在来線や地下鉄を終点まで各駅で乗ってみるといろいろなことがわかる。
いろいろな人が乗り降りするのだが、世の中貧しい人が増えているように思うのである。
15年ぐらい前にはこんなふうには感じなかった。かつては一車両にひとりぐらいは貧しいんだろうなあと思う人がいたが、今は、一車両に10人以上いるように思える。見た目だけなのだが、かつての風景と変わってしまった。高齢化し、貧しく、社会のなかで孤立して零落しているような人が結構いるのである。
子どもの貧困、母子世帯・父子世帯の貧困、そして高齢者世帯の貧困。
かつては、みな家族や親せき、近隣の人々が支えあってなんとかやってきた。
子どもの貧困は親の貧困である。
子ども世帯が貧困にさらされれば、その親、つまり祖父母がなにかと世話をやき、若夫婦とその子どもなどの面倒を見ていた。
しかし、今は、世話を焼いてくれるはずの祖父母の世代がわずかの年金しかなく、子ども世帯に援助をすることができなくなっているのである。年金生活では、そういう余裕がないのである。
さらに、親が年金暮らしになるようなライフステージになると、だいたい、子どもが成長して、親に少しこずかいをくれるようになっていたりするものであった。
しかし、今はそれができなくなっている。子ども世代は自分の生活のために汲々としていて、親世代のことを考える余裕がない。
で、高齢者世帯はますます貧困に陥り、子どもの世帯も貧困に陥り、貧しい層はますます貧しくなる。
追い打ちをかけるように寝たきりや認知症で介護が必要になれば、子ども世帯は親の介護に時間と労力とお金を必要とするようになっている。
お金がなければ、外部サービスを利用することもできず、自力で時間と労力を費やすしかない。で、離職したり残業ができずに収入が減る。ますます、貧困化は進むのである。
母子世帯や父子世帯もその親の世帯からの援助がないと貧困化するのである。
社会的な援助が必要になっているのであるが、社会保障費用は削られる方向である。
ニッチもサッチモいかない。
富裕層から税金を取って、それを貧困層に回すしかないのだろう。
しかし、富裕層は富裕層で、しっかり者が多いので、そう簡単に高い税金を払おうなどとは思わず、何かと節税対策などをして少しでも納税額を減らそうと努力するから困ったものである。
富裕層も激務で24時間体制で働いて、メンタル崩壊ぎりぎり、海外出張やら早朝深夜の会議もこなしているのだから、高収入であたりまえだと思っているし、高収入を得るために子どものころから必死に勉強してきたのだから、この時とばかりに稼ぎまくる。
誰がこんないやな社会にしたのだろう。
みんながそこそこ働いてそこそこの生活をして、明日はもっといい暮らしができるかもと希望を持っていた時代が懐かしい。
今は貧しくてもいつか給料が上がると思える、たとえそれが結果としてかなわなくてもいいのだ、そう思えるか否か。希望がある社会であれば、だれだって我慢できるんだが、希望がなければ、絶望だけだ。親もろとも無理心中するしかないような気分になってしまうのもわからなくはないのである。
いろいろな人が乗り降りするのだが、世の中貧しい人が増えているように思うのである。
15年ぐらい前にはこんなふうには感じなかった。かつては一車両にひとりぐらいは貧しいんだろうなあと思う人がいたが、今は、一車両に10人以上いるように思える。見た目だけなのだが、かつての風景と変わってしまった。高齢化し、貧しく、社会のなかで孤立して零落しているような人が結構いるのである。
子どもの貧困、母子世帯・父子世帯の貧困、そして高齢者世帯の貧困。
かつては、みな家族や親せき、近隣の人々が支えあってなんとかやってきた。
子どもの貧困は親の貧困である。
子ども世帯が貧困にさらされれば、その親、つまり祖父母がなにかと世話をやき、若夫婦とその子どもなどの面倒を見ていた。
しかし、今は、世話を焼いてくれるはずの祖父母の世代がわずかの年金しかなく、子ども世帯に援助をすることができなくなっているのである。年金生活では、そういう余裕がないのである。
さらに、親が年金暮らしになるようなライフステージになると、だいたい、子どもが成長して、親に少しこずかいをくれるようになっていたりするものであった。
しかし、今はそれができなくなっている。子ども世代は自分の生活のために汲々としていて、親世代のことを考える余裕がない。
で、高齢者世帯はますます貧困に陥り、子どもの世帯も貧困に陥り、貧しい層はますます貧しくなる。
追い打ちをかけるように寝たきりや認知症で介護が必要になれば、子ども世帯は親の介護に時間と労力とお金を必要とするようになっている。
お金がなければ、外部サービスを利用することもできず、自力で時間と労力を費やすしかない。で、離職したり残業ができずに収入が減る。ますます、貧困化は進むのである。
母子世帯や父子世帯もその親の世帯からの援助がないと貧困化するのである。
社会的な援助が必要になっているのであるが、社会保障費用は削られる方向である。
ニッチもサッチモいかない。
富裕層から税金を取って、それを貧困層に回すしかないのだろう。
しかし、富裕層は富裕層で、しっかり者が多いので、そう簡単に高い税金を払おうなどとは思わず、何かと節税対策などをして少しでも納税額を減らそうと努力するから困ったものである。
富裕層も激務で24時間体制で働いて、メンタル崩壊ぎりぎり、海外出張やら早朝深夜の会議もこなしているのだから、高収入であたりまえだと思っているし、高収入を得るために子どものころから必死に勉強してきたのだから、この時とばかりに稼ぎまくる。
誰がこんないやな社会にしたのだろう。
みんながそこそこ働いてそこそこの生活をして、明日はもっといい暮らしができるかもと希望を持っていた時代が懐かしい。
今は貧しくてもいつか給料が上がると思える、たとえそれが結果としてかなわなくてもいいのだ、そう思えるか否か。希望がある社会であれば、だれだって我慢できるんだが、希望がなければ、絶望だけだ。親もろとも無理心中するしかないような気分になってしまうのもわからなくはないのである。