クランは自分自身を釣る道具 (20190528)
投げたい。
思いっきり遠投したい。
そしてリトリーブで釣りたい。
アウトリガーは確実に釣れる。
箒川、荒雄川、大分梅野川と熊本木郷の川走川。
そして3/22から放映された杉坂研治氏のFishingTV五ヶ瀬川上流域。
「全部釣れちゃう」とは杉坂氏の言。
私もアウトリガーは好きで、本当に古典的な良く釣れる方法だと思う。
でもフライタックルなしでも、かなり充分に釣れるのだ。
フライタックルは「軽い鈎を遠くへ運ぶ」ためにある。
手短なポイントのみを釣るなら、システムはもっとシンプルで済む。
手の込んだフライタックル、何のために?
遠投するために。
それをアウトリガーで使う?
この違和感がハンパない。
################
やっぱり遠投したい。
力の限り、遠くへ投げたい。
そしてリトリーブで釣りたい。
多分この感覚は、フライフィッシングの自己同一性に関係するのだ。
自分にとっての「フライフィッシング」とは何かを、今、見直しているのだ。
源流域や小河川より、大河川の釣りを求めている。
なら湖でよいのではないか、でも九州では困難だ。
そこで五ヶ瀬川下流域などの大河川、でも今は魚資源枯渇中。
これまでは「河川を釣る」と思っていたが、ちょっと間違っていた。
「自分の釣りを釣る」のが、正解だったと思う。
つまりは私の釣りは、自己満足が解だったのだ。
################
「自分の釣り」に合う「場」を釣る。
私にとって、それは遠投だし、リトリーブやスイングになる。
河川なら15m以上、止水なら20m以上のスタンス。
それが「自分の釣り」になる。
ルースニングだと遠投でマーカーを見失う。
アウトリガーだと近過ぎる。
やはり、リトリーブかスイングだ。
いつもの大分川は15m前後で釣っている。
竹田市の玉来川も15m程度の釣りになる。
那須白河FSは35m程度、豊島園は40m。
ソルトは河口が15m、浜辺が50m程度。
そして、広島FLたかみやと御池は60m。
これからは「自分の釣り」で組み立てよう。
川や湖を前にして、「自分の釣りならどうするか」を考える。
そしてそれを試す。
「自分の釣りを釣る」
つまりは、私自身を釣るのだ。
河川や湖、マスを透して。
決して河川や湖を釣るのではない。
私はフライフィッシングで私自身を釣ってきた。
「私」が満足しなければ「釣り」にはならない。
私が満足する釣り。
それは私が「尊い」と感じる行動の選択と結果。
それが「私の釣りを釣る」ことの全て。
################
見方を大きく変えよう。
これまでは「河川を釣る」「止水を釣る」「マスを釣る」ことを重視した。
これからは「自分を釣る」ことを重視する。
この視点の違いは、実は大きな変化。
きっかけは、やはり荒雄川のクラン。
「甘美」いや「美」の意味を私は知った。
その経験は私の感性を大きく上書きした。
やはり「クラン」という英国文化の影響は絶大。
クラン、それは人生の美的感覚を大きく塗り替える。
それは決して、過言ではない。
追記)20190530
釣りを演奏に例えるなら、ロッドは楽器そのもの。
すると楽器で演奏パートが決まるように、持ったロッドで釣りが決まる。
クランを手にすれば、それはフルラインかスペイラインの釣りになる。
中小河川ならフルラインで対応できるので、対岸に投げてスイング・ちょっとリトリーブし続けるテンションの釣り。
止水なら完全にスペイラインの独奏。
クラン#78ならアウトリガーも苦にならない。
なのでスイングで流して、攻めきれなかった深場をアウトリガーで拾い釣る。
今度は大分の開けた河川、江合川のような、でクラン系ロッド・フルラインのスイング/ちょっとリトリーブを試そう。
いくつかのランを廻って、それぞれの曲を奏でる。
観客はヤマメ、そこで拍手喝采が得られるかだ。
もちろん無くても、一曲ヤれれば、それで充分。
投げたい。
思いっきり遠投したい。
そしてリトリーブで釣りたい。
アウトリガーは確実に釣れる。
箒川、荒雄川、大分梅野川と熊本木郷の川走川。
そして3/22から放映された杉坂研治氏のFishingTV五ヶ瀬川上流域。
「全部釣れちゃう」とは杉坂氏の言。
私もアウトリガーは好きで、本当に古典的な良く釣れる方法だと思う。
でもフライタックルなしでも、かなり充分に釣れるのだ。
フライタックルは「軽い鈎を遠くへ運ぶ」ためにある。
手短なポイントのみを釣るなら、システムはもっとシンプルで済む。
手の込んだフライタックル、何のために?
遠投するために。
それをアウトリガーで使う?
この違和感がハンパない。
################
やっぱり遠投したい。
力の限り、遠くへ投げたい。
そしてリトリーブで釣りたい。
多分この感覚は、フライフィッシングの自己同一性に関係するのだ。
自分にとっての「フライフィッシング」とは何かを、今、見直しているのだ。
源流域や小河川より、大河川の釣りを求めている。
なら湖でよいのではないか、でも九州では困難だ。
そこで五ヶ瀬川下流域などの大河川、でも今は魚資源枯渇中。
これまでは「河川を釣る」と思っていたが、ちょっと間違っていた。
「自分の釣りを釣る」のが、正解だったと思う。
つまりは私の釣りは、自己満足が解だったのだ。
################
「自分の釣り」に合う「場」を釣る。
私にとって、それは遠投だし、リトリーブやスイングになる。
河川なら15m以上、止水なら20m以上のスタンス。
それが「自分の釣り」になる。
ルースニングだと遠投でマーカーを見失う。
アウトリガーだと近過ぎる。
やはり、リトリーブかスイングだ。
いつもの大分川は15m前後で釣っている。
竹田市の玉来川も15m程度の釣りになる。
那須白河FSは35m程度、豊島園は40m。
ソルトは河口が15m、浜辺が50m程度。
そして、広島FLたかみやと御池は60m。
これからは「自分の釣り」で組み立てよう。
川や湖を前にして、「自分の釣りならどうするか」を考える。
そしてそれを試す。
「自分の釣りを釣る」
つまりは、私自身を釣るのだ。
河川や湖、マスを透して。
決して河川や湖を釣るのではない。
私はフライフィッシングで私自身を釣ってきた。
「私」が満足しなければ「釣り」にはならない。
私が満足する釣り。
それは私が「尊い」と感じる行動の選択と結果。
それが「私の釣りを釣る」ことの全て。
################
見方を大きく変えよう。
これまでは「河川を釣る」「止水を釣る」「マスを釣る」ことを重視した。
これからは「自分を釣る」ことを重視する。
この視点の違いは、実は大きな変化。
きっかけは、やはり荒雄川のクラン。
「甘美」いや「美」の意味を私は知った。
その経験は私の感性を大きく上書きした。
やはり「クラン」という英国文化の影響は絶大。
クラン、それは人生の美的感覚を大きく塗り替える。
それは決して、過言ではない。
追記)20190530
釣りを演奏に例えるなら、ロッドは楽器そのもの。
すると楽器で演奏パートが決まるように、持ったロッドで釣りが決まる。
クランを手にすれば、それはフルラインかスペイラインの釣りになる。
中小河川ならフルラインで対応できるので、対岸に投げてスイング・ちょっとリトリーブし続けるテンションの釣り。
止水なら完全にスペイラインの独奏。
クラン#78ならアウトリガーも苦にならない。
なのでスイングで流して、攻めきれなかった深場をアウトリガーで拾い釣る。
今度は大分の開けた河川、江合川のような、でクラン系ロッド・フルラインのスイング/ちょっとリトリーブを試そう。
いくつかのランを廻って、それぞれの曲を奏でる。
観客はヤマメ、そこで拍手喝采が得られるかだ。
もちろん無くても、一曲ヤれれば、それで充分。
自分なりのスタイルを確立してください。クランは遠投するための竿だと思っていません。魚釣るだけがフライフィッシングの世界じゃないことももう十分理解できているものと思っています。いろんな川に行って経験積むのはいいことです。しかし日本の川はいくつかのパターンに集約できるんじゃないかと思います。もう他のとこ行っても、魚がたまっているとこもわかってきてるんじゃないですか?いきなり行って、大物をゲットする日も近いかなー!
でも、クランは本当にありがとうございました。本当にもうクランの虜です。こんどHarry Jamieson Japan Co.からクラン・エクストラバットを買おうと思っています。そうすると九州の河川は大体カバーできてしまう。Thompsonを除いて他のDHは多分、使わなくなると思っています。
ところで、クランで安い中国製シルクDT#8を使ったんですが、25mまではフルライン操作が出来ました。クランにびっくりです。シングルスペイだけだったんですが、ダブルスペイを使うべきだったと反省しました。でもそう反省出来るところが、クランだなーとしみじみ感じています。
やはりクランは私にとっての「楽器」です。その奏でる音色が素晴らしい。一投一投が一曲一曲に感じる。もし、一つのランの釣りを一曲の演奏に例えるなら、一投は一小節、楽器はクラン、演奏テクニックはキャストとメンディング技術、そして奏者は私、観客はマス、ということになるんでしょうか。まあ、言葉遊びではありますけれど。
Oさん、新しい世界を、本当にありがとうございます。思ってもみなかった世界です。