3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

花子とアン みてます6 明治以降の日本のあゆみと女の一生

2014-09-23 10:49:09 | 現代社会論
花子とアン、だんだん終わりが近づいてきた。


毎朝、BS7:30のものを見ていた。
最近は、その前にやっているカーネーションもみるようになって、夏木マリが老役に挑戦していて、病院でファッションショーなんていうのはとてもいいなあと思いながらみていた。こちらも最終回が迫っている。

さて、話題の花子とアンである。

レンコさんと荒木村重が結婚したのにはびっくりした。
いつの間に。

村岡印刷さんと花子、働く才能ある妻を支えるイクメンとしてのエイジさん。いつでも決して怒ったりせず安心な男の代表。
これからは、こういう男性像をどんどんテレビで流したほうがよい。女性の社会進出を後押しするためにうってつけの男性像である。

カヨさんは、薄幸である。関東大震災で恋人をなくした。今、孤児を引き取ることになり新しい人生が始まっていくようである。

一度、戦争への曲がり角をまがってしまったら、もう二度ともとの道には戻れないということを我々は知るべきである。
戦争への小さな曲がり角はいくつもあって、後戻りできる可能性もあったが、大きな曲がり角をまがってしまったら、私たちは、もう戻れないのである。

花子はラジオを通して、子どもたちを戦争に駆り立てたとレンコにせめられた。が、当時、多くの大人たちは戦時体制にはいっていくことになんの疑問をもたずに流されていったのである。
カヨさんだって、目を吊り上げて、ダンミツと一緒に国防婦人会の活動で、鬼畜米英、敵国の言葉として英語の本を燃やしていたし、戦争突入をさけようと日中工作をした龍一も、もうなすすべもなかった。


若者は、日本の勝利を信じ、出陣していった。学徒動員、純平君は8月11日?に戦死したことになっている。
この死は避けられたはずの死である。3月10日の大空襲で東京は焼け、5月にはドイツは無条件降伏していた。国内戦が困難であることはだれも気が付いていたし、沖縄戦を経てヒロシマナガサキ原爆投下で、もう負けはわかりすぎていた。最後の一人まで竹やりでという人たちもいただろうが、冷静に考えれば、そんなことはバカげたことだった。軍部は全員ヒステリー状態。末期的。
現実にはどうやって戦争を終わらせるか、これがこの時期の課題だったはずだ。


村岡 花子1893年(明治26年) - 1968年(昭和43年)の一生は日本の明治から高度経済成長期までの日本の歩みそのものである。
まさに日本が坂の上の雲をめざし、いくつもの戦争を経て敗戦し、高度経済成長を遂げるまでの日本の姿を女性の一生を通してみることができるように思える。
明治期の日本の農村のすがた、大正期の新しい男女、関東大震災、そして戦争と敗戦。
戦後の混乱期の農村と廃墟と化した東京とその後の復興。
兄の吉太郎を優しく受け止めたのは日本の農村に違いないのである。
その農村を否定するようにして経済成長を遂げていくその後の日本。

われわれは高度経済成長の成功体験に惑わされ、農村の疲弊に目をむけることができなかった。
そのつけが今来ている。
地方の衰退、地方の文化と産業の衰退は、成長の陰の部分である。
いつも優しく都市の労働者を受け止めてきた農村がなくなれば、どこに逃げ場を求めればよいのだ。
地方創生のためには地方の農業を新しい形で再生させ、豊かな文化と教育の充実をはかり、少子化を食い止める。
住宅を含めた生活環境の整備、公共交通機関の整備も必要だろう。

花子とアンをみていると、花子の人生に重ねて、過去の我が国の間違って曲がってしまった曲がり角を少しずつ修正をかけていくための処方箋がみえてくるのである。






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セクハラ都議 野島善司とやら

2014-09-18 14:30:40 | 女性の地位
毎日新聞によれば、

東京都議会の「男女共同参画社会推進議員連盟」会長に就任した自民党の野島善司(ぜんじ)議員(65)=北多摩第4(東久留米市など)=が「結婚したらどうだ、と僕だって言う」などと発言したことを巡り、都議会自民党の村上英子幹事長は17日、野島氏から「軽率な発言をして申し訳なかった」と謝罪の電話があったことを明らかにした。都議会内で記者団に語った。野島氏は16日の同議連総会後、都議会でのやじ問題に絡み、記者団に「『結婚したらどうだ』という話でしょ。僕だって言いますよ、平場(プライベート)では」と語った。

結局こういうのが男女共同参画社会推進議員連盟のこともあろうに会長なんだからわらっちゃう。
どこかの時代遅れのおっさんが赤ちょうちんでくだまいているだけなら、しょうもないおやじとわらっておわるところだが、都議なんだから、常識を疑う。

こういうのに投票してしまった人は今頃どんな気持ちなのだろうか。

といったって、周り見渡せば、この手の発言は日常茶飯事の日本社会、とくに保守的なおやじたちは、時に保守的な親さんたちも含めこういう発言は蔓延していて、いやになる。

男女共同参画推進議員連盟の会長はやめたらと思う。
これじゃあ、なにをやっても共同参画なんか考えられないに決まってるからね。

団塊の世代の男なんてみんなこんなものかとも思う。

女とみれば、性の対象としかイメージできないのかしら。



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敬老の日なんてぶっ飛んでしまう 栗本尊子さんの歌声:これは奇跡である

2014-09-15 10:57:09 | 音楽ノート
先日、青木十良さんのチェロの話を書いたが、今日は、栗本尊子さんの声の話である。

栗本尊子さんのプロフィールは次のとおり。

栗本尊子
Takako Kurimoto (Ms)
歌手
 1920年(大正9年)生まれ
 東京音楽学校(現 東京芸術大学)卒業。リア・フォン・ヘッサートに師事。1946年『蝶々夫人』のスズキ役でデビュー以来、『フィガロの結婚』『コジ・ファン・トゥッテ』をはじめ、『ばらの騎士』『カルメン』『こうもり』『ポッペアの戴冠』『ピーター・グライムズ』『泥棒とオールドミス』など、バロックから現代作品に至る諸作、さらに『黒船』『聴耳頭巾』『修禅寺物語』など邦人作品を中心に、数多くのオペラ公演で主要な役を務め、その大半が日本初演だった。NHK交響楽団の『第九』のソリストをはじめとするコンサートでも活躍。1977年以来、日本歌曲によるリサイタルもしばしば開催している。その一方で、洗足学園大学教授として後進の指導にも情熱を注いできた。

 2002年に開催され話題を呼んだ〈グレート・マスターズ〜日本音楽界をささえつづけるアーチストたち〜〉公演(紀尾井ホール)において、その入魂の絶唱が会場を沸かせた。その後、2回の日本歌曲リサイタルを開催し、満員の聴衆を集めた。

 「栗本尊子の声は、日本音楽界の奇蹟です」(畑中良輔氏)との言にあるように、日本歌曲の真髄である言葉の美しさと感情表現にみられる〈うた〉芸術とあいまって、その歌唱には何人にも及びもつかない未踏の高みが示されている。

 2006年8月、長年の演奏活動で初のCDとなる「愛と祈り〜歌いつがれる日本のうた」を発表。年齢という概念すら超越したその瑞々しい歌声は、聴き手に大きな驚嘆と感動をあたえ、各方面で話題となった。
 2012年7月には、自身の半生を綴った書籍付きCD『奇蹟の歌』をリリース。二期会名誉会員。
2012年7月にヤマハホールでリサイタルが行なわれた。そのの模様がDVDになっている、90歳を越えても素晴らしい歌声に観客は魅了された。本当の“奇蹟の歌声”である。

ぜひ、DVDをご覧あれ。
you tube でも一部みられると思う。

90歳だからやっと歌っているのだろうと思うかもしれないが、全くそんなことはなくて、これまでの人生で歌いこんできて獲得したものをすべて注いで歌っている。
その濃い中味に感動するのである。
お世辞などではない。芸術を探究する本当がそこにはあるのである。
山田耕作に直に薫陶を受けてのだから上手なのはあたりまえなのか。

ゴールドのドレス、赤いマニュキュア、きらきらのイヤリングをして、最後には観客にむかって投げキッス。
なんてかわいくて色っぽいのだろう!

若い歌い手は高音を難なく歌えるだろうが、中味がなければおしまい。
栗本さんの声をきくと、人生は90歳を超えなければまともな仕事はできないのだと思ってしまう。
65歳だの70歳だのといっているうちは、まだまだである。

90歳の時によい仕事ができるように照準を合わせていこうと思う。
それまでに寿命がきてもいいじゃないか。

寝たきりでも認知症になってもいいのだが、とにかく90歳までに何かやり遂げようとする心意気がいいと思う。

敬老の日にあらためて、思う。

人生は90歳からがおもしろいのである。

ちなみにDVDの収録曲は次の8曲

1. 霧と話した
2. 子守唄
3. 夏の思い出
4. 鐘が鳴ります
5. この道
6. 中国地方の子守歌
7. ばらの花に心をこめて
8. 初恋 (アンコール)

で、ばらの花に心をこめて、を今度歌いたいと思うのである。
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青木十良さんの訃報、99歳だった。

2014-09-14 16:34:07 | 音楽ノート
青木十良さんが、亡くなった。チェリスト。
99歳だった。
青木十良さんのプロフィールは、次のとおり。

青木十良 (チェリスト)
1915年、貿易商の家に生まれ音楽や文学に囲まれて育つ。
15歳でクレンゲルの弟子からチェロの手ほどきを受ける。
戦前にNHKに入り、チェロ奏者として多くの日本初演を行う。
桐朋学園、ソルフェージスクールで長年後進の指導にもあたり、
多くの優れたチェリストを育てた。
2002年を皮切りに「グレート・マスターズ」(紀尾井ホール)に出演し、
美しさを極めた音色で多くの聴衆を魅了。
2006年、第16回新日鉄音楽賞(特別賞)を受賞。
2009年、ミュージック・ペンクラブ音楽賞(特別賞)を受賞。


「自尊(エレガンス)を弦の響きにのせて~96歳のチェリスト青木十良~」という映画がある。

90歳を過ぎてからのチェリスト青木十良の6年間を追ったドキュメンタリーである。
バッハの無伴奏チェロ組曲に挑んだ。
CDを何枚かもっている。

96歳の求道者が奏でるバッハ
青木十良/J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第4番
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「80歳を越してようやくバッハがわかってきた。研究するなら逆行するのがいい」と、夢中で始めたバッハの研究と録音。第6番から逆行し、10年を経てようやく4番まで辿りついた青木十良のバッハ無伴奏録音。
 「シゲティのようにシュワッと弾けるシャンペンのような音が出したい」と、音色には特にこだわって研鑚に励んできた彼のバッハ録音も5合目に到達しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

年を重ねなければ見えない世界、到達できない世界があることがよくわかる。
若い演奏者や歌い手は、技術も高く、素晴らしい演奏が可能であるだろうが、人生の深みを知らないものの音には魅力がない。

それに引き替え、90過ぎのバッハは素晴らしい。
それでも表現したいことの3%ぐらい、なんだそうだ。

芸術の深みは永遠であり、無限なのである。

敬老の日などといって、高齢者を年寄り扱いするけれど、本気で高齢者の人生そのものに敬意を表しているのかというとそうではない。

青木さんのチェロをきいてほしい。
我々は、安っぽい敬老精神などいらないのである。

年を重ね、人生のすべてを知り尽くしたその先にある芸術の奥深さにどれだけ迫れるのか。
襟を正してきかなければなるまい。
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大学人のセクハラ

2014-09-04 14:12:13 | 女性の地位
大学教員は強大な権力を持っている。
とくに大学院生などに対しての論文審査では、絶対である。
教授が男で、院生が女、というのはたくさんあるが、間違いが起きやすい。

というのは、女性は教授をアカデミックレベルで尊敬しているが、教授のほうは、アカデミックレベルだけではなく女として院生を見ている、からである。そこに問題があるのである。
若い院生たちは、男女平等に育てられているが、教授のほうは、そうではない。

とにかく、尊敬するとマインドコントロールにかかりやすいし、真面目な女子の院生はなおさらである。

水面下のセクハラアカハラパワハラ事件は山のようにあり、表面化するのはそれこそ氷山の一角である。

大学の教員の女性比率を上げる必要がある。

今回中央大学で、セクハラ問題があり、50代の教授が懲戒解雇となったようだが、もしかして法学部?人権を取り扱う法学部の教授がそんなことしているとしたら、あきれ返るのである。女性教授比率はどれくらいなのか。スズメの涙ほどの比率だろう。
女性が多い職場は女性が強い、ので、男性は小さくなっていてよくないというが、そんなことはないのである。
セクハラをなくすには、うるさい女性たちがわんさかいて、不届きな男どもの問題発言行為に対して、徹底的にたたく、という雰囲気が大切である。
人事権をもっている女性がいるか否かが問題である。
女性が多いだけではだめなのである。

大学教授は、偉そうにしているが、女たらしが多いように思う。
女子学生がまわりにいて、ゼミ飲みの時などうれしそうで鼻の下長いのが多すぎる。

この間も、非常勤の女性講師が、指導教授とパリに行くといっていた。
ふーん、二人で?それって研究旅行?それとも・・・。二人で行く必要がどれだけあるのか、と思うと頭にくる。
女も女である、そうやって常勤ポストを狙ってくる。これも問題である。
人事権を持つ女性はこういう輩は排除すべき。そういう女はケバイので用心すべし。

懲戒解雇された教授の妻はやってられないだろうね。
子どもたちも人間不信、男性不信に陥る。
こうやって家族の問題は大きくなっていく。
以前、横国の教授が妻に灰皿で殴打されて死亡した事件があったが、不届きな夫を持つと妻も気が休まらない。
男女は何歳になっても男女、70歳になっても困った男は困った男でありつづけるから、妻は灰皿でも投げつけなければ気がすまないだろうね。

女性の閣僚が増えたといっているが、権限の大きさはどうなのだろうか。
総理、財務、外交は男だし、よくみれば女性の力はたいしたことないよね。
それに、いざとなったら女性の味方してくれるような女性はいるのだろうか。
権力におもねる無能者なのであれば、男女ともにそんな閣僚はいらないのである。


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