3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

2020東京オリンピックの開会式&閉会式

2014-02-25 12:07:12 | 日記
ソチが終わって、2020東京のイメージがわいてくる。

それにしても、ロシアの開会式や閉会式、かなり格調が高かった。
世界に誇るロシア文学とオペラ芸術。どうだというところだろう。
アメリカにはあのようなことはまねできない。
歴史が違うからね。

ロンドンの時も細部にわたりイギリスの歴史のなかの誇るべき事象が盛り込まれていて、感心した。
NHSが入っていたのには本当にびっくりしたものである。
ポールがヘイジュードを歌ったのもよかった。

翻って日本の場合、売りにできる文学、芸術は何があるのか。

紫式部から始まるのか?
井上靖と大江健三郎と村上春樹の写真か?
漱石や鴎外をいれてあげたいが。

それとも湯川秀樹・・・山中教授などの物理化学医学の世界のノーベル賞受賞者をならべる?
科学技術の国、ものつくり日本、新幹線、スカイツリーなどを全面にだすのもよいかも。

能や歌舞伎、雅楽か?
焼き物や着物文化?
クラシック音楽好きな日本人を前面にだす?
指揮者、ピアニストやバイオリニストはたくさんいそうだ。
夕鶴でもやるか。
ネトレプコ並みの歌手はいない。
けれど、森麻季や幸田浩子さんならなんとかなりそうだ。幸田さんはとくにかわいいし。
バリトンはなんとかなりそうだが。

とにかく、おバカな薄っぺらい歌手や芸能人を出すのだけはやめてほしいものである。

宮崎駿がきっと出てくるんだろうね。
それとも黒沢明か。

佐村河内守改め新垣隆のHIROSHIMAで戦後が始まるというのは、どうか。
アメリカが怒るだろうか。
戦後の復興、3.11からの復興はいれるべきだろう。



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MSNニュースで浅田へのはからいと言っているがちがうでしょう:ソチ五輪閉会式ラフマニノフ2番の件

2014-02-25 11:13:48 | 音楽ノート
産経ニュースで
次のような記事
これを書いた記者はまるでロシア文学と音楽についてわかっていないのではないかと思われる。

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無冠・浅田に粋なはからい 閉会式で「ラフマニノフ」
2014.2.24 15:00 [ソチ五輪]

閉会式、笑顔で声援に応えるフィギュアスケート陣。左から鈴木明子、浅田真央、村上佳菜子=23日、ロシア・ソチのフィシュト五輪スタジアム(大里直也撮影)
 感動がよみがえった。閉会式で演奏されたのはフィギュアスケート女子の浅田真央(中京大)が圧巻の滑りを披露したフリーの使用曲、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」だった。

 前回バンクーバー五輪のショートプログラムで演じたハチャトリアン作曲の「仮面舞踏会」も五輪スタジアムに響いた。ファンの心をくすぐる選曲で名演技の記憶が呼び覚まされた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

記者自身が呼び覚まされただけで、ロシアが浅田に配慮したわけではない。

ロシアの誇る作曲家といえば、ラフマニノフであり、その代表的な作品がピアノコンチェルトが2番だということだ。
それに、ハチャトリアンの仮面舞踏会は、あれは、トルストイの「戦争と平和」の映画の美しい舞踏会のシーンで流れていたことでも有名な曲。

浅田へのはからいとは思えません。ていうか、閉会式のプログラムはずっと前に決まっていて練習を重ねてきたんだから、浅田が無冠かどうかなんてまったく100%関係ないというもの。

記者はどうしてこうも視野が狭く教養がないのか、この記事を読んでいてだんだん腹立たしくなってくる。

トルストイの戦争と平和の映画、ごらんになれば、すぐわかります。
主人公がのちに婚約する年上の男性と初めて踊る、その素晴らしい舞踏会のバックに流れているのがハチャトリアンの「仮面舞踏会」なのですよ。

ロシアのソチ五輪の閉会式は、素晴らしかった。
文学とクラシック音楽、バレーの粋を集めた、非常に格調高い内容であった。

あれを理解することができる日本選手が何人いるのだろうか。
ロシア文学を読破していなければわからないし、ロシアのオペラを聴きこんでいなければわからないシーンがいくつもあったね。
マリンスキー劇場と聞いても知らなければまったく退屈だろうね。チェーホフにツルゲーネフ・・・読んだことなければ感動しないと思う。
ボリショイサーカスは誰も知っていると思うが。

次の開催国は韓国、スミジョーが歌っていたアリランを。
スミジョーがやはりクラシック歌手としては国民的な存在なんだとおもっって納得した。
カラヤンに見いだされたスミジョーだからね。

ここまで見て、寝てしまったのだが、後の韓国の内容があまりにひどいということで不評だったそうだ。

芸術性でロシアに対抗できるのは、イタリア、ドイツぐらいしかないのだから、仕方のないこと。







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浅田&高梨にみるここ一番の突破力

2014-02-24 13:24:52 | 現代社会論
浅田の失速、高梨のまさかの4位・・・、ここ一番、本番に実力以上を出すいわば突破力はどうすれば身につくのか。

知恵がつくほど、難しくなるものである。

期待が大きいほど、身体が縮んでしまって、動かなくなる。

必要なのは、ほどよい緊張を保ちながら、私が一番と開き直る図々しさかもしれない。

謙虚で真面目であるほどに、後ろ向きになりやすい。

私が中心である。私のほかにこの仕事に向いている者はいない、というふてぶてしいほどの根拠のない自信こそが突破力となる。

神経質であってはならない。
神経質な子どもは、いざというときに体が動かなくなる。

思い切り遊ばせ、慎重繊細は大切だが、とにかく、肝のすわったくよくよしない性格に仕上げるのが一番かも。
コメント (2)
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ロシアよ、このくらいの抗議に過敏に反応しては小国と世界に思われてしまうよ

2014-02-21 13:03:11 | 現代社会論

Photo: AP


ウォール・ストリート・ジャーナルによれば、

ソチでプッシー・ライオットのメンバーたちがコサックに攻撃された(19日)
【モスクワ】ロシア南部ソチの五輪会場付近で19日、同国の女性パンクバンド「プッシー・ライオット」がロシア政府を批判するパフォーマンスを始めたところ、制服姿のコサック(ロシアの伝統主義者で構成され、予備警察隊として活動することが多い民間警察組織)の一団に乗馬用のムチで打たれるなど暴力を受けた。

 メンバーの1人、マリア・アリョーヒナさんは同日、(WSJ)との電話インタビューで、自分を含むメンバーが政府に抗議する歌を歌い始めたところ、自分たちと動画を撮影していた他の4人が、15~20人のコサックや10~15人の私服警官に殴られたと語った。

. 「歌が始まって数秒すると、彼らが私たちを警棒や唐辛子スプレーで攻撃し始めた。最初の節も終わらないうちだった」とアリョーヒナさんは述べた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ロシアは大国なくせにやくざなどこぞの国のようなことをするんだね。
文学、オペラなど高いレベルの文化、歴史をもちながら、こんなことが世界に発信されてしまうと、やっぱり、文化レベルがひくいと軽蔑されるのが関の山。

反政府勢力の思うツボである。

世界は女性への暴力を許すほど、以前のように甘くはない。
この写真と動画は、同時に世界発信されていて、プーチンも頭を抱えているだろう。
それが何かと思っているかもしれないけれど。

「ムチ」なんてなんて野蛮。
これで、ソチのよい思い出も水の泡

ロシアの文化レベルの低さが世界発信されてしまった悲しい日である。






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「明日ママがいない」には思想がない 5 :現場施設関係者からの批判をどう受け止めたのか不明

2014-02-21 12:18:49 | 現代社会論
明日ママがいない、に対する養護施設関係者からの批判を受け、どこがどう変わったのか見たくてHPでみた。
が、取り立てて何も変わっておらず、逆に意味不明な魔王?の演説になっていた。

日テレの制作部っていうのは、最近の養護施設っていうのをまるでわかっていないのに、つくちゃったんだということがよくわかる。

脚本も演出も実は現場に行っていないだろうなあ。
何人の職員、子どもたちに会ったんだろう。
ドラマティックな展開、奇をてらった演出、商業主義がドラマの根底にあり、ただ、養護施設といういかにもドラマがありそうな材料で作ったというところだろう。

しかし、現実はそう甘いものではなく、制作者の甘さがもろに出てしまい、現場から批判を食らったというところだろうね。

とにかく、お涙頂戴のドラマをつくろうとしているという姿勢が根底にある。
育児放棄、棄児、DV、借金、親の拘留、蒸発、貧困・・など、養護施設や乳児院に暮らす子どもたちの生育環境をみれば、ドラマを一から作るよりずっとドラマティックな素材が得られるだろう。

しかし、その素材を使って、何を社会に訴えるのかが見えない。明日ママがいない、というドラマには、思想がないのである。

あの取り上げ方では、施設に暮らす子どもたちのみならず、同じような境遇にある在宅の子どもたちにも精神的なダメージを与える可能性があるだろう。

子どもの人生を受け止め、高校や大学に進学させ、就職する道を探し、社会へ送りだそうと日々努力している職員の努力に水を差すようなドラマになってはいけない。
学校現場だって、いろいろな犯罪があるだろうし、施設だって皆無ではない。
が、しかし、施設がみなあんな施設長、児相の職員があんなキャラだとみなが錯覚してしまう描き方は問題だ。それはこの業界にとって致命的だ。

そう、致命的なダメージにつながると思う。


施設で暮らす子どもたちをめぐる状況は深刻である。家族の崩壊は広がり、子どもの心は壊されている。

児童相談所や施設職員は日々試行錯誤を繰り返し、解決の道を探っている。

専門的な取り組み、子どもたちへの様々な生活支援の実際などを丹念に描くことを通して、この問題を社会に発信することは可能である。
この問題に対して、社会の関心を喚起する、それがTV制作の使命だろう。

子どもをめぐる問題は深刻である。
そこで日々取り組む職員たちの苦悩も、子どもの問題が複雑であるだけに深い。
また、社会保障予算の圧縮もあり、貧弱な施策となっており、職員の労働条件も不十分。そんななかで必死に戦っている現状を訴えることだってできるはずである。


翻って、あのうすっぺらい、のっぺりした内容はなんだ。
聞きかじったせいぜいインターネットレベルの情報で都合のよいものだけを集めてドラマを作ってはいけないのである。
だから、現場から「ちがう」といわれてしまうのである。

職員による上から目線の対応?子どもたちの生育環境や精神的不安など、とりあえずいろいろな要素を入れてまぜこぜにして、結局、制作者の目線が上から目線であるということだろう。

今後、この手のドラマを作るなら、2週間ぐらいは実習してからがよいと思う。または、3か月ぐらいボランティアをして、そこから、本当の意味での社会派のドラマを作ったらよい。

もっとも日テレにそんな真面目なプロデューサーがいるとは思えない。今回の対応をみれば歴然としている。

いつまでも福祉といえばお涙頂戴がテーマであり、職員の専門性などまったくない、せいぜいボランティア程度のレベルの仕事としかとらえていない。
以前どこかのドラマでは、20歳の精神保健福祉士が登場して顰蹙をかっていた。精神保健福祉士は四年制大卒後国家資格試験に合格しなければなれないのだ。20歳はありえないが、ドラマだからといってそういうことを軽くやってしまうのでマスメディア。

まことにお粗末な知識、福祉観であり、時代を拓くドラマ作りなんてことはみじんも考えていない。
もっとも日テレなんかに期待するべくもないのだが。



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