句の肝に似ていやしないか。橡の作者には俳句も写真も両方される人がいるだろう。教えてもらいたいものだ。一歩前に踏み出して対象に迫り、何が大切か、大切な物を切り出して提示する。省略された背景も読者が感得できるような一句。全てが一様に写っている絵葉書写真ではない俳句。
 生涯一句の言もある。誰でも一生に一句はこれぞという名句を残せるという慰めというか、翻ってモチベーションと言えるかもしれない。わが生涯にいひ捨てし句々、一句として辞世ならざるはなしという芭蕉ほどの覚悟は持てずとも、せめてこの句はというものが遺せたら、それこそ究極の我が世界の省略提示、人生そのものの抽出。それを可能にするのは日々を誠実に生き、経験を積むことだろうか。
 
 

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「選後鑑賞」令和6年「橡」6月号より

2024-05-28 16:18:55 | 俳句とエッセイ
選後鑑賞     亜紀子

屋久島の沢は濁らず春驟雨  北山委子
 
 緑の島屋久島はまた雨の島。その年間降水量は東京の二〜三倍という。島の最高峰宮之浦岳はほぼ二千メートル。他に千メートル級の山々が四十峰近く。黒潮の影響で多量の水分を含んだ空気が海抜0メートルから一気に上昇し雲となって多量の雨を降らすそうだ。花崗岩の渓谷をその水は濁ることなく下ってゆく。どの沢も言葉にできぬ美しさと聞いている。屋久島を訪れたことはないけれど、掲句がどこかで見た写真、エメラルド色の沢水を思い出させてくれた。

黄砂降る遍く瓦礫積もる町  中崎かづえ

 一月の震災、直後には瓦礫に雪が降り積もった。やがて黄砂が流れてきた。今ははや端午の五月。初夏の光が注いでいるのだろう。瓦礫の撤去、壊れた建物の解体は道半ばのようだ。望むのはどの人にも遍く安心できる普通の生活。

わが庭のお地蔵さまも花の客 今村さち

 床しいお庭。床しい宴。小さくて柔和なお顔のお地蔵様を想像した。

車椅子二人がかりや花の坂  大野藤香

 バリアフリーとはいかない道のようだが、花の造詣深く、花を愛する作者ゆえ、周囲の人たちも協力して桜の元へ案内されている様子。多少難儀なことではあるが、今を盛りの景色を楽しまれているようだ。この文章を書いている折、作者の訃報が届いた。合掌

春の雨宛名の滲む地震見舞  高沢紀美子

 能登の大震災。羽咋市の掲句作者の所は難を逃れたように見受けられる。しかしながら、届いた地震見舞いは涙雨に濡れている。

寄り合ひてはづむ会話や草の餅 久川裕恵

 掲句作者は七尾市在住。こちらも被災は免れた様子。お喋りのお仲間は俳句友達か、あるいは御近所さんか。
気心知れた集まりは楽しいもの。寄り合い、草の餅という語が気分を伝えてくれる。

スワン舟湖にあふるる春休み 山﨑淑子

 ギコギコとペダルを踏んで進むスワンボート。子供連れが多いことと思う。湖いっぱいに繰り出して、春休みの大賑わい。というところが実景ではないかと想像するのだが。掲句の措辞の不思議、どこか夢見るような心地がする。

カヤックの櫂のぬひゆく芽吹谿 久保裕子

 こちらはカヤックの渓流下り。芽吹き始めの水しぶきは冷たいが、櫂を操り清流をゆく爽快さ。ボートは自らの半身のごとく、まさに谷間を縫いゆく情景。

漁火の春満月に濡れゐたる  小泉洋子

 春満月、海も遠い漁り火も全てが滴るような月光に照らされて。陶然と波音を聞く。

ぎくしやくとグーパー体操うららけし 石井登美子

 グーパー体操とは手指の運動かしらと思いきや、調べたところ足指の開閉運動とのこと。この足の握力強化が、捻挫予防、バランス能力向上、歩行速度上昇等々の効果を生むそうだ。ぎくしゃくながら、のんびりと明るく励む作者。このうららかな気分も鍵。転ばぬ先の杖、私も早速試している。

足が生え蝌蚪散りぢりに子供部屋 髙橋榮子

 昔、小学生だった子供たちの学校で、雨のある日、子蛙たちが一斉に池を出て校庭中に広がっていく場面に遭遇した。足の踏み場もない体で、蛙を踏み潰さぬよう苦労した。掲句、生き物好きなお子さんの、いやはや大変な子供部屋。

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