3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

日揮社員を追悼するために:遺族の心情を慮り実名は非公開にしよう

2013-01-23 13:00:14 | 現代社会論
アルジェリアで非業の死を遂げた日揮社員の方々に「バーバーの弦楽のためのアダージョ」を捧ぐ。

新聞各紙を読んだ。
実名でなくても読者としては十分である。
遺族の方々の心情を配慮する、その一点である。
メディアの報道の仕方も進化すべきである。

この事件をきっかけに家族で話した。もしもの場合、実名は非公開にしたい、という結論である。
それが悲劇に遭遇した本人家族のぎりぎりの要望であると思う。

むしろ、このようなテロをどう防ぐ事ができるのか、テロ化する貧困地域の子どもたちをどう救うのか、実名報道の是非にエネルギーを注ぐより、書くべき記事があるだろう。

我々は人の命を中心にして曲がりなりにも社会の価値を形成してきた。いじめや体罰で自殺した子ども、尊い命とし、人命第一を自明の理としてきた。これからもそれは変わらないだろう。

変えてはいけない。それは、WW2で多くの戦死者をだし、被爆国として、もう、戦争は嫌だと二度とやらないと心に刻んだからである。
しかし、世界では、そうではない価値を持つ人々がいるのである。グローバル化というのは、こういうことなのだ。
それをどう乗り越えるのか。

悲報に接し、慟哭する遺族、それを受け止めなければならない同じ国にすむものとして。他国と連帯しどう世界に発信していくべきか、テロ集団にテロの無意味さをどう訴えていくか、外交、経済のこれから、それこそ議論すべきテーマである。

そういう議論のためには、実名報道はいらないのである。
一部マスコミには強い憤りを感じる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アルジェリアの邦人の悲劇ー氏名非公開を支持したい

2013-01-23 01:09:08 | 現代社会論
日揮の有能な技術者が殺されてしまった。
いたたまれない。痛恨の極みである。

モノづくり、技術大国日本を作った人、中枢にいた人々であろう。
私は家族が氏名非公開を希望していると聞いて、そうだろうと思う。非公開を支持したい。

日本のマスコミはただ、騒ぎ立て、当事者とその家族、関係者をもみくちゃにしてしまうだろう。
そうされたくない、と、彼らは思っているのだ。残された家族、夫や恋人を失った人々はただただ、悲嘆にくれるばかりである。
そこに、土足で入ってくるメディアなど、その時、新聞が売れればよい、視聴率を取れればよいというレベルなのだから、相手にする必要はないと思うのである。

私が当事者だったら、残された家族だったら、そっとしておいてほしい、と思う。マスコミにはそういう繊細さがほしい。

大震災のときも、カメラがどんどん入ってきて、みな、傷ついた。遺族に無神経な質問をぶつけ、傷つけ、そのまま逃げた、というような話を聞くと、マスコミなど相手にしなくてよいと言ってあげたい。静かに遺体を引き取り静かに荼毘にふせる、それだけだ。個人的なことなのだ。遺族にとっては、。何人だれが死んだというのは問題ではない、大切な人を失ったのだ。それ以上以下でもない。

執拗に氏名公開を迫るマスコミよ自重せよ。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アルジェリアの邦人の悲劇に胸がつぶれる思いである

2013-01-21 14:07:32 | 現代社会論
二度とこのような悲劇がおきないように世界はすべての英知を結集すべきである。

すべての日本人は彼らの死を悼み喪に服す。

私も今日は、フォーレのレクイエムをかけ続けよう。いや、バーバーの弦楽のためのアダージョか、プラトーンをみるか。
これほどまでに日本人として悲痛な体験は今までにない。

大震災も辛い体験だが、それとは質が違う悲しみであり、その理不尽さ、国内だけではどうしようもないことがわかっているだけにやるせない。

テロは許さないが、根本的解決のために考えなければならない。
それが人類に課せられた使命である。

世界の人々がこの問題を我が事として受け止め真剣に考えなければ、世界は暗黒だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡辺淳一の「私の履歴書」は気分が悪い話の連続である(その2)

2013-01-21 12:59:42 | 女性の地位
昨日の続き。

案の定、渡辺は自分勝手な解釈をして、まったく、ムカつく男である。

 「そうこうしているうち、半年後に、彼女は突然、配置転換になった。それは彼女が希望したのか、それとも単なる人事異動であったのか。わたしにはわからなかったが、彼女は意外に簡単にそれを受け、整形外科を去っていった。」
 「わたしはほっとしながら、同時に、なにか、もの淋しさを覚えたが、それ以来、彼女からの連絡は途絶え、そのまま会うこともなく半年が過ぎた。」
 「むろん、彼女は同じ院内にいて、さらに彼女のアパートも知っていたので、会う気になれば会えないわけでもなかったが、それでは、わたしが追いかけていることになる。」
 「決して、会ってはいけない。このままじっとしているんだぞ」
 「厳しく自分にいいきかせているうちに、わたしは大学院の4年生になっていた。
 この1年で論文を完成したら、学位を得て大学院を終えることができる。」

結局、学位を優先して、彼女を捨てたのである。結婚なんかする気もなく、テキトーに付き合って子どももろとも棄てたというわけである。

私は、本人および、日経新聞は、この話にでてくる「内田理恵」」さんに事前に了解をとっているのか、確認したい気持ちである。
男女だから、別れることもあるだろう。官能小説家で売っている渡辺だから、そういう話を持ち出したい気持ちなのだろうが、これは相手がいる話、自分ひとりで悦に入ってる場合ではない。

そういう事実があったとしても、日経の履歴書に書くのなら、美しくぼかして書いてあげるのが紳士だろう。
自分勝手などうしようもない男。


「・・・・彼女は突然別の地域に移り、大学病院に勤めている、という噂が流れてきた。これで、彼女とのあいだは完全に切れた。
 わたしはそのことに、大きな安堵と、ある淋しさを覚えながら、納得した。」

やはり身勝手な男としては、大きな安堵がまず先にくるのだろう。何が「納得した」だ。

「内田理恵」さん!あなたは、なぜ、だまって去っていったのでしょうか。今もご健在なのでしょうか。
どうせ別れるなら地獄の底まで追い詰めてどん底を味わらせなければ。あなただけが傷つくことはなかったのです。こういう時は黙って去っていってはいけません。クセになりますから。一種の病気だから。

朝からホント胸糞悪い「私の履歴書」である。
明日から読むまい。



コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妹島和世と西沢立衛のSANAAをみた!

2013-01-20 14:57:24 | 現代社会論
妹島和世と西沢立衛のSANAAを特集したドキュメンタリー番組をみた。

建築界のノーベル賞とされるプリツカー賞を授与し、 昨年末はフランスのルーヴル美術館ランス別館がオープンし世界中から絶賛を浴びたSANAA。

とってもステキだった。
妹島さんと西沢さんというふたりのデザイン。

自然に溶け込む低層のビル、建築で世の中を変えようとしているんだと思った。
二人とも社宅や団地で育ったという。

経済成長を遂げる日本。少女の夢、少年の夢はどのように育まれたのか。

世界に通用するデザインを誇りに思う。

日本女子大学の住居は伝統がある学科である。女性建築士をたくさん輩出している。
横国の建築もそうだ。

住居学という生活文化に根ざした建築を学んだ妹島。そういう考え方がもっとも世界をリードする建築として評価されたのなら、本当に喜ぶべきことである。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする