Nonsection Radical

撮影と本の空間

悲しい街やね

2012年04月21日 | Weblog
大阪の通天閣が100年を迎えるというので、これまで行った事もなかったので見に行った。
通天閣は内国勧業博覧会跡地に初代が建設され、周辺は一大テーマパークでまさしく新世界であったようだ。
そして、結局建設された当時が通天閣(を含む周囲一帯)の繁栄のピークであったと言える。
周辺には労働者の街が多く、経済不況の長く続く現在では、仕事も減り、労働者も高齢化し、街も共に年老いている。
その姿が悲しい。

satoboは古びたものばかり撮影していると思われがちだが、少なくともそこに慈しむ心や愛情を感じたものだけ撮影している基準というものがある。
強いていえば、美しいものしか撮らない。

今日、通天閣周辺の街を歩いたが、撮影する気持ちにはなれなかった。
記録としては撮影しておくべきなのだろうが、美しさを感じるものがなかったのだ。
その理由が通天閣に昇った時にわかった。
100年前をピークにしてひたすら下り坂を下ってきたのだ。
優しい言い方をすれば、同じ姿のままあり続けてきたのだ。
街も人も考え方も。
その結果、21世紀に20世紀初頭の姿を残す事となった。
それも若くない姿で。

これは個人や街の問題ではない。
大阪の行政が、この地域を時代と共に変化させていく事を怠ったために起きたのだ。
すでに需要が見込めなくなった建設労働者を地域を放置し、朽ち果てるがままに晒し続けるがごとく置き去りにした。
その一方で、梅田を中心にした”再開発”で南北格差を際立たせている。
これで大阪再活性化なんて無理だ。
道州制かなんか知らないけれど、足元の事をおろそかにして何が出来るというのだ。

街を歩いていると世代交代の姿が見られない。
常に若い人が新しい事を始めて、街が再生され活性化されていくものなのに、いつまでも古い価値観が街を支配し、人を支配し、価値観の転換がはかられない。
いつまでも昔のままの姿で年老いていくばかりだ。

酷な言い方かもしれないが、あと2、30年して、今の老人がいなくなった頃、ちょうど現在の40才前後の世代がアラカンになった頃に、ひょっとして街が変わり始めるかもしれないと思った。
現在のアラフォー世代だとそれほど古い価値観に縛られておらず、その下で育った人達が、自由に新しい考え方で行動するようになるのではないかと思うのだ。
その頃には戦後間もなく建ったタテモノも寿命を迎えているだろう。
自分たちで作った自分たちの価値観の社会が自分たちの寿命とともに消えていく事でしか、新しい社会が築けないような気がする。
古い価値観をそのまま受け継がないようにしなければならない。
そこで問題となるのは、大阪ではナウいヤング(死語)であっても、結婚するといきなりオトン、オカンになってしまい、それまでの若者文化をさっさと捨ててしまう事なのだ。



大阪市旭区 千林栄通商店街
コメント
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