3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

日本は貧困層と富裕層に二極化しているように思える:そこに希望はあるのか

2015-11-26 16:53:51 | 現代社会論
在来線や地下鉄を終点まで各駅で乗ってみるといろいろなことがわかる。
いろいろな人が乗り降りするのだが、世の中貧しい人が増えているように思うのである。

15年ぐらい前にはこんなふうには感じなかった。かつては一車両にひとりぐらいは貧しいんだろうなあと思う人がいたが、今は、一車両に10人以上いるように思える。見た目だけなのだが、かつての風景と変わってしまった。高齢化し、貧しく、社会のなかで孤立して零落しているような人が結構いるのである。

子どもの貧困、母子世帯・父子世帯の貧困、そして高齢者世帯の貧困。

かつては、みな家族や親せき、近隣の人々が支えあってなんとかやってきた。
子どもの貧困は親の貧困である。
子ども世帯が貧困にさらされれば、その親、つまり祖父母がなにかと世話をやき、若夫婦とその子どもなどの面倒を見ていた。
しかし、今は、世話を焼いてくれるはずの祖父母の世代がわずかの年金しかなく、子ども世帯に援助をすることができなくなっているのである。年金生活では、そういう余裕がないのである。
さらに、親が年金暮らしになるようなライフステージになると、だいたい、子どもが成長して、親に少しこずかいをくれるようになっていたりするものであった。
しかし、今はそれができなくなっている。子ども世代は自分の生活のために汲々としていて、親世代のことを考える余裕がない。

で、高齢者世帯はますます貧困に陥り、子どもの世帯も貧困に陥り、貧しい層はますます貧しくなる。
追い打ちをかけるように寝たきりや認知症で介護が必要になれば、子ども世帯は親の介護に時間と労力とお金を必要とするようになっている。
お金がなければ、外部サービスを利用することもできず、自力で時間と労力を費やすしかない。で、離職したり残業ができずに収入が減る。ますます、貧困化は進むのである。

母子世帯や父子世帯もその親の世帯からの援助がないと貧困化するのである。

社会的な援助が必要になっているのであるが、社会保障費用は削られる方向である。
ニッチもサッチモいかない。

富裕層から税金を取って、それを貧困層に回すしかないのだろう。
しかし、富裕層は富裕層で、しっかり者が多いので、そう簡単に高い税金を払おうなどとは思わず、何かと節税対策などをして少しでも納税額を減らそうと努力するから困ったものである。
富裕層も激務で24時間体制で働いて、メンタル崩壊ぎりぎり、海外出張やら早朝深夜の会議もこなしているのだから、高収入であたりまえだと思っているし、高収入を得るために子どものころから必死に勉強してきたのだから、この時とばかりに稼ぎまくる。

誰がこんないやな社会にしたのだろう。
みんながそこそこ働いてそこそこの生活をして、明日はもっといい暮らしができるかもと希望を持っていた時代が懐かしい。

今は貧しくてもいつか給料が上がると思える、たとえそれが結果としてかなわなくてもいいのだ、そう思えるか否か。希望がある社会であれば、だれだって我慢できるんだが、希望がなければ、絶望だけだ。親もろとも無理心中するしかないような気分になってしまうのもわからなくはないのである。

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成城石井は、なぜ「安くない」のに売れるのか :買いたいものなら高くても買う消費者層

2015-11-26 16:44:42 | 日記
成城石井は、なぜ「安くない」のに売れるのか 、という記事を読んだ。
成城石井は売上が好調なのだそうだ。
我が家の近くにもある成城石井。

品揃えが豊富で品質がよく安心なものであれば、少しぐらい高くても消費者は買うのである。

消費者は二極化している。
格差社会だからである。
ゆとりある層は高くでも、それが安全で高品質であれば妥当な価格であると思えば少しぐらい高くても買うのである。
ゆとりがない層は、とにかく安いにこだわる。

高品質のものを求めている富裕層に「お安くなっていますよ」なんていってもかえっていやな顔されるだけである。
よいものならほしけりゃ高くても買うわよと言い返されてしまう。

安かろう悪かろう、である。

一円でも安いものに走る層もいる。
いろいろである。


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NHK番組:篠田桃紅、むのたけじ、ドナルド・キーン、瀬戸内寂聴、宮城まり子・・・すばらしい人々!

2015-11-26 11:14:33 | 日記
書道家篠田桃紅さん 103歳、むのたけじ、ジャーナリスト100歳、ドナルド・キーンさん、作家、93歳、瀬戸内寂聴さん作家、93歳、宮城まり子さん女優かつ社会福祉施設長88歳・・・。
すばらしい先輩たちである。
このところ、これらの人々をとりあげたスペシャル番組を見ている。それぞれの実のある人生、深く感動している。

本当にみな立派な先輩たちであり、なおかついまだに現役を貫いている。
病気や老いに直面しながらも気丈に仕事に向かい、社会をみる鋭い視線、その貫く姿勢、その生き方に敬服するのである。
その強い個性、だからこそわが道を貫けるのだろうし、長寿なのだろう。

NHKの取材班のカメラワークはよいが、質問がバカみたいなところがあり、やや興ざめなのであるが。
これらの長く現役で最先端を歩んできた方々の人生の最期の姿を取材するのだから、老いや死について、もっと深く勉強しておかないといけない。

瀬戸内寂聴さんだって病気をして、老いや死について深く考えているのであろうから、若い感覚の浅い言葉では失礼である。
ドナルドキーンが渡辺謙と対談?!もったいない。もっとましな人を当ててほしいのである。俳優じゃ無理。編集者役が斉藤由貴?!いらない。ほんと興ざめだったのだが。

そこが残念だが、しかし、それをしのぐ、ご本人たちの迫力。

長寿というのは、良いものである。
生きた文化を大切に保存したいものである。


原節子さん、95歳で亡くなった。「東京物語」の原節子の嫁の姿が忘れられない。小津の日本映画の最高峰である。

我々が大切にしたい日本の歴史と文化、心から守っていきたいと思うのである。




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NYのマンハッタンの地下鉄車両に旭日旗の広告で、不快感

2015-11-25 14:33:54 | 現代社会論
戦後70年、何年経っても、いやなものはいやなのである。

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 ニューヨークの地下鉄の車両内に、旭日旗やナチス時代のドイツ軍記章をイメージさせるドラマの広告が掲示され、物議を醸している。デブラシオ市長は24日、「侮辱的だ」と批判し、ドラマをインターネット配信している米ネット通販大手アマゾン・コムに広告の撤去を要求。同社は撤去を決めた。複数の米メディアが報じた。

 ドラマは「高い城の男」。第2次大戦に日本とナチス・ドイツが勝利し、敗戦国になった米国を分断して統治するという内容の小説を基にしている。

 広告は、旭日旗の光線の部分が青色で一部に赤い星が入ったような図柄と、米国旗の星の部分がナチスの軍記章のようになっているデザインの2種類。マンハッタンの中心部を走る地下鉄車両の座席表面をラッピングする形で掲示された。

 広告は地下鉄で定められた掲載の基準に沿っていたが、デブラシオ市長は第2次大戦やドイツのホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の生存者らにとって「無責任で侮辱的だ」と非難していた。(共同)


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アマゾンもすぐに撤去を決めたとのことで、それはよかった。
こんな広告出すなんて、出す前にチェックしろよと言いたくなる。
無知蒙昧、何考えてんだか。

つまり、こういうのを無神経に出してしまうのは、ひたすら無知だからだと思うのである。
良いじゃん別にの感覚では、だめなのである。

70年たっても何年たっても、おぞましい記憶は消えないのである。
戦争を知らない馬鹿者たちはよく勉強すべきなのである。


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深谷の無理心中は現代の楢山節考なのか

2015-11-25 10:21:44 | 現代社会論
深谷の利根川河川敷に車で入って両親を殺害した無職の47歳女性。
これは、現代の楢山節考である。
貧しい寒村、70歳になったら元気でも山に棄てる。食えない貧しい村の掟である。子どもは年寄りを背負って山に棄てる。
若い者たちを生かすために棄老するのである。


深谷の事例の娘と父は認知症の妻を介護しながらやっと生きてきた。
娘は仕事をやめ、母の介護に専念していた。
父は新聞配達をして20万ぐらいの給料を得ていたが、しびれで仕事ができなくなり、首の手術が必要であることがわかった。
失業し、20万の収入はなくなった。

娘は認知症の母を介護し、さらに、父の入院治療費も払う必要があり、絶望的になったのだろう。
さらに、この父親、認知症になった妻を施設やデイサービスにという周囲の勧めをことわっていたという。
妻に苦労をかけたので、妻は私が世話するといっていたようだが、何をいっているのか、申し訳ないが、この父親のやっていることは理解に苦しむのである。経済的に困窮していれば、サービス利用はただではないのだから、断る気持ちはわかるが。

結局は娘が自らの人生を棒に振り、認知症の母の介護を背負い、追い詰められ殺人までやることになったわけである。

この老夫婦の経済的な困窮、無年金によるものと思われるが、それがそもそも問題である。
もし、仮に国民年金だけでもあれば、老夫婦で12万ぐらいはあったはずだ。それがないということろが経済的困窮を招いた。

そして、負のサイクルがはじまる。
娘が仕事をやめた。このことも問題である。やめればおしまいで、社会との関係も途絶する。勤めていれば、介護のうっぷんも聞いてくれる人もいるし、気分も変わる。しかし、やめてしまったのは本当に良くない。

父親が外部のサービスを希望しなかったことも問題である。それを強く勧めなかった周囲の専門家、近隣住民も問題である。
近隣住民のインタビューが載っていたが、「私も両親を介護していて、お互い頑張ろうね、と励ましあっていた」とのことであるが、なんで、介護保険サービスでもなんでも利用しようとしないのか、社会保障のしくみ、とくに社会保険のしくみがわかっていない、地域的にそういう地域なのであろうか、問題である。
民生委員や市の職員などがもし、家族でがんりましょうなどと言っていたとしたら、その人たちこそ裁かれるべき人たちである。

この深谷の事例は、介護保険などの社会的サービスへの権利意識の希薄な地域におきた悲劇である。
現代の楢山節考。
なんのための社会保障なのか。平成になってもいまだに前近代の文化を引きずっている深谷。
失業、病気などの生涯のリスクを和らげるための社会保障制度なのである。ぎりぎり頑張るのは美徳ではない。
社会保障制度を理解し精通しきちんと利用することが、現代に生きる我々の当たり前のライフスタイルのはずなのに、ここではそれが常識になっていない。
一般市民レベルの情報の周知徹底が不足している。もっと早く生保申請をさせるべきだったし、介護保険サービスを利用させるべきだった。
手をこまねいて何もしなかった深谷市も裁かれるべきである。






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