3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

Albrecht Mayer のCD 美しいオーボエを聴きたいときに:クラシカジャパンでマイヤーを見た

2014-05-30 11:28:21 | 音楽ノート
引っ越ししてクラシカジャパンを見ている。
昨日の深夜、Albrecht Mayerのドキュメンタリーをやっていた。
ベルリンフィルのオーボエ奏者、首席である。

ラトルが彼のオーボエは神の声のようだと絶賛していた。
アバドとの相性が抜群だったらしい。
で、すぐさまAlbrecht MayerのCD、モーツアルトとヘンデルを入手して聴いている。
おお、見事なオーボエ!

マイヤーは、歌唱力にもすぐれているという。
オーボエを歌うように奏でるのだろう。

ピアノにしてもバイオリンにしても、歌うようにと先生にいわれるが、
歌唱力がある、要求されるということは、すべての楽器に通用することなのだろう。

無機的なピアノしか弾けないピアニストは、歌をやったほうがよいのかもしれない。

歌うことは音域や声質や技術なども大切だが、なによりも表現力が勝負であるから。
歌の歌詞と音楽を深く理解し、作曲家の人生、時代背景、社会状況を含め敏感に瞬時に掴み取らなけばならない。

歌うものとしては、常にそうありたいと思う。が、現実はなかなか難しいものである。

マイヤーのオーボエは天上的な美しさで、心に響く。人生の深奥をゆすぶられる演奏である。

一度お試しください。

それにしても、クラシカジャパンは高い。

土日と平日の夜利用だけしか見られない人向けに、半額コースを作ってくれないだろうか。

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ギャレス・マローンの「職場で歌おう」(The Choir ;Sing While You Work)

2014-05-24 15:55:23 | 音楽ノート
ギャレスマローンは以前から大好きである。
歌わない少年たちを相手に合唱団を結成したり、さびれた町の活性化のために合唱団を結成したりして、大成功を収めている。サウスオキシーという町の取り組みがこのシリーズでは秀逸だと思う。少年たちの合唱団もすごくいい。

とにかく、この一連のBBCのドキュメンタリーをみてから熱烈なファンになり、DVDを3枚持っているほどである。

ちょっと前にはBSNHKで軍人たちの妻の合唱団を指導していた。
で、今回は「「職場で歌おう」(Sing while you work)である。

職場で合唱団なんてあんまりないかもしれない。
国家公務員の職場にはあるそうだが、大企業なんかもあるが、それほど一般的ではないだろう。
日本は縦社会だからすぐ上司部下といった関係の上にたった合唱団になりがちで、かなり退屈な感じである。
指揮者は社長だったりするとますます疲れるんだがないよりはましか。

今回のBBCのドキュメンタリーは、
空港や郵便会社や病院、水道会社などの職場で合唱団を結成して、最後にコンクールをするというもの。
日常では会うこともない人たちと歌を通して横のつながりができてくるというもの。

歌つながりというのは、けっこう結束が固い。
歌が好き、というのだけで心が通じるところがあるから。

少しギャレスは老けていたように思うのだが気のせいか。
相変わらずエネルギッシュな合唱指導とすばらしい選曲に脱帽である。

コンクールも終わり、最後に皆で歌っていたあの歌の曲名はなんというのだろう。
とても美しい歌だった。
みなが達成感に満ち溢れてうたっていたからだろうが、合唱という形で歌うことがどんなにか新しい力を我々にもたらしてくれるか、途方もない歌の力、合唱の力を改めて認識した。

深夜にしかやらないのだろうか。
昼間にもオンエアして広く、ギャレスのすばらしさ、合唱のすばらしさが広まればと思う。

エンディングの歌はHow can I keep from singing らしい。

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母を看取って15 遺品の整理

2014-05-23 17:54:37 | 日記
母の遺品を整理している。
最期の3年は、抗がん剤治療をしながらもそれなりに元気に暮らしていた。
母の着ていたカーディガンからメモがでてきた。
デイサービスに楽しく通っていたとき、年長で師範学校出の母はデイサービスの利用者の中では少しインテリだったので、朝、いろいろな話題についてコメントする役割を仰せつかっていたらしい。
で、ポケットから何が出てきたかというと、山中教授がノーベル賞を受賞した時なのだろう、どんな研究でどのような評価をされたのか、というようなことが書いてあった。終末期にあっても、社会の事象に興味を持ち続け、生き生きと暮らしていた様子が伝わってきて、涙が出てきた。仕事が忙しくてなかなか実家に帰ることもままならず子どもとして何もやってあげられなかったと思っていたが、本人はそれなりに楽しく暮らしていたのだなあ。家族以外のつながりがあればあるほど、社会とつながっているという感じがもてるんだろう。

昨年来ていたジャケット、ポケットに切符が2枚入っていた。日付は、去年の6月。母が入院して週に2回ほど病院に通っていたころのもの。
仕事を早退して、電車に飛び乗り、病院へ向かった頃のことがよみがえる。
去年の今頃は、母は生きていて、寒いから家から毛布を持ってきてくれとか、抹茶のアイスクリームが食べたいとか、あれこれ子どもたちに注文していた。
そんな小さなことも今となっては忘れられない思い出である。

私は母がそう長くは生きられないと知ってはいたが、とびきりおしゃれなブラウスや帽子などを買って持って行った。
母はそれを着て得意になってデイサービスに通っていたのだろう。

今となっては、着る人もいないブラウスである。
が、一つ一つたたんで整理しているうちに、母のにおいがしてきて、ますます悲しく、人の命のはかなさをつくづく感じる。

母の遺品のたくさんの素敵なブラウス、一つ一つ思い出にしながら、今度は私が着てみようと思う。

追記
遺品の整理には
モーツアルトのPiano Trio in G, K.564-2(Daniel Barenboim)がいいと思う。
うるさくなく、湿っぽくもなく。心にしみる。





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公立中学教諭:が授業参観日に年休取ってのど自慢に出演

2014-05-23 14:05:44 | 現代社会論
公立中学教諭:のど自慢か、授業参観か…年休取り出演
毎日新聞 2014年05月17日 07時07分

 中部地方の公立中学校に勤務する50代女性教諭がNHKの番組「のど自慢」に出演するため、担任のクラスの授業参観と学校行事を欠席していたことが関係者への取材で分かった。年休を取っており手続き的に問題はないが、埼玉の県立高校で今春、自分の子どもの入学式に参加するため職場の入学式を欠席した教諭の行動を巡り、賛否の議論が巻き起こったばかり。仕事と休暇について、今回はどう考える?

 この教諭は今春に生放送された番組に出演するため、当日の授業参観やPTA総会、学年懇談会を欠席した。授業は別の教諭が担当した。事前に生徒や保護者への説明はなく、PTA総会では校長が「所用により欠席」と伝えたという。

 関係者によると、授業参観の日程は今年1月に決定。教諭はその後、年休を申請し、校長から許可を得ていた。校長は「本人は授業参観と重なったことを気にしながら年休を申し出た。あまり好ましくはないが、許可せず本人の教育への意欲をそぐより、許可した方が教育に身が入ると判断した」と説明。「生徒や保護者からの不満の声も届いていない」と話している。

 中学校がある自治体の教育委員会は「校長が許可したのであれば、それが適切な判断だったと理解している」としている。

 ▽評論家の赤塚行雄さんの話 手続き上は問題ないとはいえ、保護者が来校する大事な行事よりプライベートを優先するのは、教師の姿勢として疑問を抱かざるを得ない。教師である以上、自らの務めを自覚する必要がある。許可した校長の判断にも首をかしげる。

 ▽労働問題に詳しい伊藤誠基弁護士の話 「教師は聖職」とする倫理的な議論は古くからあり、賛否も分かれるだろう。しかし、休暇は認められるべき権利であり、授業に支障のないよう配慮し、正式な手続きを経て上司から許可を得ているのであれば、法律上の問題はない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

という記事に賛否両論あるんだそうだ。
世の中、いろいろな考え方があるんだなあ。
ちょっと前は、本務の入学式を休んで、子どもの入学式にいった教師が批判されていたが、あれはどういう決着になったのだろうか。

詳細はわからないが記事だけよんだところによれば、
特に問題はないだろう。
事前に年休を取ったのだし、中学ともなれば、授業参観はいつも担任の授業ではないだろう。
評論家の赤塚行雄の話のほうがよっぽどおかしいと思うのだがどうだろうか。「保護者が来校する大事な行事よりプライベートを優先するのは、教師の姿勢として疑問を抱かざるを得ない。教師である以上、自らの務めを自覚する必要がある。」と言っているようだが、授業参観よりのど自慢にでるほうがよっぽど大変なことなのであり、いろいろな体験をしている教師のほうが面白いと思うので私が保護者だったら、喜んでお送りするが。

公立中学というのは、こういう話をきくとよっぽど窮屈なところなんだろうと思う。
入学式や卒業式ならいざ知らず、一年に何度もある授業参観に私用で休んだであれこれいわれるのだから、子どもが自由な発想ができないわけである。

だいたい、担任といっても副担任もいれば、いろいろほかの教員もいるのだから、互いに補い、保護者だって子どもじゃないのだし、いなくても話は進むだろに。一人の教師があれもこれもするのではなく、チーム制でもひいて、多様な教育の在り方こそが必要とされていると思う。もちろん責任者はきめなければならないだろうが、学校ってほんとうにつまらないことにこだわるんだということがよくわかるし、そういうことを押し付け、ますます窮屈にしている世の中のほうももっとのびやかになるべきと思うのだが。
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子どもの甲状腺がん 福島県民健康調査

2014-05-20 15:28:13 | 現代社会論
2014.05/20のANNニュースはセンセーショナルに報じている。http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000027208.html


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原発事故による放射線の影響を調べる福島の県民健康調査で、甲状腺がんと診断された子どもが50人に上ることが分かりました。調査の対象は、原発事故当時18歳以下だった福島県の子ども約37万人です。3月までに約30万人が受診しました。これまでに50人ががんと診断され、2月に公表した数より17人増加しています。国は、青森県などの3県で同様の調査をしたところ、福島とほぼ同じ割合で甲状腺がんが見つかったとしています。患者の増加について、会議に参加した医師は「大規模な調査で、これまで隠れていた患者が見つかったため」と指摘しています。検討委員会は今後、甲状腺がんと診断された子どもと居住地域などとの関係も分析する方針です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

50人に上ることがわかりました。とあるが、「上る」というのは意味を込めた表現である。
他社は、この辺、かなり慎重で、あえて淡々と「50人」である、というような表現をしている。

福島の子どもの健康状態などについては、その表現はかなり慎重にしなければならない。
「上る」という表現はどうなのだろう。

診断の精度が高く、これまでわからなかった患者が見つかったとも言われている。
関係ない地域の発現率と比較して科学的に判断しなければならない。
気分で報道してはいけない。エビデンスの基づく報道を求める。

美味しんぼとかいう雑誌の福島に行ったら鼻血が・・・というのも話題になっている。

確かに3.11で通常の値を超える放射能を浴びた可能性があるから、がんなどに罹患する確率は高いのかもしれない。しかし、それは、福島県民だけでもなく、可能性はもっと広範囲なのだろう。福島で現に生活している人々にとっては、福島というだけで、鼻血やすぐに逃げろというようなメッセージをもらっても混乱とますます不安におとしめられるばかりだろう。

東京にいて、被爆の危険にさらされることなく、遠くから逃げろというのもなんだか無責任のように思える。世界からみれば、福島も東京もほとんど一緒だと思われているんだし、もっと自分の問題としてとらえ対峙すべきなのだ。




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