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なんとなく気になったもの。

 日中から雲行きは怪しい気配がありましたが、
現在、屋外ではやけに激しい雨が降っております。
私は窓を開けっ放しにしている事が多いのですが、
雨の匂いも、もうすっかり冬のそれになっていますね。
 
 
 さて、なんとなく気になった事柄を2つ。

 
 ひとつは、いわゆる普通の方々には
あんまり縁のないであろう、動画投稿サイトの”ニコニコ動画”。
当blogでも動画のUpに使用した過去がありますが、
ここのところ数ヶ月はログインすらしていませんでした。

 久々の気まぐれでログインして、
当時気になっていた動画Upload主さんの動画を拝見していると、
ちょっぴり”イタい”構成ながらも、
ライダーとして心に響く動画が前後編で掲載されていました。

 ニコ動バイクユーザーの皆様にはお馴染みかもしれませんが
関西在住のZX-6R乗りの方が、

【 ちょっと愛しくなる動画 】というタイトルでUpされているもの。

 氏の愛車を主役に、オートバイ好きとオートバイとの付き合いかた、
そして『あなたは愛車を大切にしていますか?』 のようなメッセージを、
オートバイ自体をを擬人化したような、オートバイの心の声とともに伝えるもの。
 
 
 私の中では、オートバイはあくまで装置であり、
よくも悪くも乗り手次第で、如何ようにもなってしまうもの。
ですが、機械ゆえに物理的反応は至極正直であり、手をかけるべきもの。
”そういう方向性で大切にする”という意識は無論今までもありました。
大切にする、というよりは適切に扱う・・・の方が適当かもしれません。

 ですが、こういった”オートバイに心があったら”のような考え方でも
(どちらかというと宗教じみてはいますが)モノは大切に出来るものです。

 現在活躍されている個人様の動画ゆえに、
無断で自分のサイトに貼ることはしませんが、
もし、ニコニコ動画のアカウントをお持ちであり、
【バイクの擬人化】【微妙な男性目線】【萌え路線】にそこまで抵抗が無く、

なによりも、
『最近バイクに楽しく乗ってないなぁ…』という方は御覧になってみてください。
 
 
 もしかしたら、忘れかけていた最初のキモチというのを思い出せるかも。
 
 
 
 そして気になることその2。

 TVを流し見ていたら、相も変わらず胸糞悪いパチンコのCMが流れていました。
版権の安くなったキャラクターをなんでもパチンコ化する商法も、
それに釣られる連中も、ギャンブルをしない人間には理解できないものですが、
普段だったらそのまま無視してしまうようなCMで、あろうことか目が釘付けに。
 
 それというのも、
そのキャラクターパチンコは【D-LIVE】という漫画ベースのもので、
漫画本編は読んだことがありませんが、
CM中で何故かバイクレースのようなものを行っていたのです。
 
 そのCMの冒頭、どうにもよく目にする画が目に飛び込んできました。
それというのが・・・

Meter
 
 まさにコレのまんま。
まんまもまんま、そのまんますぎてつい苦笑い(笑

 以前ここでも紹介した事もありますが、
私の'06 CBR1000RRを含む、SC57型のメーターパネルは
まさに”RC211V”のメーターイメージをそのままコピーしてデザインされています。
それ以前には、STACKかどこかのメーターで似たようなものを見ましたが
CMのメーターは、SC57のメーターをそのままトレースしたようなものでした。
特徴的な下部デジタルメーターの”枠”のデザインもそのまんま。

 回転数のスケールは、オートバイにしてはやけに低かったですが、
それはバイクを知らないパチンコ屋の手抜きでしょうか(苦笑

 
 CBR1000RRユーザー以外には割とどうでもよい話題ですが、
チャンスがおありでしたら是非見比べてみてくださいね(笑

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西洋画のような空間

01_oil_painting

 
 
 中世の油彩のような重厚な暗さを帯びた中に、
神々しい光が跳ね躍る、このような空間がとても好きです。
 
 子供の頃、美術を学んだ事もある母のアトリエで
油絵の具を分けてもらいながら、稚拙な絵を描いたりもしました。
その時の題材は茜の射す富士山でしたが、
母の持っていた中世の画集のそれとのあまりの違いに
『昔の人って凄かったんだなぁ』などと無責任な感動をしたものです。
 
 凡そキリスト教系の題材を描いたものが多かった気がしますが、
あの柔らかで荘厳な光の感じを絵で表現する技巧は、
本当に素晴らしい事だと感じます。
 
 今や凡庸なただのバイク乗りですが、
オートバイで走りに行くと、様々な景色に出会います。
電車や車などのガラス越しから見たそれとも少し違う、
独特の感動があるものですが、それはやはり生身ゆえでしょうね。
 
 
 
 いつもの場所。
でも一瞬として同じ瞬間は存在しないものです。

02_buy
 冒頭の写真の場所に立ち寄る前には、
”いつもの公園”に寄り、コーヒーを購入。

 駐車場は四輪で一杯になっていたので、
そこから5分ほど、湖上に掛かる橋まで進みます。
 

03_max_bridge
 路肩の白線の外にバイクを停め、
欄干に缶コーヒーを置いて一休憩。
 
 

04_rear_bridge
 RZ250Rは、
250ccの小さなバイクなので路肩にすっぽり収まります。
最近の中型バイクはパーツの共用化などのコストダウンもあり、
その動力性能の割に、必要以上に大柄に持っていく傾向がありますが
(新型のCBR250Rなどが顕著な例ですよね)
 
 ハッタリではなく、そのサイズである理由があったのが
”速さ”などという、もはや死語になりつつあるテーマを追っていた時代。
TZレプリカのRZもその一つですが、
各社の2stレプリカは本当にコンパクトでした。
必要にして充分。そうであるべきであった姿。懐かしいものです。
 
 
 いい光景に出逢えた、ちょっとしたツーリングでした。 
 
走行距離:【100.3km】
ガソリン消費量:【10.64l】(9.42km/l)

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ゆずりぶし

 夜半から降り続いた雨が昼過ぎに上がり、
陽射しとともに路面も乾き始めた15時頃。
3時間も持たない陽だと知りながらも、100kmほど走ってきました。

・・・・という写真付き日記のつもりだったのですが、
あまりにもがっかりな出来事があったので、
すっかり意気消沈しまして、予定を変更して(?)お送り致します。
 
 
 
 譲る。

 私は実によく譲ります。
過去触れ合った様々な人々の中の一部には、
「なんでそこで譲るの?損じゃん。」「馬鹿らしいと思わないの?」
などと、時には学校の教師にも言われたような気もしますが、
一瞬『そうなのかなぁ』とは思うものの、
そんな事は意に介さず、
そこに”正義”と”道理”と”人の情”が存在する限り譲って来ました。
 
 ですが、そこに打算はあってはなりません。
厚意の中に打算が存在しては、その意義そのものが否定されると考えます。 
 
 
 
 例を挙げると、交通状況下で言うのなら、
”強引に割り込んでくる””待つべき所で待たない”などの、
道理と正義が通らない相手の場合には、極力譲らないように努めています。

”自分がそこで譲ると後続の意識の低い四輪に追突され、周囲に迷惑が掛かる”
などの場合は、
道理としての周囲への配慮を優先してやむなく譲らない事もあります。
 
 
  
 先日、某閉鎖的SNSで
【髪の入った料理が出たらどうする?】との話題がありました。
そこで私は、”サービス業としての心構えはまったく別の話だが”、
「髪の毛程度では交換の要求もしないし、怒ったりしない」と答え
「例えお金を払うものでも、無駄な廃棄に繋がるような事はしたくない」
と答えると、即座に

「外食産業なんてみんな廃棄すごいやってるじゃん、
    なのに自分だけ我慢するの馬鹿らしいと思わないの?」

との問いが、あるユーザーから寄せられました。
この反応には実に驚いたものですが、
世の中の現状を具に観察するに、さもありなんとも感じました。

 無論私の答は
「思いませんね。
 みんながやってるから自分だけ損するのは馬鹿らしいなどと絶対に思いません」
そう応じたものですが、
これには”正義”と”道理”が存在しないので譲る気はありません。
 
 勿論、”健康を害するもの”などについてはその限りではありませんし
先述のように”サービスを提供する側”は己を厳しく律し仕事にあたるべきです。 
 
 
 
 
 ざっとこのような思考で生きておりますが、
今日のツーリング中でも何度か、道理のある相手には道を譲り
困っているであろう歩行者(当然のように道を遮る不心得者は違います)にも譲り、
それでも尚、
信号待ちでは自分本位で発進までウィンカーを出さない四輪や
曲がり始めるまでウィンカーを出さない下手クソな四輪に憤りつつ
目的地まで、ドライバーの目線や挙動から思考を読むことで
その類を適当に処理しながら無事に到着しました。

 当然ですが、ウィンカーはできるかぎり早期に
”周囲の人間に自分の【人を殺せる装置】が動く方向を示す”もの。
相手に認識させてこその装置なのですが・・・なぜそれが理解出来ないのか。
他人の命を奪う悲しい事故が一向に減らないわけですよね。
 
 
  
 そんな中、ふと立ち寄った本屋でのある出来事。
これがとても印象的で、残念な出来事だったのです。
 
 レジで本を購入し終え、
隣の列の中学生ぐらいの子達の間を抜けるのに「すみません」と頭をさげつつ、
2人程が並んで通れる、2重の自動ドアと防犯ゲートがある入り口まで至ると、
外から家族連れが入ってこようとしていました。

 タイミングとしては、出る私も、入る彼らも同じようでしたが
”密閉空間からの出入りでは、基本的には出る人が優先”という不文律を破り
(電車や混雑した建物などでは、中の人が早く出ないと迷惑になります)
彼らに道を譲るべく、店内側の入り口側方に一歩退いて『どうぞ』と合図。

 もちろん、店内が空いており、
私の後ろには待っている人が居ないことを確認した上での行動です。
 
  
 そこで、2列になった家族が私の前を通過するのを待つと・・・

・前列の2人(小学校高学年と中学年の姉妹か)なんの反応もなく通過
・中列の2人(40歳ぐらいの母と、幼稚園ぐらいの娘)一瞥して通過
・後列の2人(70歳ぐらいの祖母と、中学生ぐらいの娘)訝しげに通過

『あーあー・・・こんなもんか。』もはや呆れてなにも。
 
 先にも申し上げた通り、
”差し上げる厚意”に”打算”は含まないつもりで行動していますので
決して「お礼を言え」などとは考えてもおりません。

 
 私の出るタイミングと、
彼らの入るタイミングはほぼ同時だったわけですから、
相手目線で”目の前から入ってこようとした人が、横に避けて待っている”
というのを理解するのは、並の知能があればさほど難しくないと思います。
 
 もし、それを認識しても尚
『なんでこの人横に突っ立ってんの?おかしいんじゃないの?』
とでも考えているとすれば、それはもう最悪以外のなにものでもありません。
彼らの表情を見ると、
強ちその想像が間違ってもいない気がするのが恐ろしいです。

 70歳の祖母も、40歳の母も、中学生の娘も・・・この親にしてという事。
もはや「最近の若い者は」などという程度の話ではないわけです。
そしてこのような事例は、大変残念な事にこの一家に限った事ではないのです。 
 
  
 仮に私の子供がそのような行動を取ったら、
首根っこ捕まえてひっぱたくなり、怒るなりして修正させると思います。
”誰かが自分の為を思ってしてくれた事”を軽視、或いは無視するような事は
ひととして絶対にあってはならないと感じるからです。
 
 
 
 
 ・・・なんだかとても悲しいです。うーむ。

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15年ぶりの反省会(クロノトリガー)

 ここだったか、某閉鎖的SNSだったか定かではありませんが
『ゲームはどうにも性に合わない、バイクで走る方が楽しい』
的な事を、何度か発言した記憶があります。
友人諸氏にも似たような話をすることはありますが、
そんな私でも、子供時代にはそれなりにゲームをして遊んだものです。

 最初の出会いは、当時懐かれていた近所の下級生の女の子の家で
ファミコンのグラディウスを一緒に遊んだ事が始まりでした。
 その後、小学校高学年の頃にゲームボーイが発売されて
お年玉で本体とスーパーマリオランドを買い、
GB版グラディウスのネメシスや、様々なソフトを友達と遊びました。
時を同じくして、従兄弟の家からファミコンが我が家に来たりして
中学生の頃は、お泊まり会で友達と朝まで信長の野望なんてのをやった事も。
 
 マウンテンバイクで山も走りまわるが、
友達と人並みにゲームもする、などという平凡なある日
お泊まり会常連の友人、S井君(たいへんなイケメンで、やはり早婚でした)が
なんの経緯かスーパーファミコン本体と、あるゲームを貸してくれました。

 ・・・あー、確かS井君の母上が厳しい教育ママだったので
”成績が下がった”とかの罰で自宅に置けず、貸してくれたんだっけなぁ。
私は勉強を一切しないでも十二分に出来るタイプ(当時は)だったとはいえ、
今にして思うと、余所の子の所に学力低下の原因を渡すのも酷い話です(笑
 
 
 
 そんな思い出のゲーム。
それこそが【 クロノトリガー 】でした。
誇張でもなく、恐らく私より±10歳程の日本人の大多数が好きであり、
誰しも遊んだであろうと言うぐらいに、とても面白いゲームです。

 当時は、このクロノトリガーがとても面白く、
スーパーファミコンというテレビに繋げて遊ぶゲーム機を
時間の許す限りハマって遊んでいた事もありました。
 
 そんな思い出のゲームに対する思い入れも当然それなりに強く、
2008年でしょうか、NintendoDSに移植版が発売されると聞いたときに
フルオーケストラのサウンドトラックがオマケにつくという事で、
オマケ欲しさに、発売日に予約購入をしたものです。
 
 当初は、リメイクというより移植だったゲームはどうでもよく、
サントラが目当てであり、ゲーム機自体も買うつもりはありませんでしたが、
それでもと思って、その半月前に発売された最新のDSiも同時購入しました。
 
 結局ソフトとゲーム機自体は、
数時間遊んだだけで半年程ほぼ電源も入れずに熟成される運命を辿るのですが、
その後、【TV画面に向かわずに遊べる】という気楽さも手伝って
数ヶ月に1回は遊ぶ機会が出来るようになったものです。
 
 

01_chrono
 DS版クロノトリガーとオマケのサントラです。
 
 2008年と言っても、実際に買ったのは11月だったようなので
気づいたら、早2年が経過しておりますが、
最近になってようやくそのクロノトリガーもクリア致しまして、
クリア後のエンディングをぼーっと眺めていたところ、

『そういえば、このエンディング意外見たこと無いなぁ』

などと思い出しました。
それというのも、クロノトリガーには13種?のマルチなエンディングが存在し
当時、友達の間では「○○見た?」のような会話もあったように思います。
 
 劇中、現代から剣と魔法の中世、荒廃した未来、太古、超古代文明と
様々に表情豊かなキャラクターとともに、壮大なシナリオを進んでゆくのですが
その中で、特定のタイミングでしか見られない複数のエンディングがあり、
ある一瞬を逃すと、またやりなおさなくては見られなくなる仕掛けでした。
 
 当時は攻略本はおろか、説明書すら見ないタイプでしたし、
インターネットなんていうものも当然存在していなかったので
気づかずに1周してしまうと所謂普通のエンディングしか見られないのです。
 
 今でもそうですが、
当時も『物語に別の内容の2周目は無い』と考えるタイプではありますが、
予定調和で仕込まれたお話であれば、また別の捉え方もあります。
お誂え向きに、”2年かけてクリアした”関係でシナリオも程良く忘れているので
奇跡の2周目に突入し、目下10種類のエンディングを見ました。
 
 
 その丁度10番目。言われてみれば当時、
友達から「面白いエンディングがあったよ!」と言われたような気もしますが
借り物のSFCでそんなに長くもやれませんし、
2周目がない性分だったのですっかり忘れていたこの10番目。

 【 反省会 】というタイトルなのですが、
まー、なんというか(笑
生々しいというか、いい意味でぶちこわしというか。
子供の時分には感覚的に理解できなかったであろう内容も含め、
思いの外とっても面白かったのです(笑
 
 他のエンディングの多くは割と露骨なオマケなのに対し
同じオマケでもユーモアに富んでいて楽しいですね。
 
 
 
 もし、クロノトリガーで遊んだ事がおありの方で
このエンディングを御覧になっていない方は、
思い出に浸りながらもう一度プレイした上で是非御覧になってくださいね。
ネットで検索して動画を観ちゃダメですよ(笑
 
 
※追伸。
【ドリームプロジェクト】っていうエンディングを遂に見ました。
海底神殿という場所で、
他のシナリオと比べて圧倒的に強いとの呼び声の高いラヴォスと戦うのですが、
最初『なんだこいつ・・・やけに強いぞ』と感じつつも、綱渡り状態でなんとか。
クロノ-マール-エイラで平均レベル63ぐらいだと、結構大変なようですね。

なるほど・・・これが本当のエンディングか。

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Twist and ?

 炊飯器にて僅かに少な目の水でご飯を仕込み、
特売の豚肉を、醤油やコチュジャンなど
6種類ぐらいの調味料と素材で漬け込みつつ、
少し時間を置いた後モヤシと合わせました。これであとは炒めるだけ。
添えの中華スープは、炒め物の横で食べる直前に作ればいいのですから
『今夜の夕食の仕込みはこんなものかな・・・』と
ご飯が炊けるまで自室に戻りました。
 
 
 料理の休憩時間には、
大した作業も出来ないので、やりかけの作業を少し。
 
 ここで問題。
さてこれはなんでしょう?

01_twist_2

 見事にツイストしてますね。
 
 
 正解は・・・

オモチャの鉄砲の銃身の中。
”ツイストバレル”という形式のバレルの中です。
 

02_separate_2

 ハンマー部分は現状、
損耗がないので注油だけ済ませていますですが
銃身を外し内部のクリーニングと、可変ホップアップ部のメンテをしました。 
 
 
 よく歴史博物館などで、
大砲の砲身や、近代の鉄砲の銃身として目にする、
所謂”ライフリング(施条)”とは論理を異にするものらしく
単純にジャイロ効果を生むためのものではないようですが…
 どちらかというと、質量の軽いプラスチック弾に於いて、
流体力学的な意味での安定性を上げる効果を狙っているとか。
マグヌス効果の論理的な想像はなんとなく出来ますが、
プラスチックのBB弾の運動を
客観的に観測できる目がありませんのでなんともかんとも。

 このオモチャの鉄砲は、VP70Mという形式のものですが、
本来の実銃の方は、
その機構の割にエネルギー値の高い弾丸(9mmパラベラム弾)を使う関係で、
炸薬が発したガスを、若干逃がす様な構造になっているようです。
 
 ”ホンモノ”を”オモチャ”にデフォルメする際に、
どういう発想を用いるのかというのも、個性があって楽しいものです。
これはバイクも含む様々な機械にもいえる事です。
 
  
 ま、私は全く兵器マニアでも武器マニアでもありませんので
子供が円盤ピストルで遊ぶようなテンションで語っております(笑

 とはいえ、
軍事兵器はある面で究極のテクノロジーの結晶ですし
古いものでも、その時代ごとの技術思想が明確に出るので
そういう意味での興味はつきませんよね。
我々の生活でも、
皮肉なことに戦争の技術が
たいへんな利便性に繋がっている事も実によくあるものです。
 
 
 
 さーて、夕飯夕飯っとヽ(´ー`)ノ

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